長編18
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就しょく

美幸はただ立ち尽くすしかなかった。

生臭い臭いが漂う。自分が選んだとはいえ、現実だと受け入れ難い光景が目の前にある。

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────暑い……。

桂木美幸は、部屋の隅っこでそよ風程の強さでウンウン動いている扇風機の前に顔を近づけた。

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はぁ……と溜息をつき美幸は寝転がった。

ベッタリと肌に張り付く畳の感触を不快に感じながら縁側の外に目をやると、今年47歳になるひっつめ髪の母が洗濯物を干している。

いつものつまらない光景。

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まだ18歳の美幸には、産まれ故郷である稲井村はとても退屈だった。

美幸が住む場所は稲井村の一部の集落で、見渡す限り青々とした稲が生茂った土地に、ポツポツと古い家屋が不規則に建っている。

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この集落で若者といえば、美幸と同じ18歳だと、親友の佐竹絵美、

寝ても覚めても釣りの事ばかり考えている冴島公貴。

そして、一つ年下で17歳の軽度の発達障害のある原優子。

あとは、タバコ屋を営んでいる老夫婦の息子が、今年32歳でどちらかといえばまだ若い。

それを除けば後は棺桶に足を突っ込んだような年代の者ばかりである。

娯楽は、釣りか麻雀かお酒くらいなもので、とても美幸が満足できるものではない。

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村には子供が少なく全部で8人程しかいないため、学校は村内にある廃校寸前の小中高一貫校に通っているが、それももうすぐ卒業する。

なんとなく生きてきた美幸には目標というものはない。

だからこうして縁側で、夏休み中唯々煮えきらない日々を過ごしている。

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ただ、目標のない美幸にも夢はあった。それは、県外……いや都会に出ること。

なぜ目標にしないのか?その原因は、この美幸の性格にある。

どうにも全てにおいて情熱というものがない。

熱する事がないので、叶う事も冷める事も無い。

だから目標ではなくただの夢なのだ。

もし都会に行ったら……と絵美と妄想しているのが好きだった。ただの夢で、いいのだ。

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「なんか楽しいこと起きないかな。」

またそんな事を緩く考えながらゴロゴロしていると、

────ジリリリリ。

家の電話が鳴った。

出たくない、面倒。

美幸は無視しようとしたが、あまりにしつこく鳴るので、やっとの事で畳と一体化した重い体を起こし、嫌々受話器を持ち上げた。

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「……もしもし?」

電話に出るやいなや、割れたガラスで鏡を引っ掻くような金切声が鼓膜を突き抜けた。

「もー!なんですぐ電話出ないの!ずっとタバコ屋で待ってるのに!」

美幸は霧がかった頭でしばらく考え、絵美と会う約束をしていた事をやっと思い出した。

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「すぐ行く。」

絵美の返事を聞くことなく、それだけ言うと美幸は寝起きのままのTシャツとジャージ姿で、履きなれたサンダルを足にひっかけるようにして外に出た。

絵美は怒ると怖い。顔こそ素朴で可愛らしいが怒らせるとこの辺りでは右に出る者はいない。

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美幸の家は傾らかな傾斜の上にある。傾斜の両脇にはこれまた畑が広がっており、車が1台通れるくらいの狭さだというのに、道端には畑仕事の合間に地面に座り込んで昼食をとっている年寄りが点々といる。

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5分程坂道を下って車2台分の広さの道に出ると、ポツポツと至るところに椅子が置いてある。

この椅子は、年寄りばかりの集落という事もあり、歩いてる途中に村人がくたばってしまわないよう、タバコ屋の息子が計らったものだ。

この道の途中から右にひたすら真っ直ぐ進むと木が生茂っており、その少し先に海がある。

同級生の冴島はよくそこで釣りをしているようだ。

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椅子が置いてある通りからさらに10分程直進すると、ポツリポツリと物置と見紛うような民家がある中、一軒だけ屋根が赤く塗られた建物がある。

その建物の前には、本当に人を乗せて走れるのかと疑いたくなるくらいの、細くて錆び付いた緑色の原付バイクが停まっている。

この緑のバイクがタバコ屋の目印だ。

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美幸が小走りでタバコ屋に着くと、絵美はタバコが並べられたガラスケースに頬杖をついて何か話し込んでいる。

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「ごめん!」

美幸はわざとらしく顔の前でパチンと両手をあわせた。

だが、くるりと振り返った絵美の顔を見て美幸は拍子抜けした。

てっきり般若のような顔で待っていると思ったのに、絵美は少し困った表情をして、

「おそいよー。」

と言っただけだった。

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「こんにちはー。」

美幸がタバコ屋のカウンターをのぞき込むとタバコ屋の息子、田中洋二がいた。

「おう、今日は2人で何すんの?」

洋二がニカニカと人懐っこい笑顔で話しかけてくる。

お世辞にも二枚目とは言えないが、いかにも年上にモテそうな甘えん坊という感じの青年だ。

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そもそもなんで会う約束をしたのか思い出せない美幸は返答に困ってチラと絵美に視線を送った。

すると、絵美はフフンと得意げな顔で言った。

「あたし、稲井でるんよ。」

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美幸は頭上から雷に撃たれた気分になった。とても話が聞ける状態ではなかったが、絵美は続けて話した。一瞬、洋二の表情が曇ったのを美幸は見逃さなかった。

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「就職決まったん。三好先生が卒業後の就職先紹介してくれるんよ。仕事は単純作業らしいんやけど、場所は詳しくはわからんの。

でも先生が連れていってくれるらしから。」

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三好先生とは、美幸達が通う学校の高等部の教師だ。

身長が高くでっぷりと太っていて、女子プロレスラーのような風貌だったが優しい先生だ。美幸も絵美も信頼していた。

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絵美はしばらく黙った後、悲しそうな表情で言葉を続けた。

「実は……卒業してすぐ稲井出るんよ。」

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唯一、唯一無二。

本当に唯一無二の友達だった。絵美だけはずっと傍にあるものとばかり思っていた美幸は、言葉も出なかった。

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「……あたしだって悲しいんよ。お願いやから泣かんでな?あたし、ずっと稲井出たかったんよ。許して美幸……。」

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そう言って、泣かないでと言っていた絵美の目には涙が溢れていた。今にもこぼれ落ちそうな涙を、絵美の長い睫毛が支えている。

それを見て、美幸は大事な友達の門出を応援しなければと真剣に思った。

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美幸は泣くのを堪え、絵美の肩を掴んで震える声で精一杯話した。

「頑張るんよ。余所は人でいっぱいやけぇ……。あたしの事、忘れんでな?友達やんな?」

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そこまで話すと、美幸は堪えきれずワンワン泣いた。それを見た絵美も子供のように泣きじゃくった。

すると、終始様子を見ていた洋二が、カウンターの奥から瓶のオレンジジュースを2本持ってきて、2人に手渡した。

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「ほら、これで乾杯しぃや。最後やで?笑顔でお別れせんと。」

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美幸は、洋二からオレンジジュースを受け取り、グシャグシャの顔で無理やり笑顔を作った。

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『 乾杯』

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────季節は流れ、葉は枯れ始め、そして新たな芽をつける。やがて蕾が膨らみ始めた頃、美幸は卒業式の日を迎えた。

数人の先生と卒業生3人、そして保護者の簡素な卒業式が行われた。

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目を潤ませているのは保護者と先生で、当の卒業生は日常から学校生活が無くなる虚無感に襲われ、ただボーっと校長先生の有難いようで、どうでもいい小難しい話を聞いていた。

この何も無い町で、学校生活が無くなる。しかも卒業式が終わったら絵美まで……。

美幸にはただただ、不安でしかなかった。

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卒業式の次の日、就職先まで絵美を送り届けてくれる三好との待ち合わせ場所が学校と聞き、

美幸は、まだ朝日も登りきっていない早朝に小さな包みを大事そうに両手で抱えて走った。

この包みは、卒業式が終わった日の夜、美幸が慣れない手つきで縫い針を使って遅くまでせっせと絵美へ作ったプレゼントだった。

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学校に着くと、もう絵美と三好は到着していた。絵美は白い襟付きのワンピースを着て、髪の毛も綺麗に後ろでお団子に纏めていた。

とても清楚で落ち着いたいつもとは違う雰囲気の絵美を見て、美幸は本当に行ってしまうのかと涙がポロポロとこぼれてきた。

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「絶対連絡してよ絵美、絶対。」

そう言いながら美幸は胸に抱えていた絵美へのプレゼントを手渡した。

絵美は手に持っていた荷物を三好に預け、涙を流しながら、

「ありがとう」

と微笑んで受け取った。

2人でシクシク泣いていると、三好がふたりの肩に手を置いた。

「そろそろええんやない?最後やから気持ちはわかるけど、そろそろ行かんと。」

絵美はコクっと頷いて三好に預けていた荷物を受け取った。

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そこで美幸はふと不思議に思った。なぜ三好もタバコ屋の田中も最後最後と言うんだろう、と。友達なんだからまた会えるのに…。

美幸は眉間に皺を寄せ、なんとも言えない表情で俯いた。

絵美も同じ事を考えていたようで、美幸が顔をあげると暗い表情で俯いていた。

「必ず連絡するから」

と、三好が運転する車からずっと手を振り続ける絵美の姿がまだ脳裏に焼き付いている。

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────あれから半年。

絵美からは何の連絡もない。

絵美の家族にも連絡はきてないみたいで、三好に聞いても絵美の行き先については濁された。

美幸は、というと心に穴が空いたまま毎日をダラダラと過ごしていた。

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美幸は考えた。絵美はなんで紹介してもらえたのか、自分も勉強すれば絵美と同じ場所に行けるのではないか。

と、もう日も暮れ始めてきたというのに、美幸の目は爛々としていた。

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何を学べば絵美と同じ就職先を紹介してもらえるのかを聞くため、美幸は三好の自宅へ行こうと決めた。三好の家まではだいぶ距離がある。

だが、三好の家はこの辺では珍しく古くからあるとても大きな日本家屋だ。家の前には『 三好家前』というバス停までできているため、移動にはそう困らなかった。

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バスに揺られて『 三好家前』に到着すると、すぐに三好家の大きな門があった。あまりに立派な門構えに美幸は一瞬、躊躇したが

意を決してチャイムを鳴らした。

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すると、美幸が来る事を予測していたかのように着物を着た三好がすぐに出てきた。

家では着物着てるのか……美幸は珍しい生き物でも見るかのようにまん丸の目でしばらく三好を見つめた。

すると、三好が先に口を開いた。

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「……また絵美の事やろ?あんた家までわざわざ来てなんやのもう。いい加減にせぇな。そんな事しとらんと家の手伝いでもしぃ!」

三好は眉をひそめ、呆れ果てている。

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「先生、どうしたら絵美と同じ仕事ができるん?なんで絵美には紹介して、あたしには紹介しないん?」

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「……。もう帰りんさい。」

三好は何も答えず門の中に引っ込んでしまい、何度チャイムを押しても出てきてはくれなかった。

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美幸はショックを受けた。そんなに絵美と自分には大きな差があったのか。今まで同等に接してきたが、そんなに自分は劣っていたのか……と恥ずかしくなった。

身体から一気に力が抜け、自分の家までの道のりがやけに遠く感じた。

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「……絵美、頑張っとるんかな。あたし本当にだめやなぁ。会って笑い飛ばしてもらいたいわ。」

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美幸が自宅の近くまで辿りついた頃、すっかり辺りは闇に包まれて空気もヒンヤリとしていた。

道の両脇の田んぼから聞こえる牛蛙の声がやたらと今日は大きい。自宅へ繋がる坂道へさしかかったその時、道端で2人の老人がヒソヒソと話している声が聞こえた。

「……だけ……足りん……」

「でも……冴島の……」

《冴島》確かに美幸にはそう聞こえた。何を話しているのか気になったが、老人は美幸に気付き、話をやめてしまった。

モヤモヤしたまま家に入ると、バタバタと母親が玄関に出てきた。

母親は、なぜか鬼の様な怒り狂った表情をしていて、美幸にはその理由が全く想像できなかった。

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「あんた!どこ行ってた何してた!」

美幸がどこに遊びに行こうと今まで気にもとめなかった母親がこんなに怒るなんて……と美幸がポカンとしていると、母親も美幸の心情を理解したのか、ハァ……と大きな溜息をついて諭すように話し始めた。

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「先生の家、行ったやろ。絵美ちゃんの事で寂しいのはわかる。でも、ダメなんよ。もう先生の家には行ったらいかん。美幸、約束して」

母親の目は本気だった。顔に刻まれた皺が、怒りのせいなのか、より深く見えた。

さては三好が、家に来るのは迷惑だと連絡でもしたなと美幸は悔しがった。

だが、こればかりは引き下がれない。引き下がりたくない。知っているなら、なぜ何も教えてくれないのか、もしかしてさっきの冴島の話も何か知ってるのでは?と美幸は疑った。

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美幸は怒鳴られるのを覚悟で母親へ質問した。

「絵美の就職先知っとるん?あたしに紹介してくれん理由も?ねぇ、どうなん?あと冴島の……」

「美幸!」

突然母親が怒鳴った。母親の目は血走っていて、両手で握られた拳がフルフルと震えている。美幸はいよいよ変だなと思った。

すると母親はハッと我に返り、くるりと後ろを向いた。

「もう、絵美ちゃんの話はしたらいかん。それだけや。ごはん食べ。」

そう行って家の中に引っ込んだ。

母親は何を知っているのか、一体絵美はどこに就職したのか。冴島の話はなんだったのか。

数々の疑問が美幸の頭に湧いてきてとても夕飯どころではなかった。

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その日の夜、美幸は結局何も口にせず布団に入った。今日あった事を思い返しながら目を瞑るが、頭が冴えていて眠れそうにない。

すると、ギッ……ギッ……と誰かが美幸の部屋に向かってくる足音が聞こえた。美幸はギュッと目を瞑り寝たふりをした。

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足音は美幸の部屋の前で止まった。だが、襖を開けて入っては来ないようだ。シン……とした中、誰かが部屋の前で様子を伺っている。誰……?

その時、ザッと襖が開いた。美幸がうっすら目をあけると、そこには母親が立っていた。

母親は音をたてないようにゆっくり美幸に近づいてくる。

美幸の目の前まで来て顔をしばらく覗き込むと、フッと母親は微笑み美幸の頭にそっと手を置いた。

そのまま母親は美幸の部屋を出た。

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と、同時に美幸はガバっと起き上がり、母親の意味不明な行動に混乱した。すると、居間のほうから話声がボソボソ聞こえてきた。

美幸は部屋の襖に耳をあて、様子を伺うと、内容が聞こえてきた。

「大丈夫。寝てる。」

「いや、しかし直接行くとはなぁ。まぁ予想はできたけどな」

父親と母親だ。美幸はゴクリと唾を飲み込み、そのまま耳を澄ました。

「美幸だけは守らんと。美幸だけは出したくないんよ」

「それは俺もそうや。可愛い娘や。なんとしても守らんと。でも、その時は……覚悟せないかんようになるぞ。」

「……わかっとる。それでも、美幸は出したくないんよ」

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子離れできないから村から出したくない、手放したくない、そういう事だと美幸は勝手に解釈した。ただ、”守る” の意味がまだ理解できずにいる。暫く両親の沈黙が続いた。

「……そう言えば、冴島んとこのせがれは?」

気になっていた話題になり、美幸は全神経を耳に集中させた。

「冴島さんとこも……決まったんよ。三好さんから連絡があったらしいんよ。」

美幸は思わず ”えっ” と声が出そうになり、両手で口をおさえた。

「……そうか。もう一緒に釣りできんようになるんか……」

「美幸が起きたら面倒やから、もう寝ましょう」

「そうやな……」

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美幸は口をおさえたまま暫く動けなかった。卒業生の中で自分だけ就職できない。ショックで泣きわめいてしまいそうだった。

そこでふと美幸は考えた。

「そうだ。冴島に直接聞きに行ってみよう」

美幸は半ば放心状態で布団に倒れ込み、無理矢理眠りについた。

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次の日、美幸は学校の連絡網を引っ張り出し、まず冴島に電話をした。絵美以外に電話するのは初めてだった美幸は、少し緊張しながら受話器を持ち上げダイヤルを回す。

────トゥルルル

「はい冴島です。」

電話に出たのは冴島ゆかり。冴島公貴の母だった。

「あ……あの桂木です、公貴君いますか?」

美幸は変な勘違いをされないか不安になりながら必死に話した。

「あぁ、美幸ちゃん?公貴ね。ちょっと待ってて」

受話器の向こうで冴島公貴を呼ぶ声と、ダダダと階段を駆け下りて来る音がした。

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「はい。なに?」

ぶっきらぼうに公貴が電話に出た。美幸は、あんたなんか就職の件さえなければ用事なんてないのに!と思いながらも、情報を聞き出すため下手にでる。

「急にごめん。あのさ……今からタバコ屋まで出てきてくれん?」

「ハァ?なんでな?」

公貴は露骨に嫌そうな声を出す。それでも美幸は引き下がらなかった。

「お願い!ジュース奢るけぇ!」

しばらく沈黙が続いた。その後、チッと舌打ちが聞こえて、やっと返事が聞けた。

「……わかった」

美幸は財布を握りしめてタバコ屋へ走った。聞ける。就職について詳しく聞ける。

タバコ屋へ着くと、冴島はとっくに到着していた。釣り用なのか紺色の野球帽を被り、釣竿をかかえて気だるそうに片足を揺らしている。

「遅せぇわ。俺、釣りしたいけぇ早くしてほしいんやけど」

美幸は、タバコ屋に話を聞かれないように冴島の背中を押し、少し移動した。

「ごめん。あのさ、三好先生から就職の……」

そこまで話すと急に冴島が声のボリュームを上げて怒鳴り出した。

「お前もか!就職就職って、うっせぇわ!」

美幸は突然の怒鳴り声に体が縮こまった。

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「……悪い。俺さ、無理矢理連れてかれるんや。海も無いところに就職するらしいわ。俺、釣りができん毎日とか考えられんから行きとぉないんや……」

「……仕事の内容は?」

「知らん。簡単やし絵美と一緒やって三好が言うとったけど……」

美幸はチャンスだと思った。人手が欲しいなら代わりに自分が行きたい。そう強く思った。

もうこうなったら強行手段しかない。

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「あたしが行く。約束の日に冴島と一緒に行って、あたしを連れていくように説得して!もし受け入れられれば冴島はそこで帰ればいいし」

冴島は呆れた顔をしたが、どちらにせよ逆らえない運命ならやるだけやってみるか、と承諾した。

美幸は冴島にジュース代を渡し、余所行きの服を準備する為、足早に帰宅した。

約束の日は2日後。こんな村でやり残した事なんてない。もう18歳だ、自分の道は自分で決める。

美幸は、そう固く決意した。

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────約束の日、当日。

美幸は早朝に両親が畑に出かけるのをしっかり見届けて、支度を済ませ部屋に書置きを残した。

『お父さんお母さん、ごめん。あたし稲井出たいんよ。落ち着いたら連絡する。本当にごめん。お世話になりました。 』

美幸は18歳にもなって、いつも櫛も通さないボサボサ髪だが、”あの日の絵美” を思い出しながら、精一杯小綺麗に自分を整えた。

絵美のようなワンピースは無いので、母親の花柄のスカートを引っ張りだしてできる限りのお洒落をした。

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鏡に映る自分がまるで別人のように輝いて見え、自分を連れて行ってもらえる可能性は低いというのに、これからの新しい生活を想像して胸が躍った。

美幸は周囲の住人に見つからないよう、雨でもないのに傘をさして家を出た。

履きなれない母親のパンプスでたまに転びそうになりながらも美幸は走った。待ち合わせ場所の学校へ。

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だが美幸が着いた時には遅かった。三好の車が目の前を走り去った。まだ約束の時間20分前だというのに。

助手席には項垂れた冴島の姿が一瞬見えた。恐らく説得に失敗したのだろう。美幸は諦めきれず車が走っていった方向へ向かった。

「せめて……絵美の居場所だけでも知りたい。そしてなんならこのまま面接してほしい。村を出たい。こんな毎日は嫌!」

美幸の決心は堅かった。ライバル心なのか、友情なのか、美幸はどうしても”絵美と同じ場所”に固執していた。

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────もうどれくらい走っただろうか。高い建物が無い為、なんとか目で車の行く方向をチラチラ確認しながら走った美幸は、いつの間にか三好の家付近まで来ていた。

「もう……無理」

美幸は持っていた傘を杖代わりにしてヨロヨロと歩いた。綺麗に纏まっていた髪は乱れ、足はガクガクと震えている。半ば諦めかけながら自然と足は三好宅へ向かっていた。

「まさかね」

そう思いながら三好宅の車庫を見ると、冴島を乗せていた三好の車が停まっていた。

「……え?なんで?就職って先生の家?」

美幸はお手伝いか何かかもしれないと考え、それなら尚更自分も雇い入れて欲しいと強く思った。

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だが、美幸は一呼吸起いて冷静に考えた。絵美とタバコ屋で話した時のタバコ屋の一瞬曇った表情、そして激怒した母親、守らなければという父親の言葉、頑なに隠される就職先。

そして何より、同じ村内にある三好宅への就職なら、なぜ絵美は”稲井を出る”と言ったのか、なぜ一通も連絡をよこさないのか。

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美幸は混乱する頭で考えた結果、正面から行くのを諦め、まず中を覗いて見ることにした。

やめた方がいいことは頭でわかっている。いくら恩師と言えどこれは不法侵入だ。

だがもう美幸は止められなかった。就職や絵美というより、三好宅への興味が止まらない。

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退屈な毎日だった。若い美幸にはとても苦痛だった。もうこんなに興味をそそられるものは今後無いかもしれない。

美幸は、裏口に敷地への入口を見つけ、トン……と軽くドアを押してみた。が、当然開かない。

何か開けられる物はないかと辺りを探していると、小さめのトタン板が落ちていた。

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トタン板を扉の隙間に差し込み、グッと力を込めて上に引き上げた。小さな金具を引っ掛けるアオリ止めというタイプだった鍵はスルリと外れた。

そろりと三好宅の敷地へ侵入した美幸は、家の中に入る入口を探そうと細心の注意をはらいながら敷地内を探索した。

すると、家の真裏に焼却炉のような物が置いてあり、その横の地面に扉がついているのを発見した。

さながら教科書で見た防空壕のようだと美幸は思った。

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美幸は、地下から家に入れるかもしれないと考え、地面に取り付けてある鉄の扉を開いた。

ギィ……と音をたてて開いた穴の先は思ったよりも広く、降りた先は一面コンクリートで整備されており、足場は階段のようになっているように見えた。

美幸は意を決して穴の中へ足を踏み入れた。その瞬間、ツンと鼻をつく酸っぱい臭いがした。

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「なに……?くさい……」

美幸は怖さを紛らわすためボソボソと独り言を言いながら先に進んだ。道は一本道で、人の気配はしない。どうやら人はいないようだ。

恐怖のせいか、美幸はどんどん先へ進んだ。進む度に酸っぱい臭いは強くなり、やがて生臭さに変わって美幸の不安も増した。

出口は無いのではないかと一瞬不安になったが、やっと終わりが見えてきた。道の先にどうやら空洞があるようだ。

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「良かった……出られる」

美幸は鼻をつまんで先を急ぎ、やっとの事で空洞へ辿りついた。就職のために何やってんだと自分で自分をせめながらも、やっと第1の関門は突破した……はず。

そう思いながら膝に両手をついて荒れた呼吸を整え、美幸が顔をあげると、そこには信じられない光景が広がっていた。

床は赤黒い液体が大量にこびり付き、天井から大きめの鉄のフックのような物で赤い塊が何体も吊るされている。その大きさからして、毛も皮膚も無いが、美幸はすぐに ”人” だと悟った。

赤い塊からはポタポタと赤黒い液が滴り、その下には赤黒い血溜りができていた。

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美幸はただそこに立ち尽くすしかなかった。

生臭い臭いが辺りに漂う。自分が選んだとはいえ、現実だと受け入れ難い光景が目の前にある。

「意味わからんわ……」

美幸は恐る恐る空洞へ足を踏み入れた。3歩目を踏み出したその時、

ジャリッ

何か踏んでしまったようだ。美幸が驚いて後ろに飛び退くと、足元に見覚えのある物を見つけた。

それは、絵美と別れる際に渡した手作りのキーホルダーだった。

状況を理解できない美幸は、そんな事あるわけないとは思いながらも、吊り下げてある塊を1つ1つ確認した。

だが、確認するまでもなかった。塊には、丁寧に名前が書いてあるプレートが下げられていた。最初に目に入った塊にはこう書いてあった。

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『 佐竹 絵美』

美幸は口を開けたまま地面に座り込み、不法侵入している事実を忘れて泣き叫んだ。

「嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!」

その時、後ろの方から「ごフッ」とゲップの音がした。美幸が我に返り、後ろを振り返った時にはもう遅かった。

「はーい。それでは授業を始めまーす」

陽気な声の主は三好だった。その声と共に、美幸の頭に斧が振り下ろされた。

美幸は稲井村が大嫌いだ。年寄りばっかりで退屈で大嫌いだった。でもそんな退屈な日々を、なぜか思い出したくなったが、間もなく胴体から頭部が切り離され、ゴロリと床に転がった。

美幸の手にはしっかりと星のキーホルダーが握られていた。

────「もしもし、桂木さんですか?私、担任をしてました三好ですが。美幸さんの”就職”の事で……ちょっと家まで来てもらえますか…?では。」

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電話を受ける10分前、美幸の母である桂木幸恵は、美幸の書置きを読んで激怒していた。

漁られた箪笥、散乱した下駄箱……間違いない。美幸は ”就職” が決まった冴島と一緒に連れていってもらおうと決めたのだと分かった。

幸恵はすぐに書置きを握りしめて美幸の父親である桂木芳樹を呼びに走った。書置きを見た芳樹は自宅へ急いで戻り、美幸が準備をした形跡を目の当たりにして、なぜ目を離したと幸恵を怒鳴りつけた。

その時、家の電話が鳴った。わかっていたかのように、迷うこと無く幸恵は受話器を取った。

相手は三好だった。幸恵は何も答えず、ただ黙って話を聞き、受話器を置いた。

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幸恵の様子を見ていた芳樹は、何かを悟ったように無言で台所へ向かい、放心状態で包丁と壁にかけてある家族3人の写真を手に取った。

幸恵もまた無言で、車のキーと、家の裏に転がしてあった斧を手に取り、もうこの世にはいないであろう美幸を思い、2人は涙を流し悔しさに打ち震えながら車に乗り込んだ。

「どんな形であろうと……美幸は必ず連れて帰る」

お互いの顔を見合わせ、そう固く決意した2人を乗せた車は、三好宅方面へと消えて行った。

────

そうして、稲井村からは次々と人が消え、残ったのは地下に吊るされたまま腐敗した複数の肉塊と、家族3人の写真を握りしめた男性の腕だけだった。

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本当に怖かったです。
是非、続きが見たいです。

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浜田 様
お返事遅くなりました。が、
怖いと思わないのなら解除すればいいのでは?(´•ω•`)
一応、1人でも評価してもらえた作品なので続きは書いてますが、あなたみたいな怖い人がいるとアップしづらいです、、

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うーん。。以前、怖い押しといてアレだけど、もう少し怖くてもいいような。
これから怖くなるのでしょうか?
でもまだ今の1位と比べると、怖い話にはなってますよね。
今の1位どう思います?
やっぱり質が落ちたと思いませんか?

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masa 様
ありがとうございます!三好はなぜあんな行動をしているのか……村人は本当に知っていたのか……ふふふ。ぜひ書きあがった際は読んで下さると嬉しいです!

怖男 様
楽しみだなんて嬉しいです!いま稲井村の人々に肉付けしつつ話をふくらませておりますのでもう少々おまちくださいませ。

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面白かったです続編が楽しみです

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とても面白いです。
就しょくの『しょく』は『食』でしょうか?
三好家が何故その様なことをしているのか経緯について知りたいです。
大人は何故その事を知っているのかとか。
続編や関連作品をお考えでしたら、是非閲覧したいです。

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mami様
何度も何度も描いては消し・・を繰り返した作品なのでとてもうれしいです!ありがとうございます!続編、考えようと思います!!

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いじゅ様
長編の作品見て頂いてありがとうございます!稲井村については続きを書こうか迷っていて、色々濁してしまいました(^ω^;)もっと震え上がるようなモノを書けるよう精進します!

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