「店長って変態ですよね!」
朝のニュースでは、アナウンサーが今年1番の猛暑日になるだろうと言っていた。
外からは蝉の大合唱が聞こえる。
冷房を効かせた店内に居ても外からの日差しがキツい。
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俺の目の前に居るコイツは暑さで頭がやられたのだろう、掃き掃除をしながら突拍子もなく人に喧嘩を売ってきやがった。
「変態って言うと語弊があるなぁ・・・う~ん・・・」
語弊しかないだろう。
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「あ!店長って頭おかしいですよね!・・・あれ?」
おかしいのはお前の頭だ。
普段からぶっ飛んでいるがいつにも増して絶好調なコイツは、ウチで雇っているバイトだ。
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名前は倉科。
オカルト好きの大学2回生。
御覧の通りアホだ。
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「結局何が言いたいんだお前は。」
「う~・・・はっ!店長って凄いですよね!」
「凄い?俺が?俺なんか凡人だ。お前の方がよっぽど凄いぞ。」
勿論悪い意味でだ。
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褒められたと思ったのか「えへへ~、そんな事ないですよ!」等とのたまっている。
近い未来、コイツを雇うであろう会社の事を思うと不憫でならない。
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「今まで色々な事がありましたけど、全部いい感じに解決して来てるじゃないですか。」
「たまたまだ、適当にやったらなんとかなった、それだけだ。」
倉科と出会って5ヶ月程が経っただろうか。
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確かにこれまで色々と不思議な事を体験した。
死ぬんじゃないかと思った事もあった。
ほとんどコイツが持って来た厄介事に巻き込まれただけな気もするが。
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「でもでも!格好良くスパー!っと解決するじゃないですか!
まさか!店長は地獄の底からやって来た正義の使者!」
「んなわけないだろう。」
左手に鬼なんか封印されてるわけがないし、ましてやバリバリ最強でもない。
随分古いネタを知ってるなコイツも。
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「俺にだってどうにもできない事は沢山あったさ。」
店内には、俺が先日購入してきたロンドンで生まれた作曲家のベストアルバムが流れている。
この音楽を聴いていると、ふと脳裏をよぎる光景がある。
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「へー、店長でも勝てない敵が!」
敵じゃない、俺は何と戦っているんだ。
時刻は16時を回ったところだ、時間も時間だしこの暑さの中訪れるお客もいないだろう。時間はある。
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「少し長くなるが、昔話をしてやろうか?」
「聞きたいです!」
テーブル席に座るように促し、俺は2人分の水出しアイスティーを用意する。
倉科の向かいに座った俺は、昔を懐かしむかのように語り始めた。
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数年前、今の倉科と同じ年齢だった俺はロンドンに留学していた。
様々な知識を学び、カフェでバイト兼修行をしているような駆け出しの身だった時の話だ。
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ロンドンでの生活に大分慣れてきた頃、親友と呼べるような現地の友人が出来た。
俺は彼の事をアルと愛称で呼び。
彼は俺の事をユーマと呼んでいた。
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日本が好きなアルに俺は日本の文化等を教え、アルは俺にロンドンの文化等を教えてくれた。
互いに高め合いながら過ごしていた。
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8月の終わり、まだまだ蒸し暑い日々が続く中、俺はアルに誘われシティ・オブ・ロンドンにある音楽ホールに来ていた。
すぐ隣の地区、ホワイトチャペルで生まれた作曲家の手がけた音楽のコンサートを行うとの事だ。
アルは彼の書いた曲を大変気に入っていた。
残念な事に、その作曲家はその年に亡くなってしまったが。
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音楽なんてどれも同じだろうと思っていた芸術センスの欠片もない俺は、このコンサートに衝撃を受けた。
疾走感溢れ、それでいて優雅に。
目まぐるしく変化する曲調。
それはまるで、1つの物語を観ているかのようだった。
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2時間弱のコンサートであったが、初めて聴く生のオーケストラに俺はすっかり魅せられていた。
音楽は文化、言葉、人種の壁を越えるとは良く言ったものだ。
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コンサートの余韻が残る中、俺とアルはホール近くのレストランで夕飯に舌鼓を打っていた。
「なぁユーマ、お前オカルト好きだったよな。」
ジョスパーで調理された分厚いフィレステーキにナイフを入れながら、アルがそんな事を言ってきた。
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「別に好きと言うわけではないが、興味はある。」
「ホワイトチャペルに出るって噂があるんだ、行ってみるか?」
どうやらホワイチャペルのとある路地で女の霊が出るらしい。
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「時間にも余裕はあるな。行ってみるか。」
「ナムアミダブツー!ってやってくれよ!」
出来るわけないだろう、どんな偏見だ。
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霊が出ると曰くの路地は、ホワイトチャペルにあるスポーツセンターのすぐそこだと言う。
程なくして目的の路地に到着した俺達は、辺りを散策する事にした。
あまり治安が良くないのだろう、付近に並ぶアパートの壁には落書きが多数見受けられる。
こんな所に幽霊ねぇ。正直半信半疑だった。
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アパートの建設現場だろうか、立ち入り禁止の柵の向こう。
様々な重機の並ぶ片隅に女が立っていた。
微かにだが顔が見える、年は40代くらいだろうか。
この辺りでは見慣れない真紅のきらびやかなロングドレスに身を包み、虚空を見つめている。
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明らかに異様な光景だ。
ソレが件の女の霊だと気付くと同時、体中を嫌な感覚が走り抜ける。
未練、恐怖、絶望、怒り、憎しみ、人間の負の感情全てを押し込んだような嫌な空気が流れている。
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こちらに害意は感じられないが、アレは明らかにやばい。
隣でびびっているアルの手を引き速足でその場を離れた。
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1ヶ月程が経ち、あの霊の事も記憶から薄れかけていた頃。
俺は所用でシリントン大学に訪れていた。
用事が終わった時にはすでに日が暮れていた、思いの他時間がかかってしまったようだ。
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大学の付近と言う事もあり、飲食店は多い。
この辺りで夕飯を済ませるとしよう。
なにかいい店はないかと、店を物色しながら歩いていた時だ。
向かいの通り、店と店の隙間にある小さな路地裏に真紅のロングドレスを着た女が立っているのを見た。
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先月のホワイトチャペルでの出来事が脳裏をよぎる。
連れてきてしまったのだろうか。
いや、顔が違う別人だ。
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年はこの前見た女と同じ40代くらいだろうか。
あの女と同様にドロドロと負の感情を垂れ流している。
俺は食事をするのを諦め早々にその場を立ち去った。
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だが、どうにも気になるのだ。
共通点の多い2人の女の霊。
少し、ほんの少しだけ調べてみる事にするか。
我ながら好奇心旺盛な事だ、命が9個あっても足りないかもしれないな。
今思えば彼女達に魅入られていたのかも知れない。
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次の日から俺は友人、バイト先の先輩、下宿先の隣人に片っ端から声をかけた。
真っ赤なドレスを着た女の霊の事を知らないか?と。
「まだやってんのかよ~」と、アルには呆れられた。
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進歩のないまま数週間が過ぎ、諦めようかと思っていた頃、アルが1つ興味深い情報を持ってきてくれた。
ブリック・レーン沿いにある元ビール蒸留所の工場。
現在はカフェやギャラリーが入っているそこの地下倉庫に赤いドレスの女の霊が出ると言う。
「ナムアミダブツー!ナムアミダブツー!ナンマンダブ!」
アルがうるさい。
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「ユーマ!幽霊退治するなら教えてくれよな!俺もいくから!」
「別に退治するつもりはないけど、まぁ出来たらな。」
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アルに教えて貰った情報を元に、その日の夜バイトが終わり次第現地に向かった。
が、部外者の俺は倉庫に入れて貰う事はできなかった。
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結局有力な手掛かりを得る事が出来ずに、肩を落としながら近くのバス停に向かうためコマーシャルロードを歩いていた。
左手には単科大学がある。
その大学の名前の入ったバス亭が目前に差し掛かった時、あのドロドロとした負の感情が漂ってきた。
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右手にある路地を見る。
すぐそこに真紅のドレスを着た女が立っていた。
前回、前々回とは違う女だ。だが年は同じくらい40代だろうか。
女は俺に気付かないかのように虚ろな目をして虚空を見つめている。
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今度は目を離さない、何かこの女から手掛かりを・・・
ポタッ・・・ポタッ・・と、水が滴り落ちる音がした。
雨か?いや、振っていない。
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ポタッ・・・また聞こえた、女の方からだ。
血だ・・・女の足元に血の雫が滴り落ちる。
真紅に見えたドレスはただ、彼女達の血に染まっていただけなのか?
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俺は、最初に女を見た路地へと向かって走り出していた。
ここからなら距離は1kmもない、すぐに着く。
工事現場の片隅に以前と変わらぬ姿で女は立っていた。
立ち入り禁止の柵を乗り越え彼女の元へと近づく。
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足元には血溜まりが出来ていた。
血に染まった3人の女。俺は確信に近いものを感じていた。
同時にもしそれが正しいとするなら、彼女達をとても不憫に思う。
アル、俺には彼女達を退治できそうにないわ。
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次の日、俺はアルを連れて図書館にいた。
俺が開いているのは服飾関係の本だ。
ロンドンの衣服の歴史を調べている。
隣ではアルが欠伸を堪えているのか、苦虫を噛み潰したかのような顔をしている。
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ページを捲る手が止まる。
そのページには俺が見た女達と似たようなドレスを着た女が移されている。
説明文は・・・1800年代後半、主に娼婦達が着ていた服だと書いてある。
「やっぱりか。」
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俺が真剣に呟いたのを聞いたアルが反応する。
「お!なにかわかったか!幽霊退治か?アクリョウタイサーン!」
図書館では静かにしなさい。
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最初は興味半分で始めた事だったが。
俺を待ち受けていたのは思いの他ハードな結果だった。
「簡単な事だよワトソン君。」
わざとおどけたように言ってみせる。
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俺はおもむろに地図を広げる。
ダーウォードストリート、初めにアルと俺が女を見た場所だ。
マイターストリート、シリントン大学からの帰りに俺が女を見た場所だ。
ヘンリケスストリート、昨日俺が女を見た場所だ。
ハンベリーストリート、女を見る事は出来なかったが、アルに教えて貰ったビール蒸留所の工場跡のある通りだ。
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俺が見た女達はおそらく40代、全員が1800年代後半の娼婦の恰好をしていた。
「ホワイトチャペル・マーダー・・・」
現地人のアルだ、ここまで言えば気付いたのだろう。
掠れた声でそう呟いた。
そう、彼女達はおそらくホワイトチャペル・マーダーの犠牲者達。
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と、言っても日本では馴染みの無い名前だろう。
日本ではこう呼ばれるのが一般的か
ジャック・ザ・リッパーと・・・
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ふぅ・・・
俺は大きく息を吐く。
一気に話したから喉が渇いた、手元にあるアイスティーで喉を潤す。
外からは夕陽が差し込み、琥珀色の紅茶を真紅に染め上げている。
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「それで!続きはどうなったんですか!」
正面では倉科が興奮している。
「これで終わりだが?」
「えー!アクリョウタイサーン!しないんですか!」
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「最初に言っただろうが、俺にもどうにも出来ない事もあったって。」
つい先程の会話を忘れたのか、どんな鳥頭だ。
「それに彼女達は、1世紀以上もあそこに居続けてるんだ。俺なんかじゃどうにも出来ないさ。」
産業革命後、霧の都と揶揄されていたロンドンに突如現れた殺人鬼ジャック・ザ・リッパー。
様々な推測が飛び交ったが、犯人は捕まらないまま事件の幕は閉じた。
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「犯人もとっくに死んでるだろうしなぁ。俺が切り裂きジャックだー!って言って暴れ回ればどうにかなったかもしれないが、生憎とまだ人生辞めたくないからな。」
彼女達を救えるのはきっと俺ではないだろう。確信めいたなにかがある。
「じゃあ、その女の人達はまだ・・・」
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彼女達は今もなお、きらびやかな真紅のドレスを身に纏い。
薄暗いロンドンの路地に佇み続けているのだろう。
もう、決して会える事の出来ない想い人を待ち続けて。
作者フレール
店長シリーズ(仮)の第3弾になるのでしょうか。
少しでも、皆さまの時間潰しになればと思います。