ある日、妹の夏美が変な犬を拾ってきた。
「二子玉公園の滑り台の下に捨てられてたの、可愛いでしょ?」
しかし夏美の抱いているそれは、紛れもなく化け物だった。
目は離れて半分飛び出しているし、鼻はペチャンコに潰れているし、耳まで避けた口からは赤い舌がデロリンと垂れ下がっている。おまけに顔中の皮膚がたるんでシワくちゃだ。
「な、なんだよその気持ちわりー犬は!化け物じゃねーか!いますぐ捨ててこいよバカ!」
「はあ?」
顔色を変えた夏美はあろう事か、ソファで寝そべっている俺様の顔面を踏んづけてきた。
「何が化け物よ!この子はパグの赤ちゃんよ。見た目は愛嬌のある可愛らしい顔をしてるけど、飼い主に凄く忠実で勇気があって、頭も良くて、寂しがり屋さんで甘えん坊で、家に置いておくと魔除けにもなるっていう中国の王様も愛した犬種なのよ。
もうお母さんの了解も取ってあるし、今日からこの子はウチの家族になるからね。兄貴、もしこの子を虐めたりしたら承知しないからね!」
「………… 」
半ば強引に押しきられた俺は「化け物を俺の部屋には絶対に入れない」という条件付きで渋々納得せざるを得なかった。
家族会議で名前は二子玉公園で拾ったという事から「ニコ」にするか、家を守るという意味から「マモル」にするかで激しい論争を要したが、結局のところ決定権のある母親の独断で「マモル」に決定した。
夏美は納得していないようで、暫くの間この化け物の事をニコと呼んでいた。
しかしこの犬は朝から晩までフガフガ五月蝿いし、飯はよく食うし、屁は臭いしでどうしようもない犬だ。
これでは、おでん屋先生の描いた恐怖漫画に登場する「ニコ」の方がいくらか愛らしいだろう。
ある夜、仕事から帰宅した俺はいつもの様に風呂に入り、飯を食った。
面白そうな番組もやってないので、二階の自室でゲームでもしようかと階段に足を掛けた時、左足の裾をクイクイと引っ張られる感触があった。
見るとあの化け物、いやマモルが俺の足を必死にカリカリしている。
俺に構うなんて珍しいなと思いながら無視して階段を見上げると、ちょうど真ん中辺りに中学生くらいの女の子が座っていた。
お下げ髪に白い服を来た女の子は膝を抱いた腕に顔を落としているが、肩を揺らしている事からどうも泣いているように見える。
「だ、誰だよお前?」
恐る恐る声をかけてみると、女の子はゆっくりと隠していた顔を持ち上げた。
「ひい!!」
笑っていた。
満面の笑みだった。
その顔を見た途端、俺の身体は凍り付いた様に動かなくなり背中に冷たいものが滴った。絶対に見てはいけないモノを見てしまったと直感で感じた。
女の子は滑る様に階段を降りてきて、顔を俺の鼻先まで近づけてきた。近くで見るとその白い肌には長年掛けて劣化したかの様な沢山のヒビが入っていた。
激しく左右に動きまわる目玉。
大きく開いた口の中には歯が一本も無く、血生臭い息が俺の顔にかかった。
「は い る か」
俺にはそう聞こえた。
「フガバウ!!!」
その時、突然後ろにいたマモルが女の子に飛び掛った。
いま思えばその身長からはとても考えられない程の跳躍力。正にオリンピック級の「ノーモーションウルトラ月面宙返り」を見せながら、シワシワな顔の犬がシワシワな顔の女の子に噛み付いたのだ。
「フガバウ!!!フガバウ!!!イナバウワー!!!」
いつも重たそうな身体を揺らしてノロノロと歩くマモルからは、とても想像が出来ない程の身のこなしである。
女の子は突然の事に焦ったのか笑顔から一転、とても険しい表情に変わり「このパグめ!」と一言罵ると、溜息を吐きながら壁の中へと吸い込まれていった。
「な、なんだったんだ今のは?」
俺がヘナヘナと腰を抜かしてその場に座り込んだ所を、階段上のマモルは恐ろしいまでのドヤ顔で俺を見降ろしていた。
これは後に母親から聞いた話だが、この土地にはその昔、ここら一帯を仕切る大地主が住む立派な邸が建っていて、彼方此方から金で買われてきた若い使用人達がその邸で働いていたのだと云う。
独特の性癖を持つ変態大地主は、夜な夜な気に入った使用人を順番に部屋に呼び寄せては劣悪で猥褻な行為に及んでおり、中には余りにも酷い変態大地主の要求に、自ら命を絶つ少女もいたと云う。
「ほら、うちの池の傍に石で出来た小さな慰霊碑があるでしょ?あれはその娘さん達を祀ってあるんだと亡くなったお婆ちゃんが言ってたわ」
母親の言う場所に行ってみると、長年の雨風で傾き、倒れ掛かっている彼女達の「身体」が確かにそこにあった。
石には消え掛かった文字で「ミナライサマ」と書かれていた。
もちろんその後家族総出で修復し、知り合いの神主を呼んでお経を読んで貰った。
其れからというもの俺は命の恩人であるマモルの事を「化け物」と呼ぶ事はなくなったし、少しの愛情も芽生えた。マモルは相変わらず俺に対してはクールだが、ぷりぷりと尻を振りながら歩くその後ろ姿は実に微笑ましい限りだ。
あれ以来、我が家にまたあの「ミナライ様」とおぼしき女の子が現れたという報告はない。
【了】
作者ロビンⓂ︎
ともすけ様、遅れましたが7月の月間アワード賞、本当におめでとうございました!