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中編7
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心霊内科医

俺は依頼された通り、そのマンションを訪れた。

インターホン越しに聞こえたのは男性の声だった。

「どちら様でしょうか?」

「はい、そちらの千春様のお母様からご依頼いただきまして、お伺いさせていただいたのですが……」

「ああ、お義母さんの……確かに伺っております。どうぞお入りください」

どうやら声の主は依頼者の娘の旦那さんらしい。

玄関口に現れたのは先程インターホンに出ていた旦那さんらしかった。

年の頃は30代中頃の少し影のある男性だった。

「どうぞ」

という短い言葉の中には、あまり歓迎されてない雰囲気が感じられたが、俺を部屋の中に招き入れてくれた。

部屋の中は昼間だというのに、薄暗く感じた。明らかに光が足らない。

そして何やら、妙な瘴気が立ち込めているのを感じた。

「どうぞお座りください」

「あ、どうも失礼します」

俺達は台所テーブルに向かい同士で座った。

「どうも、わざわざお越しいただきありがとうございます」

「いえいえ、仕事ですから」

「貴方はお義母さんの主治医だそうで、事情はどの辺までお聞きになられているのでしょうか」

「いえ、余り先入観を持ってはいけないと思い、詳しくは聞いておりません。むしろ、お聞きしたいのですが、なにかお困りの事でもあるのでしょうか」

反射的に嘘を吐いてしまった、本当は大体の事は千春さんのお母さんからお話は聞いている。

「ええ、まぁ……困ってると言えば困ってるんですが……」

と少し男は口ごもった風な様子を見せた。

こういう時は、無理に聞き出そうとしてはダメだ。

相手が言い出そうとするまで、忍耐強く待つことが肝要である。

「その……眠れないというか」

「はぁ、眠れない。何か理由はあるのでしょうか、例えば何か悩みや不安と言ったものが……」

「ええ、妻を亡くして間もないですから、少なからずありますが、そうではございません」

「というと?」

「もっと物理的というか……いや、物理的ではないな……どう言ったらいいでしょう」

「さぁ、それは分りませんが……眠りを邪魔する直接的原因があるという事でしょうか」

「そうです。つまりは煩いという事なんですが」

そのパターンか…と思った。

不眠症患者には音がして眠れないというのは良くある症状の一つだ。

鬱病一歩手前の患者だったら、幻聴が聞こえるというのはむしろポピュラーな症状だ。

しかし、この特殊な条件でもそれはそう呼ぶのだろうか?

「どのような音がするのでしょうか?またその原因を探ってみたりしたのでしょうか?」

「何と言いますか、普通の生活音がするんです、トイレに入ったり、部屋を出入りしたり、廊下を歩いたりする音を私以外の誰かがたてているのです」

やはり幻聴か……しかし、やはりこの特殊な条件ででもそれそう呼ぶかという疑問は残る。

「ええ、幻聴と思われます。一度、心療内科などで診察をお受けになったらいかがでしょうか?」

「しかし、幻聴とは思えない事もあるのです!」

男は急に力のこもった声で言った。

「誰もいないリビングのテレビが点いたり、湯沸かし器が勝手に作動したり、勝手にトイレの水が流れたり。これらは幻聴だけでは説明が付きません!」

ガチャリ。

「……」

「……」

その時、奥の寝室と思われる部屋が開く音がした。

ペタペタペタ。

「……」

「……」

そして、何かがこちらに向かってくる音も……音はだんだん近づいて来ている。

旦那さんもこの音が聞こえているのか、顔をこわばらせている。

台所に姿を現したのは30台前半と思われる女性だ。

これでやっと、今日俺がここに来た目的が現れてくれたという事になる。

「あの……今の聞こえました?」

「いいえ」

俺はまた反射的に嘘を吐いた。

俺には聞こえているどころか見えてすらいる……しかし、男には女性の姿は見えないらしい。

『ふーん、なんか騒いでると思ったら、お客さん来てんだ』

女性が呟いた。

「……」

「……」

旦那さんは何も反応を示さない、どうやら旦那さんには見ることのみならず、声すらも聞こえないらしい。

聞こえるのは物音だけみたいだ。

女性はつまらなそうに俺の横の椅子に座ると、だらしなく机に俯せになり顔だけを俺に向けた。

どうやら俺を睨んでいるようにも感じる。

「嘘だ!貴方にも聞こえたはずだあの音が!じゃなきゃなんで今一瞬、間が開いたんですか」

「そんな事より、話の続きをしましょう。その他に、幻聴でないと思われる理由はあるのですか」

そうしている間も女性は俺の顔をじっと睨むように見つめている。

「その前に本当の事を教えてください!」

「……」

「貴方も、今の物音聞こえたんですよね?」

「いえ、あの……」

「お願いします、私の幻聴だけではないと言ってください」

「ですから、幻聴かどうかはちゃんとした心療内科の施設で診てもらわないと正確な判断は……」

『あー、こいつ私の事見えてんじゃん』

女性はすっと上体の姿勢を正すと、敵対心むき出しの怨恨に満ちた表情で呟いた。

その様子が分らない旦那さんは、引き続き俺に詰問をする。

「もう幻聴かどうかなんてこの際どうでもいいです!貴方の真実が知りたいのです!今、物音が聞こえましたよね!」

俺はついに意を決した。

「はい、失礼しました。本当の事を言います」

「はい、お願いします」

「実は全部聞こえていました。それどころか今、私の横に女性が座っています。恐らく、千春さんと思われる女性です。そしてどうやら、私が見えている事がその女性にばれてしまったようです」

『お前、声も聞こえるのか!?』

「千春が!?」

二人は、そろって驚愕したような表情になった。

こんな状況だが何故か夫婦っぽいなと微笑ましい感じがした。

「そこで申し訳ございません、少し、千春さんと話をさせてもらって宜しいでしょうか?」

「ええ、構いませんというかよろしくお願いします!」

俺はそれを聞くと軽く一呼吸した。

『貴方いったい何者なの?なんでここに来たの?』

「千春さんのお母さんから頼まれたのですよ。貴女の事をよろしく頼むと」

『お母さんが……』

「私は随分前から、お母様の主治医をしていますが貴女が小さかったであろう頃からよく話は聞いていたんですよ。貴女が結婚した時なんかは本当にお喜びになっているの手に取るように解りました」

『……』

「千春さん、貴女は何故こんな事をしているのですか」

『何故そんなことお前に言わなきゃいけない』

「罪滅ぼしですか?」

その瞬間、先ほどまで今にも俺の事を呪い殺しそうだった千春さんの表情が、糸が切れた様に無表情になった。

『そうよ!この人には私が着いてなきゃいけないの……私が文字通り死んでからもこの人面倒を診るの』

「それもいいでしょう……ですが、その前に一つだけあなたに質問してもいいですか?」

俺の予想ではこの質問で、この部屋のルールがひっくり返り、なんとなく漂っていた違和感が無くなる。

それを感じたのか、旦那さんも千春さんも不安げな表情を見せた。

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「千春さん、あなた何故自分が死んだと思っているんですか?」

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「あああああ!!!」

千春さんは急に叫び始めた、おそらくフラッシュバックによる一時的なパニックだろう。

初めから少し荒療治になる事は覚悟していたので想定内だ。

いや問題あるとしたら隣の住人に警察を呼ばれてしまうかもしれない事だ。

「千春さん!貴方は恐らく、コタール症候群に非常によく似た障害を患っています!自分はもう死んでいると思ってしまう精神疾患なのです!」

千春さんは依然叫び続けている。

こうなってしまっては、もう強く語りかけるしかない。

「原因の解明がまだまだ進んでいない疾患ではありますが、貴方の場合、旦那様を病気で亡くしたのが一つのきっかけだと思われます。

千春さん……貴女は旦那様を幸せにすることが出来なかったことが罪の意識になってたんですよね?

その贖罪のため自分が死んで、旦那様の面倒を見るという自己犠牲の世界を作って、その役に徹したかったんですよね?

でももう大丈夫です、お母様からも聞いています、あなたは十分強い人です。

もうこのような一次凌ぎのような世界に居なくても、現実と向かい合って生きて行くことが貴女ならできます!

その為のお手伝いも、医者として私が出来る限りサポートいたします!

だから気をしっかり持ってください!!」

気づくと千春さんは体を時々震わせ、すすり泣く程度にまで落ち着いて来ていた。

「コタール症候群は、簡単に治る病気ではありません。しばらくは、当クリニックに通院するよう促すようにとお母様から依頼されています。名刺をここに置いとくので、後でご連絡いただきましょうお願いします」

俺は名刺をテーブルに置き、台所を出て部屋を立ち去ろうとしたその瞬間

『あの……』

旦那さんが俺を引き留めた。

「あ、貴方の事を忘れておりました」

『私はどうなるんでしょうか』

「貴方は千春さんの世界に必要だった部品です、言わば千春さんの生霊のような存在です。しかし、その世界が崩れ去った今となっては……」

『やはり、まもなく消えてしまうんですね。私は千春の記憶の中にあった私で形作られています、ひょっとしたら本物の私以上に千春を愛していたかもしれません。だから最後に言います、千春の事をよろしくお願いします』

旦那さんは俺に頭を下げた、俺も反射的に頭を下げたがその頭を上げると旦那さんの姿は既に無くなっており、部屋に立ち込めていた瘴気もすっかり消え失せていた。

Concrete
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