ゴミ捨て場で唖然として俺は、そいつを見ていた。
ゴミ袋を提げた俺は、ごみ収集所の網の回りの黒いやつらを追い払った。
カアカアと不満げにやつらが飛び立ったあとに、網の中で見つけた。
そいつは、バタバタと羽をバタつかせてもがき、あたり一面に羽毛を撒き散らしていた。
「鳩ぉ?」
思わず俺は声に出していた。
どうやってその中に入ってしまったのか、経緯は知らない。
「お前、どんくさいな。」
やれやれと思いつつ、俺は手で網をめくってやると、自由を得たそいつは、ぱたぱたと飛び立って行った。
そして、俺はゴミを放り投げると、鳥に荒されぬように、もう一度網をゴミに被せて仕事に出掛けた。
その日の夜、俺の部屋を訪ねる者が居た。
友人はおらず、ましてや、遠く離れた故郷の年老いた親が訪ねてくるとは思えなかった。
なんだよ、こんな時間に。新聞屋かあ?
ドアスコープを覗くと、そこには女が立っていた。
セールスではないようだ。バッグは持っていない。この時間の宗教はあり得ない。
「どちら様でしょうか?」
俺がドアの向こうからたずねると、女は下を向いてうなだれている。
「すみません。」
小さな声でそう言った。顔色が悪いようだ。
俺は、仕方なくチェーンをかけて、玄関を開けた。
「ちょっと気分が悪くて。お水を一杯いただけないでしょうか。」
女は消え入りそうな声でそう言った。俺は訝しげに思いながらも、ちょっと待ってくださいとその場で待たせて、コップに水を汲んできた。
そして、女はコップの水を飲み干すと、そこに座り込んでしまった。
「だ、大丈夫ですか?救急車、呼びましょうか?」
「大丈夫。貧血なんです。しばらくこうしてたら治りますから。」
そういわれても、そこに居座られたら迷惑なんだけどなあ。
俺は仕方なく、チェーンを外すと、女を中に招き入れた。
ふらつく女をまずは、キッチンの椅子に座らせた。
「ほんとうに大丈夫?マジで救急車呼んであげるよ?」
そう言うと、女は頑なに首を横に振った。
「じゃあ、しばらく休んで。隣の部屋にソファーがあるから。横になりなよ。俺は隣の部屋に居るから。」
「ご親切に。ありがとうございます。」
そう言うと、女はソファーに体を横たえた。
よく見れば、かわいい。めちゃくちゃ俺のタイプだ。くりっとした小動物のような大きな目。
簡単に女を中に入れたのは、下心が無かったわけでもない。
結局、その女はソファーで眠ってしまった。
マジか。見知らぬ女を泊めてしまった。まさか、そういう強盗じゃないだろうな?
俺はその夜、一睡も出来なかった。
結局、女は強盗などではなかった。
俺は一睡もしなかったので、つい朝方うとうとしてしまい、いい匂いに起こされた。
「夕べはありがとうございます。お礼に、朝ごはん作りました。」
テーブルの上には、久しぶりのまともな朝飯が並んでいた。
はっきり言って異常事態だ。夕べいきなり訪れた見知らぬ女を泊め、その女は朝飯を作っているのだ。
何かある。俺は、警戒心マックスだった。
それを察してか、彼女の方が先に
「いただきます。」と言い、朝飯を食べ始めた。
「何も盛ったりしてませんよ?」
俺の心を読んでか、そう言うと、俺のおかずをつまみ食いして見せて、にっこりと笑った。
「いただきます。」
腹が減った俺は、貪るように食べた。懐かしい。こんなまともな朝飯は実家以来だ。
その日から、俺と見知らぬ女の同居生活が始まった。
その女は、住居を追われ、彷徨っていたのだ。女性ホームレス。
何でも、派遣先を切られ、アパートも追い出されて途方にくれていたところに、あまりの空腹に貧血を起こした。
「しばらく、うちに居る?」
俺は下心満載だった。あわよくば、このままこの娘と。
彼女は鳩子と言った。鳩子?古めかしい名前だ。
鳩を助けた日におとずれた鳩子。案外、鳩の恩返しだったりして?
俺は馬鹿げたことを考えて一人笑った。
鳩子は毎日、夕飯を作って、俺の帰りを待った。
「おお、グラタンかあ。こっちは白子かな?」
彼女の作る料理は、何故か白くて甘めで優しい味の物が多かった。
だが、さすがに、ずっとグラタンと白子が続いたのには、辟易した。
そろそろ他の物が食べたい。
ある朝、玄関を出ると隣に住む婆さんが、俺にヒステリックに告げてきた。
「お宅から、夕方になると、すごく変なにおいがするのよ。夕飯時よ。いったい何を煮てらっしゃるの?」
不快げに、俺を睨みつけてきたのだ。
「さあ?心当たりがないのですが。」
そうだ。この婆さんがうるさいので、ゴミ箱はいつもきちんと蓋をしているはずだ。
「嘘!あなた、彼女に言ってちょうだい。何を煮てらっしゃるのかわからないのだけど、臭くてしかたないんだから。」
そう言って、乱暴にドアを閉めた。
なんだよ、わかんねえよ。鳩子が夕飯で何を作ってるのかよくわからないけど、俺が食べた限りでは、そんなにおいもしないし、味は美味い。更年期障害だろ、ババア。
「鳩子、そろそろ、他のものが食べたいんだけど。折角作ってもらって言うのもなんだけど。」
俺は食卓に並ぶ、白い食べ物の胸やけがした。
「わかりました。」
次の日の夜、肉料理が食卓にならんだ。焼肉、から揚げ。俺は夢中になって食べた。
「美味い!鳩子は料理の天才だね!」
俺は大げさに鳩子を褒めた。
俺と鳩子は相変わらず、別々の部屋に寝ている。
折角若い男女がひとつ屋根の下に暮らしているというのに、これでは蛇の生殺しだ。
俺は、意を決して、鳩子の部屋に忍び込んだ。
部屋は真っ暗だった、こんもりと、鳩子のシルエットがうっすらと見えてきた。
「ねえ、鳩子、俺たちもうだいぶ一緒に暮らしてるジャン?そろそろ俺、鳩子の料理だけではなく、君も・・・。」
俺はそこまで言うと、どうしようもなく激情が止まらなくなり、彼女に抱きついた。
鳩子!ん?なんだこれ。丸い。固い?
それは鳩子ではなく、楕円形の大きなカプセルのようなものだった。
温かい。まるで、綿のよう。
暗さに目がなれてくると、それは鳩子ではなく、巨大な繭だとわかった。
そして、その繭の横には鳩子が座っていて、繭と繋がっていたのだ。
鳩子が口から紡ぐ糸が繭になる。
「わああああああ!」
俺は思わず、叫んで後ずさった。
「とうとう、見てしまったのですね。私は、あの時、助けていただいた者です。恩返しに、お料理と、あなたのお誕生日に夜なべしてマフラーを編もうとしていたのです。」
「は?何言ってんの?マジ意味わかんねえ。」
俺は声が震えていた。
こいつ、人じゃねえ。
すぐに照明をつけて、彼女を確認したのだ。
目は大きいどころか、飛び出していて、口からは糸が吐き出されていた。
「ま、まさか。あの時の、鳩?」
俺が助けたといえばそれくらいしか、心当たりがない。
でも、なんで?鳩が料理を作り、糸を吐く?
鳩子だったものは、大きく頭を横に振る。
「いいえ、私はあの時、助けていただいた、蚕です。」
か・い・こ?
「そんなの、助けた覚えはねえよ・・・。」
「いいえ、あの鳩に食べられそうになっていた蚕です。あのままだと、私は食べられていました。」
いやいや、マジあり得ねえし。蚕の恩返しとか。
「糸から紡いで、マフラーを編もうと思っていたのですが、もう正体を見られたからには、お別れです。」
そう言うと、鳩子の体は真っ白に輝いて、巨大な蛾の姿になり、窓から空へ飛んで行った。
俺はそれを呆然と見守った。
あの蚕の鳩子が作っていた料理、全部、真っ白じゃなかったっけ?
臭いと行ってきた隣の住人。いったい俺に何を食わせてたんだ。
俺は胸に酸っぱい胃液が上がってきた。
俺は、恐る恐る、ベランダに置かれたゴミ箱を覗いた。
思ったとおりだった。煮詰められた、蚕の皮のようなものが捨てられていた。
俺を吐き気が襲う。もう一つのゴミ箱からそういえば異臭がする。
また、こんなにおいをさせてたら、隣のババアに何を言われるか。
俺は、今起きた、非現実を追い払おうと、現実に戻り、ゴミ箱の蓋を開けた。
目が合った。
その目は、俺を恨めしげに見上げていた。
俺は涙目になった。
口を押さえて、トイレに行くと、食べたもの全てを吐しゃした。
体はガクガクと震えている。
あの女、何てものを、食わせやがった。
あれを上手く処分しなくてはならない。
separator
「さて、次のニュースです。〇〇県〇〇市で、猟奇的な事件が起こりました。被害者は、太田豊子さん、68歳。殺害されたうえ、その肉を食べられてしまったのです。犯人は、隣に住む24歳の青年。犯行を否定していますが、その男の部屋からは、豊子さんの頭部と見られるもの、骨などがゴミ箱から発見されています。」
「悪臭で、もめてたみたいよ。私、彼女に言ったのよ。あまり文句言わないほうがいいよ、って。ほら、相手は若い男で物騒でしょ?何かあったら大変だから、警察に任せなさいって言ってた矢先に、こんなことになるなんて。」
separator
「俺は、やってない!全部、全部、鳩子がやったことなんだ!信じてくれ!」
「鳩子なんて、どこにいるの?」
「今は人間じゃない。やつは蚕から蛾になったんだ。信じて!信じて!」
作者よもつひらさか