「世界で住む家を追われ保護を必要としている難民や国内避難民は、6000万人に達しました。実に世界の100人に1人が難民・避難民なのです。」
美鈴は、ソファーに寝そべり煎餅をかじりながら、昼の情報番組をぼんやりと見ていた。
地続きの国は大変ねえ。
一度近隣の国で内紛が起きれば、必ず難民問題は発生するわけだし、国民だって、内紛なんかで死ぬよりは、他所の国に逃げたほうがマシだって思って移動しちゃうわよねえ。
逃げ込まれたほうは逃げ込まれたほうで、受け入れにも限界があるわけだし、その国の国民の生活ってものがあるわけだし。
「難民の受け入れを歓迎する国民の意見もある一方で、反対意見もあるようです。」
「私達が築いてきた富に、たかろうだなんてとんでもないことだ!」
異国の年老いた男性が声高にテレビカメラの前で叫んでいる。
「難民の受け入れ反対のデモが各地で勃発しているようです。」
そりゃ、当然でしょうよ。だって、自分達の生活が脅かされるかもしれないんだもの。治安だって悪くなるかもしれないし。人間、飢えれば盗みもするでしょうよ。
はぁ、島国でよかったわあ。まさか、日本にまで、渡ってはこないだろうし?
あ、携帯が鳴ってる。ちっ、ジジイからかよ。
なになに?飯は外で食って帰る。付き合いで遅くなるですって?
どうでもいいわ。どうせ寝た頃を見計らってこっそりと帰ってくるんでしょ?
こっちだって、アンタの顔なんて見たくないわよ。
さて、今夜はおいしいものでも食べに行こう。
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隆はメールを送り終わった携帯を閉じると、立ち上がり、すっと新人OLの綾香のデスクに近寄り、小さな付箋を貼った。
「今夜、8時。〇〇ホテルのラウンジで。」
甘えるような綾香の上目遣いには弱い。綾香は返事の代わりに意味深な笑顔を隆に返す。
今夜は、綾香を豪華なホテルディナーに連れて行くつもりだ。もちろん、部屋もとってある。
今夜こそ、綾香を抱く。
綾香は甘え上手だが、意外と身持ちが堅い女だ。幾度となく隆はホテルに誘うが、上手くかわされた。
綾香には、大枚つぎ込んでいる。どれだけの物をねだられて買わされたか。
隆は、今まで会社の金を上手く誤魔化してきたわけだが、そろそろ限界だ。
家の金は、美鈴に財布を握られているので、一切誤魔化すことはできない。
家計より会社の会計を誤魔化すほうが、簡単だなんて。皮肉なものだ。
隆は昼間だというのに、綾香を見ると、下半身が熱く疼いた。
その時、隆の携帯のバイブが震えた。マナーモードにしているが、その相手がすぐに誰だかわかった。
クソ、ガキめ。そのまま隆はトイレに行く振りをして、トイレの個室に篭り、メールの相手を確認すると、案の定思った通りの相手だった。
「パパ?最近、全然会ってくれないじゃん?優奈、浮気しちゃおっかなあ?」
ちっ。隆は舌打ちしか出てこなかった。そのまま、メールを無視して、個室から出た。
ちょっと若いからって調子に乗るなよ。ションベン臭いガキとはもうおさらばなんだよ。何度か援交したからって、こっちが必死になるとでも思ったのかよ。そこまで女には不自由してねえよ。
そう思いながら、綾香の体に舐めるように視線を這わせた。すぐに股を開くようなお前とは格が違う子を今日は抱くんだからな。隆はいやらしく笑った。
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「チクショウ、あのオヤジ、無視かよ!」
優奈は携帯を投げつけた。カシャリと嫌な音がした。
「あーあ、携帯壊れちゃったジャン。オヤジに弁償させなきゃね。アタシを無視するとか、いい度胸してんじゃん。今に見てなよ。」
優奈は以前撮った淫らな写真をあるアドレスに二台目の携帯で送信しようとしていた。
「びっくりするよ、あのオヤジ。」
優奈は笑いが止まらなくなった。
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「嘘だ!そんなの。やだやだ。モフ子を出荷するだなんて!」
「翔太、仕方ないじゃない。うちはこれで生計を立ててるのよ。モフ子はね、うちの子じゃないの。ちゃんとオーナーさんが居るって、前から行ってたでしょ?」
母親は翔太を宥めた。
翔太の家は畜産家で、牛や豚、羊まで幅広く飼育している。
モフ子は、ある会社の重役がオーナーの子羊だ。
昨日突然、モフ子を〇〇ホテルに出荷するようにとの申し出があったのだ。
新鮮な子羊を食べたいとの強い希望だった。
早朝黙って、モフ子を出荷しようとしたところを翔太に見られたのだ。
両親は一生懸命、翔太に説明した。
「わかった。仕方ないよ。」
翔太はうなだれた。
翔太はモフ子を人一倍可愛がり世話をしてきたので、両親も忍びない。
可哀想だが、これは運命だ。
モフ子の出荷の用意をするために、トラックを用意している隙に、翔太は羊小屋の扉を開けた。
「行くぞ、モフ子。」
勢いよく飛び出したモフ子と共に、翔太は走り出した。
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「今日はね、君に特別の料理を食べさせてあげるからね。」
隆が脂ぎった顔で満面の笑みをたたえた。
「へえ、なんですかぁ?特別の料理って。」
「僕は子羊のオーナーをやっててね。君のために特別に今日、振舞おうと思ってね。」
「えー、ホントですかあ?部長~。綾香、楽しみぃ~。」
鼻にかかった甘ったるい声が、隆の耳をくすぐる。
「お客様、申し訳ありません。」
その時、青ざめたウエイターが近づいてきた。
そして、事情を説明した。
「なにぃ?子羊が逃げただとぉ?そんな言い訳が通ると思ってんのか?他の料理を出すだと?ふざけんな!」
隆は激高した。折角今、綾香に見栄を張ったばかりなのに、顔に泥を塗られた。
「責任者を呼べ!責任者を!」
周りの目を気にせず、隆は怒鳴り散らした。
「あなた?」
一人の中年女性が近づいてきた。隆は青ざめた。
それは、紛れもない、自分の妻、美鈴。
向かいの席を確認すると、そこはもぬけの殻。
綾香はいち早く逃げて居なくなっていたのだ。
その時、美鈴の携帯が密かにメールの着信を告げていた。
見知らぬ若い女と隆が裸で抱き合っている写真が添付されているのを美鈴はまだ知らない。
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「ヤバイヤバイ、冗談じゃないわよ。あのオヤジ。嫁と鉢合わせとか、マジあり得ないんですけど。
痛くない腹をさぐられるところだったわ。あんなキモいオヤジと何かあるって思われるだけでも怖気が立つわあ」
綾香は、そう言いながら、自分のスマホを出し、ある番号に電話した。
「あ、ハヤト~?今からお店行くからあ。こないだスケベエ部長から贈られた、エルメスのバッグ。思わぬほど高額で売れちゃってさあ。だからあ、今日は、ドンペリ入れちゃう!」
足取りも軽く、綾香はホストクラブへと向かった。
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「モフ子、モフ子ぉ~」
翔太は泣いていた。
モフ子と逃げる途中、モフ子は谷底深く滑り落ちてしまったのだ。
子供の翔太の力では、モフ子を助けることはできない。
モフ子はピクリとも動かなかった。
たぶん死んでいるんだろう。
まあ、でも、モフ子はどうせ死ぬ運命だったんだ。
僕が悪いんじゃない。
僕のせいじゃないんだ。
はあ、ご飯食べてないから、お腹すいたなあ。
ごめんね、モフ子。
さよなら。
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あくびを噛み殺しながら、その様子を上から見ている者達がいた。
「内紛やらでキナ臭くなってきましたねえ。個体がどんどん移動しているし、今にも戦争が起こりそうな雰囲気ですねえ。そろそろ収穫の時期なんじゃないの?」
「そうねえ。自滅する前に収穫しないと。種を蒔いておけば、勝手に自分達で自給自足してくれる食料なんて、夢のような話だったんですけど、今となっては当たり前の時代ですもんね。こいつらの時の概念では2000年経ってるわけだけど、我々の概念では1年だからそろそろ収穫時かもね。」
「もう少し数が増えるかと思ったんだけど、もう増えそうにないしね。こいつらは、自分らが食料だという自覚は一切無いからね。俺らの食用クローンが勝手に社会を作ってるわけですよ。まさか、収穫して食べられるために生きてるなんて、夢にも思っていないんでしょうねえ。このクズどもは。」
作者よもつひらさか