田中の家がヤバいという噂が広まったのは小4の夏。
夏休みを目前に控え、俺達のテンションが正に最高潮を迎えている時期の事であった。
年中鼻水を垂らしている龍が言うには、田中の団地にはこの町で一番ヤバいといわれる霊道が走っており、特に1階の田中の部屋では日夜、様々な怪奇現象が起こっているのだという。
噂の出所は不明だ。
それを聞いて好奇心が服を着て歩いている俺達が見過ごす筈も無い。早速、普段は根暗で漫画ばっかり読んでいる田中にアポイントを取る事にした。
「おい田中!話は聞かせて貰った!要件は分かってるよな?」
するとノートを広げて何か書物をしていた田中の手がピタリと止まり、ゆっくりと顔を上げた。
そして表情は明らかに作り笑いと分かる引き攣った笑顔に変わった。
「…要件?なんの事? 」
「よーしよし分かった!じゃあ今日の帰りに俺達がお前の家を除霊してやる!無料で!有難く思えよ!うひひひ♪♪」
田中の唇の端がヒクヒクと動いている。
「だ、誰に聞いたの?」
「そんな細けぇ事はどうでもいいんだよ田中!それよりお前の家にはどんな妖怪が出るのか言ってみろ。俺達もそれによって対処方法が変わってくるからな!うひひひ♪♪」
「そうだ!そうだ!どんなお化けか教えろよ田中ー!」
龍と猛がやいのやいのと加勢する。
既に田中の顔には笑顔は消えており「うーん」と中空を見つめながら少し考える素振りを見せた後、ゆっくりと口を開いた。
「 あの…妖怪かどうかは分かんないけど、いつもいるのは首が反対に付いてるお婆ちゃんかな。それと全身が真っ黒な人。あとは夜に首が千切れかけた子供が壁から顔を出して来て「遊ぼーよー」って言ってくるぐらいかな?あとはえっと…」
「分かった!分かった!ストップ、ストーーップ!!田中もういい!ちょっと待て!!」
龍が両手に顔を埋めてひくひくと泣き出したので、慌てて田中の次の言葉を制止した。
正直な所、話を聞いて若干俺も帰りたくなったのが本音だが、一度口に出してしまった手前、男として今更引くのも格好が悪い。
俺達はその日の放課後、半ば強引に田中の団地へ訪れる事にした。
メンバーは俺(ロビン)、龍(まだ半泣き)、猛(デブ)、翔吾(イケメン)、夏美(妹小1)、だ。
「ねえ本当に来るの?やめた方が良いと思うよ…もしお母さんにバレたら大変な事になるし…」
青い紐を首からぶら下げた「鍵っ子」の田中が何か言っている。
「ば、バッキャロー!そんなに母ちゃんが怖いんかよだっせー!ここまで来といて帰るなんて真似が出来るかよ!俺は一度決めた事は絶対に曲げねーんだよ!おい猛!あれちゃんと持って来たか?!」
後ろを見ると、デブの猛が除霊用に買っておいたポテトチップス(うす塩)の袋に、ブタの様な太い右手を突っ込みながらボリボリやっている。
「あーごめんごめん、ちょっと腹減って来ちゃったからさーついつい食っちゃったよー。あれ?もう無くなっちゃったなぁ…げぷっ!!」
「……… 」
俺はこの日を境にデブが嫌いになった。
…
戦後、確かこの町は山を切り開かれて作られたんだと死んだ婆ちゃんが言っていた。
40棟からなる団地の群れは、下を走る国道から見ると傾斜に沿う様にして隣接しており、その下を様々な形の住宅地が隙間を埋めている。
件の田中が住む棟はその一番山側にあり、そこだけ少し孤立したエリアになっていて、そこへ行くには両側を池に挟まれた長く急な階段を登らなければならない。
俺と龍と翔吾と夏美は既に階段の上まで上がりきっているのだが、田中と猛はこの階段にフーフー言いながら苦戦している様子だ。
「おい!早くしろよ眼鏡とデブよー!もたもたしてっと日が暮れちまうぞー、たくー!」
そして漸く2人も階段を登り切り、俺逹は学校から20分もかけてやっと田中の団地の前に到着した。
「…ここか」
山が夕方の陽を遮っているせいか、団地全体に薄暗い印象を受ける。
8月という事もあってまだまだ陽が沈む心配は無いが、あまりグダグダしていると暗くなり、怖さ倍増+アニメ(ドラえもん)の時間に間に合わない危険性が出てくる。
「おい、早く入ろうぜ!」
カチャン
鍵を開け、団地特有の重たそうな鉄扉を開けると、ギイイと錆びついた音が階段に響いた。
妙に生緩い風が俺達6人の顔を撫でた。
「…ほんとに入るの?絶対やめた方がいいと思うんだけど」
丸眼鏡を掛けた、のび太実写版の田中がまた何か言っている。
「しつこいぞ田中!俺達は一度決めた事は絶対に曲げねぇっつってんだろが!ちょっと見たらすぐに帰ってやるからとっとと家にあげてくれよ!」
「そ、そそそ、そうやで田中!兄貴をナメてんのかいな!俺達はな、ぜ、全然怖あないねんで!!」
初めて知ったが、龍は恐怖を感じると関西弁に変わるようだ。強がっているのは一目瞭然、顔がもうお化けの様に青白い。
「…わかったよ、でも後悔しても知らないよ。僕のせいじゃないからね」
まず田中が靴を脱ぎ、続いて翔吾、猛、夏美の順に靴を脱いで部屋の中へと入っていった。
さて、次は俺の番…
「……ひっ!!!」
右手の便所から髪の長い上半身だけの女が、両手をぶらーんとさせながら目の前を通り過ぎていった。
しかも、左手の子供部屋に吸い込まれる瞬間、一瞬こちらをチラ見しやがった。
「り、龍!!今の見たか?!」
後ろを見ると今までいた筈の龍が居ない…
どうやらあの腰抜けは逃げちまったようだ…ちっ!
「ねえねえ兄貴ー、早くこっち来なよー」
当時、まだ小一だった可愛らしい夏美が居間から顔を出した。
すると、夏美の顔の下にもう一つの顔が覗いていた。
それは顔面が真っ黒な赤ちゃんで、身体の大きさからいって2歳児ぐらいだろうか?
火傷でもおったのか顔全体の皮膚が赤黒く変色しており、黒目の無い異様に真っ白な2つの目が夏美の足下から此方を見ている。
「…ひっ!」
次の瞬間、赤ちゃんは左手の子供部屋へと吸い込まれて行った。
しかも、子供部屋に吸い込まれる瞬間、一瞬こちらをチラ見しやがった。
取り敢えず俺逹4人は居間へと通された。
小さなテレビと安っぽいソファ、安っぽいテーブルに立派な仏壇が一つ…
仏壇…
仏壇の裏の狭いスペースに紫色の着物を召した半透明の老婆が立っていた。
しかも、身体は向こうを向いているのに顔だけがグニャリと此方を向いている。
田中が言ってたババアはこれか?!
「お、おい!あそこ見ろ!!」
俺が指を差した瞬間、老婆は仏壇の中へと吸い込まれて行った。
しかも、仏壇に吸い込まれる瞬間、一瞬こちらをチラ見しやがった。
「どうじだのロビン?何が見えだのおお?」
イケメンの翔吾が心配そうな顔をして言った。
「………!!!」
その瞬間、皆んなが一斉に翔吾の方を向いた。
翔吾の声がいつもの翔吾の声では無く、低く野太いおっさんの声に変わっていたのだ。
「…あっあで?おがじいな」
翔吾自身も自分の声の変化に気付いている様で、両手で口を押さえて焦っている。
「ブププ、翔吾ってもしかしたら声変わりしたんじゃねぇの?」
デブの猛が口を開いた。
その瞬間、皆んなが一斉に猛の方を向いた。
「…あっあれ?なんか声がおかしいわね」
普段はクマゼミの様な猛の汚い声が、何故か釈由美子先生の様な優しい綺麗なお姉さんの声に変わっていた。
バンバン!バンバン!バンバン!
「ぎゃああ!!!」×5人
その時、突然居間の窓硝子に大小様々な無数の手形が浮かび上がった。
勇気の有る夏美が、恐る恐る手形を確認しに行き、窓硝子を触る。
「…こ、この手形って、部屋の内側から付けられてるよ」
そう言いながら此方を向いた瞬間、「ぎゃあああ!!」と叫びながらその場に座り込んでしまった。
はっ!!として周りを見ると、袈裟を纏った数十人の坊主が俺達を取り囲む様にして佇んでいた。
『でていけ!でていけ!でていけ!でていけ!でていけ!』
そうunisonで繰り返す坊主逹全員の顔には、あるべき筈の目や鼻や口といったパーツが無く、所謂「のっぺらぼう」状態だった。
次の瞬間、そいつらは子供部屋がある台所の壁へと吸い込まれて行った。
しかも、子供部屋に吸い込まれる瞬間、坊主全員が一瞬こちらをチラ見しやがった。
一先ず安堵し、全員の無事を確認するとデブの猛がいない。
どうやら猛は坊主逹と一緒に子供部屋へと吸い込まれてしまった様だ。
「お前が助けに行けよ!」「いやいやお前が行けよ!」と押し問答が続く中、俺は気付いてしまった。
田中がさも嬉しそうに俺逹の姿を見て笑っているのを…
なんかムカつく!
そうこうしている間も、半透明の犬や猫や牛や豚や、南瓜のお化けや、頭が千切れかけている園児達や、血塗れの看護婦や、ボロボロのゾンビや、内蔵が飛び出したサラリーマン達が列を成し、行進しながら続々と子供部屋へと吸い込まれて行く。
全員こちらをチラ見しながら…
そう、それはまるでハロウィンパーティーの様だ。
ハロウィンとはその昔、人々が知恵を絞って魔女から身を守る為に死人の格好をして攫われるのを防いだという儀式。
現代でもそれは受け継がれ、10月になると街中にあふれ返るゾンビメイクをした若者達。
中には死人とは全く関係の無い仮装をした若者までもが…ひ…
ガチャリ!
玄関からその音がした瞬間、異形の亡者達の列が一瞬で姿を消した。
と、同時にさっきまでニヤニヤしていた田中の表情が一変した。
「や、ヤバい…母ちゃんが帰ってきちゃったよ!」
みるみる田中の顔が恐怖に引き攣った恐ろしい表情に変わって行く。
「な、なんやこの靴の数は!!ユウジ!あんたもしかして家に友達入れとんちゃうやろな?!!!」
部屋が揺れる程の強烈な怒声が響いた。
「ご、ごめんなさい!」
田中は泣き始めた。
「ごめんなさいてあんた!あれ程家には友達呼ぶな!言うて言うてたやろがほんまに!!!」
身長2メートルをゆうに超える「馬場」の様な女が玄関から姿を現した。
顎はシャクれ、細い目が狐の様に吊り上がっている恐ろしい顔だ。
「ユウジ!あんた約束破ったらどうなるか覚えてるやろな?!!!」
何故、関西弁なのか?
と突っ込む暇も無く、田中の首根っこをムンズと掴み上げた田中の母ちゃんは、そのまま田中を子供部屋へと放り込んで襖をピシャリ!と閉めてしまった。
「ユウジ!あんた!罰として朝までそこに入っとき!今日は晩御飯もなしやで!!分かっとるやろな?!」
「いやだ!いやだ!許してよ母ちゃん!いやだ!いやだ!ここから出して母ちゃん!!!」
田中の母ちゃんは襖を押さえ付けながら俺逹にこう言った。
「あんたら今日ここで見た事は忘れ…絶対に誰にも言うたらあかんでー、もし誰かに言うたら…」
田中の母ちゃんはグローブの様な右手で拳骨を作り、自分の額にコンと当てながら長い舌をベロンと出した。
「は、はははい!分かりました!」×3人
我先にと田中の家を飛び出した俺達は、一度も後ろを振り返る事なく各々の家まで逃げ帰った。
結果、田中の母ちゃんが一番怖かった。
…
因みに翌日、俺逹の心配を他所に元気に登校して来た猛は、声だけがまだ女のままで大人になった今でも声変わりをしていない…
【了】
作者ロビンⓂ︎
実話だと言ったら驚きますか?…ひひ…