今日、俺の部屋に女神が訪れた。
朝から雨がしとしと降っており、まるでこれからの俺のキャンパスライフを物語っているかのように空は泣いていたのだ。
ドアが開いた時、空は嘘のように晴れた。
灰色の雲を分け、ハレルヤと歌いだしそうな光と共に、彼女の笑顔が俺の部屋に差し込んできたのだ。
「本日、隣に越して来たトオノと申します。よろしくお願いします。つまらないものですが。」
と、俺に小さな菓子折を差し出してきた。その菓子には見覚えがあった。
「これ、博多の女(ひと)ですね。」
「そうなんですよ。実家が博多で。」
「僕もです。」
「えっ?そうなんですか?奇遇ですね。これからよろしくお願いしますね。」
彼女が花のように微笑んだ。
キャンパスライフは、クソだが、お隣にこんな美人が越して来たのだからまんざらでもないな。
「よろしくおねがいします!」
俺は不自然なほど腰を折った。
俺は、受験に失敗し、滑り止めで受けたこの工科大学に今年度から通うことになっている。工業系だからもちろん、野郎ばかりで女子はわずか。
その中でも工学部なので、ほぼ出会いは皆無。
オープンキャンパスでほぼ察しはついた。女子はほとんどおらず、しかもお世辞にも綺麗な子と呼べる子はほぼ居なかった。まあ、滑り止めだし、志望校に受かれば、俺は幼馴染のSに告白するつもりだった。
そう、Sがそこへ進学することがわかっていたから、俺も一緒に入学するつもりでいたのだ。だが、俺だけ、志望校に落ちた。Sはその大学に進学、後でわかったことだが、同じく幼馴染のDも同じ大学に進学したとのことだった。
知らないのは俺だけ。SとDはすでにずっと内緒で付き合っていて、二人揃って志望校へ進学したのだ。俺はとんだピエロだ。俺だけが知らなかった。
俺がSを好きなことを皆が知っているので、優しさから俺には知らされなかったのだ。
ぶっちゃけ、そんなのは優しさでもなんでもない。
陰で俺を笑っていたに違いない。
俺は、誰も信用できなくなった。
トオノさんか。年のころは20代半ばってところかな。
俺より少し年上かもしれない。
社会人だろうか。
俺の心に鬱積したものが、少しだけ溶け出して行った。
教室の戸を開けると、そこは見事に野郎ばかりだった。
あっちを向いてもこっちを向いても野郎。
女の子が居るのは情報科のほうだけ。
キャンパスとはいえ、小さな街中のビルに無理やり詰め込んだようなお粗末なものだ。出会うとしても、10パーセント程度の女子を取り合うよりは、よその大学と合コンでもしたほうがまだマシだけど、そういうチャラチャラしたやつとは、昔から相容れない。
というか、お誘いすらない。
俺は、ダサ眼鏡なのだ。眼鏡は眼鏡でもチャラ眼鏡ならモテる。
俺の性格上、それは無理だった。女の子と上手く話せない。
たとえ、チャンスがあったとしても、ただのお友達で終わりだ。
そんな俺だが、全くモテないわけでもない。
入学式の日、一人の女の子に声をかけられたのだ。
その女の子はJ。女の子と言うには憚られるほど。
見た目は大阪のおばちゃんだ。とても同い年には見えない。
太いし声もでかい。やたら馴れ馴れしい。
早速見つけられてしまい、まるでJは恋人のように俺の腕に腕を絡めてきた。
「ちょっ、何すんだよ。馴れ馴れしい。」
「いいじゃん、照れなくてもさあ。」
なんてあつかましい。周りがニヤニヤと奇異の目で見る。
「お似合いだな」
ぼそっと小さな声が聞こえる。
クスクス笑い。
最初からもう憂鬱だ。最悪。結局彼女は俺の隣に当然のように座った。
初めての講義が始まる。
教室の戸が開くと、どよめきが起こった。
俺は、隣のJがまとわりつくことに気を取られていて、一瞬遅れて、そちらを見た。
「嘘っ!」
俺が小さく言うと、Jが不思議そうに俺を見た。
なんと教室に入ってきたのは、お隣さん。
トオノさんだったのだ。
俺はいつの間にか立ち上がっていた。
それに気付いたトオノさんは、こちらに気付いて微笑んだ。
トオノさんは何故か教壇に立った。
「はじめまして。これからこの講義を受け持つトオノです。」
どよめきと男達の歓声。
嘘だろう?トオノさんが教授?
教授なんて、どう若くても、30代後半だよな?
あり得ない。どう見ても、20代半ばくらいにしか見えないんだけど。
Jが俺のシャツの裾を引っ張ってようやく俺は我に返って着席した。
Jは何か言いたげに俺を見る。
いやいや、何でお前にそんな不満そうな顔をされなきゃなんないんだよ。
彼女じゃねえし。
美人教授はあっと言う間に男共を虜にした。
俺のキャンパスライフ、まんざらでもないぞ。
Sにフラれて、傷心の俺だったが、一気に気分が上がってきた。
隣に住む美人が実は、大学の教授だった。
こんなマンガみたいな設定、あるんだ。
ここに居る野郎共全員に自慢したかった。
俺は美人教授の隣に住んでいるんだぞって。
でも、これは俺だけの秘密にしておきたかった。
いや、俺と彼女、トオノ教授だけの秘密。
何もないのだけど、その言葉を頭で妄想するだけでも俺は気持ちがウキウキした。
Jは俺の住所やメアドを聞きたがったが絶対に教えない、と思った。
悪いけど、タイプじゃないんだ。
それに俺は、トオノ教授に恋してしまったのだから。
「ホントびっくりしたわ。あなたがうちの生徒だなんて。」
「ぼ、僕もびっくりしました。まさか、トオノさんが教授だなんて。僕はてっきりトオノさんは20代だと思ってたから。」
「まあ、お上手ね。オバサンでごめんね。」
「と、とんでもない!ぜんぜん!見えないっすよ。」
俺と教授が話すのを、周りの野郎共が羨ましそうに見ている。
めちゃくちゃ気分がいい!
あとで、話したこともないチャラ男が知り合いなのかとか、しつこく聞いてきたけど、口が裂けてもお前になんて、彼女が俺の隣に住んでるなんて言うものか。何かにつけて口実を作り、友達でもないのに友達の振りをされそうだからな。
そんなのはまっぴらごめんだ。俺だけの特権。
俺はスキップして飛んでいってしまいそうだ。
そんな俺にも、一人くらいは友人ができた。
こいつは、顔は凄く綺麗で、チャラ男たちから合コンにも誘われたが、全て断っていた。恐らく、こいつをダシに女の子たちを釣ろうという魂胆だろう。
しかし、この男は驚くほど冷淡で、無表情。女の子からもよく声をかけられたが、無下に断った。俺からすれば羨ましい限りだ。
何故か、俺たちは、音楽や本の趣味が合う。無愛想だが、馬が合うというやつだ。無愛想で物静かなところが、俺にとっては安心できた。
馴れ馴れしいやつにロクなやつはいない。
友人の名前は零。
絶対零度の零。彼にふさわしい名前。
たいてい俺たちは連るんでいた。
学食も一緒。
とにかく零が居てくれれば、Jに付きまとわれることもなかった。
Jは零が嫌いだ。
変な女。零の方が俺なんかよりも絶対にいい男なのに。
俺は零にだけは、こっそりとトオノさんの隣に住んでいることを教えた。
その時、無口な零がボソっと俺に告げた。
「あの女はやめとけ。」
他人の恋愛になんてちっとも興味がなさそうなくせに。
「なんでだ?いや、別に俺は・・・」
心のうちを見透かされた俺はしどろもどろになりそう言いかけると
「あの女には悪い物がついている。」
と言うのだ。
零が他の人間から敬遠される理由はこれにもある。
零は「ミエル」性質なのだ。
「トオノさんに、何か悪い霊でも憑いてるのか?」
そう聞いても、零は黙ったままだった。
「お、俺は目に見えない物は信じられねえんだ。別にお前が嘘をついてるって言ってるんじゃないぞ?」
零は黙って缶コーヒーをすすった。
「彼女に何か悪いことが起こるのか?」
俺が零に問うと、チラリと俺を見て言った。
「いや、むしろお前にというべきかな。」
そう言ったっきりまたコーヒーをすすった後は何も語らなかった。
そんなことを言われても、俺の気持ちは変わらないよ。
もう毎日毎日、隣に彼女が住んでいて、毎朝毎朝挨拶を交わすというだけで、胸がドキドキしてしまう。
生徒と教授という立場は相変わらずで、お隣さんという立場も相変わらずで、何一つ進展もあるはずもないんだけど、俺は彼女に恋してしまっているんだから。
(続く)
作者よもつひらさか
某サイトに応募していた作品が見事に落ちましたw
同時に応募禁止と要項にあったので、こちらへの転載をしていませんでしたが、落ちましたので転載しますw