「宮本さーん、居るんでしょお~?あけてくださいよぉ~。」
執拗にチャイムは鳴らし続けられる。
俺は恐怖で部屋の隅っこで震えていた。
テレビCMでも有名な消費者金融で、クリーンなイメージを抱いており、正直、返済の遅れなどなんとかなると思っていた。金が無いから借りるのであって、地道な生活をしていれば金を借りることもなかっただろう。
競輪競馬パチンコ。稼いだ金はほとんど、こういったギャンブルに溶かしていた。
今思えば愚かな行為だ。前の職場にギャンブル好きな同僚がおり、つい誘われるがままについて行ったら、自分がハマっていった。最後には、誘った本人が心配して、たいがいにしときぃや?なんて注意を促される有様。
俺はギャンブルのために借金を重ねた。最初は同僚から。あまりにも金の無心をしてくるので、気がついた時には、周りから誰も居なくなっていた。俺には莫大な借金だけが残り、やむなく消費者金融に金を借りたものの、友人への借金の返済に充てるでもなく、俺はまたそれを軍資金にしてしまった。俺の無責任さに職場の人間はあきれ果て、とうとう俺は逃げるようにその会社を辞めざるを得なかった。
そして返済期限がとうに過ぎた今月、ついに、絵に描いたような取立て屋が訪ねて来た。無職の俺に返す当ては無い。チャイムで出てこないとなると、今度は容赦ない怒声が俺の住んでる安アパート中に響いた。
「おーい、出て来いごるぁ。居るんだろぉ?」
今度はドアをどんどん足で蹴る音が。無論誰も息を殺して出て苦情を言おうものは一人もいないだろう。あんな大手がこんなチンピラまがいの男をよこして来るなどとは、想像もしなかったのだ。
「ねえ~、みやもとさーん。借りたものはちゃんと返しましょうよ。み・や・も・とさ~~~~ん!」
そう言うとなにやら、ボロアパートの木のドアの間から、ギラギラと光る、牛刀が差し入れられた。
牛刀は、上ヘ下へとドアをの隙間を舐め、脆弱な鍵は今にも破られそうだった。
俺の中で危険信号が点滅している。これはヤバイ。俺はベランダの窓を開けると、となりのベランダ越しに、その隣へと続く、非常階段へ足を伸ばした。あと、もう少し。足が届いて、非常階段の手すりにつかまったとたんに、ぐるりとバランスを崩して、踊り場のコンクリートでしこたま背中を打ちつけた。その音に気付き、玄関前に居た男達がこちらを見た。ヤバイ、気付かれた。俺は背中の痛みを押して、脱兎のごとく走る。
「待てごるあああああああ!」
二人の男が凄い形相で走ってきた。
俺は、夜の歩道を裸足でひた走る。これでも、もと陸上部だ。そんじょそこらの男には負けないと思っていたが、長きに渡り怠惰な生活を送ってきた俺は、すぐに息が上がった。
捕まったら殺されるかも。そう思うと、火事場のクソ力のようにリミッターが外れ、俺はまた奴らとの距離をぐんと引き離し、とある廃墟と思われるような雑居ビルの地下へと逃げ込んだのだ。
男達はまいたようだ。ほっとした俺の目の前に不思議な光景が現れた。単なる廃ビルの地下だと思っていたところに、何件かの店が連なっていた。なんとなく、そこは、市場に似ている。
魚市場、もしくは、野菜市場というべきであろうか。陳列の箱の中には、いろいろな怪しげな物が並んでいた。
なんとなく、骨董品なのだが、いわく付きのような不気味な物を売っているお店。その隣は、真っ白な卵が所狭しと並んでいた。卵屋の男とも女とも若いとも老いているともわからない店主に手招きされたが、無視を決めた。あれには関わってはいけないと俺の本能が教えていた。盛大な店主の舌打ちが聞こえたが、聞こえないふりをした。
その隣の店の店主を見て驚いた。なんと、俺とそっくりではないか。
「いらっしゃい。」
その店の俺は、くったくのない笑顔で俺を迎えた。
自分自身と対峙することが、こんなにも不気味なものだとは思わなかった。
これはドッペルゲンガーという現象か?
やはり俺は死ぬのか。金が返せないのなら、臓器の一個でも売れというものだが、それでは済まないくらいには借金は膨らんでいた。
「お兄さんは、どうして自分が目の前にいるんだ、って思っているだろう?」
俺の声でそいつはたずねてきた。俺は黙っていた。
「俺がお兄さんを助けてあげようってのさ。お兄さんは俺に、影を売ってくれるだけでいい。」
「影を売る?」
「そう、影を売ってくれるだけでいい。金に困ってるんだろう?借金の金額、満額で買い取ってあげるよ。」
どういうことだ。影を売る?この俺そっくりの男は、頭がおかしいのだろうか。怪しい。
「そんなもの、信じるわけないだろう。影なんて売ろうにも、できるわけがない。」
「それが、ここではできるんだな。な?悪い話じゃないだろ?影なんて、人生の何に役に立つっていうんだい?必要のないものを、高額で引き取ろうって言うんだ。乗らない手はないだろう?」
そう言うと、男はバッグから手の切れそうな帯付きの札束を出してきたのだ。
俺は、ごくりと喉が鳴った。欲しい。いますぐ。もう決して馬鹿な金の使い方はしない。
この金さえあれば、俺は追われることなく自由に暮らせるのだ。
俺は差し出された札束に手を伸ばしかけた。
すると、その手は誰かに掴まれて、阻まれた。
「お兄さん、よしたほうがいいよ。」
長身で痩身の上から下まで、黒尽くめのスーツ姿の青年がそこに立っていた。
肌の色は抜けるように白く、大きく切れ上がった目は漆黒の瞳。薄く赤い唇が三日月のように見えた。
「誰?」
一瞬同性ながらも、その美しさに見とれていた。その青年は答えなかった。
その変わりに、もう一人の俺が盛大に舌打ちをした。
「あーあ、折角助けてやろうってのに、とんだ邪魔が入った。」
そう言うと、俺そっくりのその男は、どんどん肌の色が黒くなって行き、とうとう、目鼻口もわからない、ただの真っ黒な人型になった。
俺は、ただただ驚いて、声も出なかった。
「助けて欲しかったのは、アンタだろ。」
そう言うと、その美しい青年はクツクツと笑った。
すると、その真っ黒な人型は、いまいましそうに言った。
「ふん、商売の邪魔だ。影を売らないんなら、あっちに行った行った。」
そう言うと、俺達を手で追い払った。
俺は、その黒尽くめの美しい青年を見上げた。
瞳は、どんな闇よりも深く黒く、表情を映さない。
「あいつは、影鬼ですよ。」
青年は言った。
「影鬼?」
「そう、影鬼。あの金を受け取ってしまえば、お兄さんがあれと代わらなければならない。」
意味がわからず、黙っていると、青年は俺の前を歩き始めた。
「影踏みってしたことあるでしょう?あれは魔物なんです。あれには影がありません。
だから、影を欲しがる。影を得た、あれは、人間に紛れます。そして、人を惑わし、悪さをする。
そして、お兄さんも魔物になり、人の世に戻る方法はただ一つ。影を買って、他の誰かと入れ替わるしかないんですよ。」
そう言って振り向いた青年の背中に一瞬漆黒の翼があるように見えた。
「俺はこれからどうすればいいんだろう。」
この青年に言っても仕方の無いことだが、俺は途方にくれてしまった。
戻れば、借金取りから追われる生活。やつらは地獄の底まで追ってきそうだ。
「あなたには、待ってる人がいる。」
青年は背を向けると、そう答えた。
待っている人。
咄嗟に、田舎の年老いた母親の顔が浮かんだ。
母ちゃん。今頃、何してんだろ。
親にだけは迷惑をかけたくなかった。
だけど。
「俺、田舎に帰ろうかな。」
そう呟くと、その青年が俺の目をじっと見つめて言った。
「もうあなたは二度とここに来る事はないだろう。」
不思議な青年だ。
「君、名前は?」
「矢田クロード」
彼はそう名乗った。ハーフなのか?そう思った瞬間、急にめまいがした。
そして、いつの間にか、俺は雑居ビルの前に立ちすくんでいた。
あれ、確か、このビルの地下に逃げ込んで。
廃雑居ビルの中に入ると、地下に行く階段もエレベーターも見つからなかった。
夢を見ていたんだろうか?
俺は、恐る恐る、自分のアパートに戻ると、ドアの前で母親が待っていた。
「この、バカたれが」
そう言うと、母ちゃんの目から涙が溢れた。
信じられない話だが、どうやらあのビルに居た間に、一週間経っていたらしい。
その間、実家にあの恐ろしい取立て屋がおとずれ、俺の借金は先祖代々の田畑を売って綺麗に片付いたらしい。ひたすら申し訳ない気持ちになった。
俺は行方不明で、母はひたすらアパートで、俺を待ち続けていたのだ。
「かあちゃん、ごめんな。」
俺は母親の小さくなった肩を抱きしめた。
その時、一羽のカラスが電線から飛び立った。
一瞬だが、そのカラスには、足が三本あったような気がした。
作者よもつひらさか
影鬼 http://kowabana.jp/stories/26758
こちらの宮本さんの、別の選択のお話です。