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長編10
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罪の意識

決して大きくないその部屋には、将来の兵士の卵ともいうべき若者と白衣を着た女性が居た。

女性はカウンセリングを行うためにそこに居り、若者はカウンセリングを受けるためにそこに居る。

若者達の間では、今行われているカウンセリングの結果が、今後も兵士としての道を歩けるかどうかにかかっていると専らの噂だ。

「それで貴方は今後兵士となり、分隊、小隊に配属されるわけだけど、なにか不安な事とかある?」

女性はおざなりな、自己紹介の後、早速本題に入った。

「自分は今のところ、不安などを感じている事は在りません」

若者は実に軍人らしく答えた。

女性は特にその様子に感じ入るとこが無かったのか、表情に特に変化が現れない。

「あら、立派な解答ね、貴方きっと優秀な兵士の素質を持っているわ」

「ありがとうございます」

「貴方なら、上官の命令で今すぐ丸腰の敵100人を撃てと言われても、動じることなく即座に命令を実行することが出来るわね」

「……」

若者は言葉を失った、そのような質問が来ることは予想はしていたが、いきなりとは思わなかった。

なにより、若者はその問いに対する明確な答えを持っていなかった。

(どう答えるのがベストなのだろう、平然と『撃てる』と応えればいいのだろうか

それとも、正直にそのような命令があった時にそれを実行することが出来るか『分らない』と答えるべきか)

若者は『決断は直ぐにしなくてはならない』そのように今までの訓練でも言われ続けていた。

「いいのよ、普段は何事も即断しろと言われてるでしょうけど、今回のこれだけは特別よゆっくり考えて頂戴、その代りあなたの本音を教えて頂戴

貴方たちの噂では、このカウせリングの結果が今後を左右するなんてことになっているらしいけど、そんな事はないわ

純粋に貴方たちの心のケアが目的なの

だからあなたの喋ったことは何の記録には残らないし、私達もよほど特殊な事情が無ければ軍に情報を提供する事もしない」

若者は考え込んだ。

(もし彼女の言っていることが嘘で、このカウンセリングが記録され教官に渡り、兵士になる道が塞がれたとして別に困る事は特にない

別になにがなんでも軍人になりたい訳ではないのだ

もともと、ミリタリー好きが高じて、海兵隊に志願してこの訓練所に来てしまっただけだ)

「正直なところを言うと、その時になってみないと自分は分りません」

「ふふふ、そうね。それが本音でしょうね、それが普通だと思うわ

でも、それは何故かしら?兵士が人を殺すのは当たり前の事よ、あなたには罪はない。何人殺そうが敵兵である限り、あなたは囚人になったり裁判にかけられることもない」

「そういう事ではないです、例え社会的に罰せられようが、人を殺すという重みを自分が乗り越えれるか今のところ自信が持てません」

「そう……ところで貴方は緊急避難て知ってる?」

「はい、言葉だけは」

「簡単に言ってしまえば例え第三者に被害を与えたとしても、それによって避けえた被害がその被害を遥かに上回るものだったら罪にならないという刑法上の考え方よ、この考え方は理解できる?」

「はい、出来ます」

「たとえば難破時の8人乗りのボートに既に8人乗っている状態、どう頑張ってももう誰も乗れない、あなたの愛すべき家族も乗っている

そこに誰かがそのボートに手をかけて来た、今にもボートは転覆しそうな状況、あなたならどうする?」

「きっとその手を振り払うでしょうね……」

女性はその答えを聞くと、再び「ふふふ」と短く笑った。

「もしここに、そういう人が居たとして貴方はその人の事を許せる?」

「はい、許せます」

「何故かしら?」

「尊い一人の犠牲によって多くの犠牲を避けれたからです」

「それは違うわね」

女性はことのほか鋭いく言い放った。

若者もまじまじとそんな女性の顔を見ている。

「貴方がその人を許せるのは、あなたも同じ立場なら同じ事をするから……違う?」

「……」

「もしそれを罪とするなら。貴方が罪を起こさなかったのは自身の行動の抑制からではなく、ただそういう事故に遭わなかったから、つまり運が良かったからということになってしまう

罪とは運の有り無しで決めていい事なのかしら」

若者は何故か反論することが出来なかった。

「ええ、そうかもしれません。では罪とはなにをもって決められることなのでしょうか?」

「分らない?簡単な事よ」

「分りません」

「いいわ、発生した被害……それが罪かどうか、その判断基準は不可避だったかどうかよ」

「不可避……」

「今のボートの話で言えば、手を振り払らうか否かは選択が可能な状態だった、つまりそれが罪の意識を湧かす源泉だと思うのだけど

それはあくまで物理的な話よね、心理的にそれ以外の選択は可能なのかしら

自分の命、家族の命、そしてそれ以外のボートに乗っている人たちの命、それらすべての命と目の前の一人の命を天秤にかけたら

その行動は心理的に不可避ではないのかしら」

「……」

「つまり、仕方なく与えてしまった被害は、罪にはなり得ないという事よ

子供が生きる為にパンを盗んでしまう事は悪い事もかもしれないけど、子供に罪はない

あるとしたら子供をそんな環境においてしまった、親や社会じゃない?」

「つまり、自分が上官の命令で100人の丸腰の敵を撃っても、それは生きるに困る子供がパンを盗むのも同じだと言いたいのですか?」

「何か違うの」

「違います、自分は子供ではありません。分別の付く大人です、自分のとる行動は責任を持つ必要があると思います」

「それは違うわ、子供と大人の違いが分別が付く付かないの違いだとして、重要なのは不可避かどうかよ。それが悪い事と意識しようが不可避であるなら、それは罪ではないわ」

「でも自分にはそれをしないという選択肢もある筈です、必ずしも不可避とは言えないのではないでしょうか」

「本当にそうかしら?なるほどあなたは拒否しようと思えばできるかもしれない、でもその場合貴方はどうなるの?命令不服従による軍法会議、戦時中なら敵兵のスパイと判断されて上官の独断で処刑されるかもしれない、そのリスクを負ってでも貴方は命令に背くなんて出来るかしら」

「そのような状況であったとしても、自分の選択した行動に無責任になれるような人間では自分はありません

例え罪がないと頭でわかっていても、人の命や想いというものはとても尊く、そんな簡単に割り切れる事なんてできません」

若者は自分に言い聞かせるように、しかし、強い意志が感じられるような様子でそう言った。

女性はそんな様子の若者を観察するように見つめていたが、やがて、大きなため息を吐いた。

「なるほど責任感が強いのね、でも貴方のその行動は、本当に自分で選択した結果なのかしら」

「自分の行動は、自分で選択しています

確かに状況によって人は選択を強要されることはあるかもしれません

しかしそれでもやはりそれはその人がした選択であると、自分は思っています」

「いえ、そう言う事ではないの。どういえばいいのかしら……貴方は意識がこのような選択をしていると考えてるの?」

「すいません、言っている意味が解りません」

「そうね、厳密な言い方ではないのだけれど……貴方は自分でいろいろ考えた結果が脳へ、脳が体へと命令をして行動していると思っている?」

「随分……堅苦しい言い方に聞こえますが、普通そうではないのですか?」

「そのように感じるかもしれないけど、そうではないわ。先に体が行動して、意識は後からやってくる」

「そんなこと言われても信じられません、例えば今ここで俺が腕をあげます」

男は右腕を上げた。

「今、明らかに自分は腕を上げたいと思い、その後腕が上がりました」

「そのように思えるだけよ、貴方は意識が脳を制御していると思っているのね、つまりあなたは貴方という意識の制御下に脳があると……でも、それは逆よ

意識は脳が作り出している幻想なの、脳が体の各所を制御しているように、脳が貴方の意識を制御しているの

例えば脳の特定の箇所が損傷を受けると人は意識を失う、これは脳が意識をつくりだしているという証拠じゃない?」

「……でも、今自分は確実に腕を上げたいと考えてから、腕をあげました。これは意識が腦を、脳が体を制御してるからではないのですか?」

「ところがそれが違うの、こんな話があるわ

脳の活動状況を詳細に調べてみると、人が腕を上げる時まずは腕を動かす命令を出す部分が活発化し、その後に意識の上で腕を上げると考える部分が活発化するの、つまり脳は腕を上げてから腕を上げようとするって事

その間わずか0.5秒、これは人種、年齢、性別に限らず全部そうなの」

「例えそうでも納得できません、少なくとも自分はその0.5秒の誤差を感じることは出来ませんので」

「ええ、そうでしょうね、だって脳がそのように意識を作り上げているのだもの」

「どういう事ですか?」

「つまりね

 1.脳が腕を上げる命令を出す。

 2.脳は0.5後に『腕を上げようと思う』意識を造りだすのではなく『0.5秒前に腕を上げようと思った』という意識を造りだす。

ということよ」

「何故そうだと言えるんですか?」

「論理的演繹法による帰結よ、脳の状態が先程の順番に活発化するというのは客観的な測定を行った結果であり、誰でも観測できる事実なのに対し

意識が働いてから体が動くというのは、その本人による主観的な感覚でしかない、どっちを正と取るかは考えるまでもないわね

で、体が動いてから意識が作られるにもかかわらず、意識が先に働いたと感じるならば答えは一つよね、造られた意識が改竄されていたと考えるのが一番自然で論理的だわ」

「……でも、今自分は確実に腕を上げたいと考えてから、腕をあげました」

「ええそうね、『考えて』から『腕を上げた』のよね。それは同時に行ったことではないわよね

話の流れから、腕を上げる例を思いついたっていうのが今の貴方が言った『考える』よね、私がさっきから話しているしているのは一動作、一動作の事よ。

その観点で言えば貴方はあくまで『考えて』から『腕を上げた』という二つの動作を行ったに過ぎない

ところで、『考える』というのは、貴方の意識がした事?本当にそうだと言いきれる?

それは脳が『そう考えたと』という意識を作り出してはいないと言い切れる?」

「……例え、言い切れると自分が言ってもそれは主観でしかないという意味では、自分にその証明能力はないです」

「フィルムは映写機によってスクリーンに映像を映すことができる

スクリーンに映し出される映像は分りやすい、でもその映像の本質はフィルムとその映写機にあるわね

意識というのはスクリーンに映し出された映像でしかなく、それを映し出す本質は脳にある

脳がした計算結果を出力したもの、それが意識の正体よ」

「……」

「脳というのは非常に複雑ではあるけど物質よね、物質である以上物理法則が支配している、つまり自然現象って事ね

だから例え、その結果なにか貴方が重大な損害を人に与えたとしても、それは自然現象よ

そしてもっと重要なのは、貴方が尊いと思っている人の意識や想いと言ったものもそういった、所詮は自然現象の一部でしかない

そんなものにそもそも罪なんてあるのかしら」

「とてもそんな風には……」

「考えられない?でも考えるのは脳の仕事、貴方はそれを映し出すスクリーンに過ぎない。

今はまだ、混乱しているかもしれない貴方の脳は、やがてこの情報を整理した後どのようなアウトプットを貴方にするのかしら

人間はとても複雑で不可解な動きをするけど、それは精巧に出来たカラクリ人形だからというだけの話」

「……」

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若者は暫く項垂れていたが、女性がカウンセリングが終わったことを告げると力なく部屋を出て行った。

俺はそこまでの様子を確認するると、モニターを別の部屋に切り替えた。

そこには白衣を着た男性と先ほどと同じぐらいの年齢と思われる若者が映し出された。

調度その時、俺の監査ルームに先程の女性が入ってきた。

「あんな感じで良かったかしら」

「ああ、非常にうまかったよ、次は30分後だ、それまで休んでいてくれ」

女性は、部屋にあるソファに勢いよく腰を下ろした、疲れているらしい

「でも、こんなことしていいのかしら」

「なにが?」

「これって、なんだかマインドコントロールみたい」

カウンセリングと称して、兵士見習いに最終的な心の教育をし、理想的なキリングマシーンを養成する。

それがこのプログラムの目的だ。

勿論それによってあまり宜しくない結果が出た兵士は直接に戦闘とは関係ない部署に配属されたり、場合によっては除隊させられる事もある。

「そんなこと言ってもらっては困るな」

俺はため息交じりに言った。

「失礼しました、言葉に気を付けます」

「いや、そういう意味じゃない。『みたいな』ではなく、これは完全にマインドコントロールだよ

そのつもり事に当たってくれないと困ると言っているんだ

もっとも嘘を吐いてるわけじゃないから、騙してるわけじゃないがな

ただ、その為の努力は充分過ぎる程している」

「……」

「人に物事を信じ込ませるのに必要なのは、信じさせたい物事自体もさることながら、その時の環境が重要だ

その点、先ほど君が居た部屋は完璧に近い環境を保っている

室温、湿度、気圧、程よい雑音など、それ以外にもいろいろ気を配っている

今回、先程の若者は君に担当してもらったが、彼は幼少期にちょうど君と同じような背格好の学校先生に世話になっていて、その人の言う事は何でも聞くそうだ

それに本日の彼の食事に、幻覚剤の一種を混ぜるように担当教官には伝えてある」

「そんなことまで、随分容姿周到ですね

……あの、本当にこんなことしていいものなのでしょうか?」

俺は再び、溜息をついた。

「なにを言っているんだ、君もさっき自分で言ってたじゃないか

そもそも、脳が勝手に選択してるんだから、自然現象に善いも悪いもない

我々は所詮カラクリ人形なんだから」

Concrete
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腐煙さん
読んで頂きありがとうさございます。
哲学ですか。確かに初心者にわかりやすい図解哲学入門書を読んでる時にこの話思いつきました。だからちょっと哲学っぽいのかもしれませんね。

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