「うむ、これは!」
私はあまりの美味さに、ついそう言わずにはおれなかった。
「なんという美味。主人、これは何だね?」
私は一見では敷居も跨げぬ高級料亭で食事をしている。
そこで、今まで味わったことの無い、魚とも肉とも例えられない物が出されてきたのだ。
主人は恭しく揉み手をしながら、満面の笑顔で答えた。
「お気に召していただけましたか。それは、一度食すだけで、永遠の命と若さが得られるという大変珍しいものでございます。本日、特別に本田様のために、ご用意させていただきました。」
「ははは、そのような都合の良い物があるのなら、皆食しておるわ。調子が良いのう、お主は。」
私は冗談だと思ってそう受け流したのだ。
「ここだけの話でございますよ。このことは門外不出、選ばれしお方にのみ、お出ししているのでございます。」
主人は大真面目にそう言うのだ。
「本田様は将来、きっと日本を背負って立つお方と信じて、ご用意いたしました。ご覧になりますか?実は当店の地下には、部屋がございまして。そこを生簀にしており、本田様が今、食された物が新鮮な状態で生かされておりますよ。」
生簀か。では、魚なのか。私はその珍しい魚を見たくなった。
「案内してもらおうかな。」
私は食事が終わると、その珍しい魚を生簀に見に行くことにした。
地下の部屋の入り口は物々しい警備体制で、門番が主人に言われ、入り口の鍵をあけている。
ずいぶんと厳重だな。私はそう思った。
入り口をあけると、大きなコンクリートの生簀の壁が視界を塞いだ。
「こちらへ。」
そう促されて私は、生簀の水面が見えるところまで昇る階段を上った。
巨大な生簀の中に、さまざまな魚が泳いでいる。それにしても巨大な生簀に私は驚いた。
「あれでございますよ、本田様にお出ししたのは。」
主人はある方向を指差す。
「えっ!」
私は思わず、言葉を失った。
まさか。そんな。
実際にあれが居るなどとは。
あれは御伽噺や、伝説上の物とばかり思っていたのだ。
「人魚でございます。」
そんな、馬鹿な。
「これは何かのまやかしであろう?」
「とんでもございません。私が本田様を謀るとお思いですか?」
私は体中から嫌な汗が出た。
体は魚だが、胸からは人間にそっくりだ。
あれを、私は、食べたのか。なんと残酷な。
私は青くなり、吐き気を催してきた。それを見て主人は言った。
「本田様、あれは魚同然でございます。本田様が罪悪感を持たれる事はないのですよ。これも食物連鎖でございます。食うものあれば食われるものありですよ。そんなことを気にされては、肉も食することはできません。」
そう言われて見れば、泳いでいるあれは、まるで魚のような目で、何も考えていないような表情をしている。
「卑弥呼は人魚の肉を食して、永遠の若さを保ったという伝説もございますが、これは伝説ではなく、本当のことでございます。何故なら、私自身がもう100年以上、今の若さを保っているのですから。」
主人は見た目、40歳くらいにしか見えない。とてもじゃないが100歳以上には見えない。
私は騙されているのか?
「もうお一方、ご予約が入っております。あれを生け捕りにするところを、特別本田様だけに、お見せいたしましょう。」
そう言うと、主人は従業員に生簀に網を投げさせた。
何人か掛かりで引き上げると、人魚が網にかかって水揚げされた。
私は、そこで見てしまった。人魚の恐怖の表情を。
先程まで魚のような目で泳いでいたのに、明らかに目には、恐怖が浮かんでいるのだ。
人魚は巨大なまな板の上に乗せられた。
「ご予約の方は、活き造りをご所望でしてね。」
突然今まで聞いたことのないような、奇妙な叫び声が響いた。
まな板に乗せられた人魚が、生きたまま、まさに捌かれようとしているのだ。
体の魚の部分に包丁が入れられた時の叫びだった。
主人は忌々しそうに舌打ちをした。
「おい、何度言ったらわかるんだ。先に声帯に包丁を入れて、叫ばないようにしないと、うるさいだろう。声帯をシメろ!」
私はもう我慢ができなかった。私は脱兎のように走ってその場から逃げた。
「ああ、本田様、どちらへ?」
主人が後ろから呼び止める声にも耳を貸さなかった。
私は走りながら泣いていた。私は、あれを食べてしまった。
罪悪感からか、胃の中の物を全部吐いてしまった。
店の主人は溜息をついた。
「ふう、かいかぶってしまったかな。あの方はきっと将来上に立ってこの国を未来永劫、不死の国にしてくれると思ったのだがな。そのために私はこうして、あれを養殖してきたというのに。」
あなたの周りに、いつまでも変わらない人はいないだろうか?もしかしたら・・・。
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-2015年9月13日 午後8時32分-
「まあ、そういうわけでな、私はもう100年以上生きておるのだよ。」
私は橋の下で、大勢の少年の前で経緯を話した。
「はあ?嘘つくんじゃねえぞ、オッサン!作り話はそれくらいにしとけよ。それより、オッサン、くせーんだよ。みんな迷惑してんだ。この橋の下って住んじゃいけねえところなんだぞ?このきったねえダンボールの家、どけろよ!」
少年たちはニヤニヤ笑いながら私を見ている。
「嘘ではない。あの時、吐き出したが一部消化されていたから、もう私も永遠の若さと永遠の命を手に入れてしまったのだ。」
私がそう言うと、リーダー格の少年が言った。
「へー、じゃあ体で証明してみろよ。オッサン、死なねーんだろ?」
そう言うと少年はいきなり、私のお腹を蹴り上げた。
それを合図に一斉に少年たちの嵐のような暴力が私を襲った。
さすがに私も意識が遠のいて来た。
私がぴたりと動かなくなると少年たちの暴力が止んだ。
「おい、やべーぞ。本当に死んだんじゃねえか?」
「誰か確かめろよ。」
「おい、オッサン、息してねえ。脈も無いっぽいぞ?」
「やべーじゃん。お前ら手加減しろよ、バカ。」
「お前が始めたんだろ?人の所為にするんじゃねーよ。」
「知らねえぞ!おい、逃げるぞ!」
そう言うと少年たちは走って逃げていった。
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ホームレスが死んだというニュースは無かった。
俺は何もしていない。
あのバカがホームレスのお腹を蹴って、みんながあいつを殴り始めたけど、俺はただ見ていただけなんだ。
でも、警察は信じてくれないだろう。
俺は、気になってしまって、またあの橋の下に様子を見にいった。
あのダンボールハウスは、もう無人なんだろうか?
あそこには死体が転がっているんだろうか。
俺は恐る恐る近づいた。
ダンボールハウスから足が出ている。
やっぱり、死んだんだ。
俺は人殺しの片棒をかついでしまった。
人を見殺しにしたんだ。
呆然とダンボールハウスの前で立っていると、その足がびくりと動いて
上半身がムクリと起き上がった。
俺は今まで出したことの無いような悲鳴をあげた。
あれだけの暴力を受けたのに、傷一つなく
何事もなかったかのようだ。
「なんだ、坊主、様子を見に来たのか。だから私は不老不死だと言ったであろう?
不老不死がこんなにも退屈なものだとは、思わなんだなあ。」
ホームレスは、大きなあくびをした。
作者よもつひらさか