坊ーー
坊ーー
霧の中からどこかで聞いた事のあるような懐かしい声がする。
ああ、またこの夢か。まるで作り物のような、ゲームの世界のような作為的で白々しい世界。
白い霧はやがてふわふわと形を成して行き、遂には大きな化け物へと姿を変えた。
「お ◯ ◯ を く わ せ ろ」
凄まじい圧力に飛ばされそうになりながら必死に耐える僕を、背後から別の化け物が大口を開けて今か今かと待ち構えていた…
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毎年、盆になると九州の片田舎に里帰りするのが僕たち家族の常である。
「おーいもう準備はいいか?先にエンジンかけとくぞー」
せっかちな父が玄関から早くしろ!と言わんばかりに大声をあげている。
目的地まで車で片道六時間。僕は大好きなおばあちゃんに会えるのと同じくらい車での道中が楽しみで仕方ない。
ラジオから流れてくる曲を皆で口ずさんだり、普段は見れない山々の景色をながめたり、パーキングに寄ってソフトクリームやたこ焼きを食べたりするのも楽しみの一つだ。
いつもはすぐにぐずる妹のマリもこの日は上機嫌で、朝からずっと僕の隣りで変なダンスを踊っている。
さあ、出発だ!
…
ガタンと身が揺れて、僕は母親の膝の上で目を覚ました。
渋滞をみこして夜の10時に家を出たのがまずかったのか、僕は出発してからすぐに眠ってしまったようだ。車内は静かで母も妹もスヤスヤと寝息を立てている。
「お父さんここどこ?」
窓の外は一面黒い山と、道路に設置された光源が一定の間隔を開けて車の中を照らす。
「起きたのかヒロト?もう九州に入ったぞ。あと30分ほどでおばあちゃんの家に着くからもう少し寝てなさい」
父がミラー越しに言った。
「えーーなんで起こしてくんなかったんだよお父さん!アイスは?たこ焼きは?楽しみにしてたのにー」
ぶつくさ文句を垂れる僕に向かって父は何を言うでもなく、ジッと前を向いたまま運転を続けた。
父の言った時間通りに車はおばあちゃんの家へ到着した。
おばあちゃんの家はでかい。旅館みたいな建物も凄いが庭がとにかく広いのだ。
敷地内に入ると、鯉が沢山泳いでいる池の側に車をつけた。父は「着いたぞ」といって降りていった。
いつの間にか母も起きており、眠ったままの妹を抱き上げると旅館のような大きな家の方へと歩いていった。玄関には小さな灯りが二つともっている。
「まだ4時か、ちぇっ!おばあちゃんもまだ寝てるだろうな」
僕はゆらゆらと泳ぐ鯉に向かって小さな石を一つ投げた。
ドボン
「こらヒロト、遊んでないでお前も早く家に入ってなさい。おばあちゃん達を起こさないように静かにするんだぞ」
父はトランクを開けて、中から一週間分の着替えが入った荷物などを取り出している。
「はーい」
父の一言一言が冷たく感じる。うまく言えないがいつもの優しい父とはどこか違っている気がするのだ。
パチャンと鯉が跳ねて水しぶきが飛んできた。
「うわ、くっせー!」
僕は顔にかかった水を袖で拭きとると、手元にあったさっきよりも一回り大きな石を池の中に放り込んだ。
ドボン!
逃げ回る鯉をニヤニヤしながらながめていると、不意に遠くから声が聞こえた。
坊ーー
坊ーー
おばあちゃんの声だ。キョロキョロと辺りを見回すと、今入ってきた門柱のすぐそばでおばあちゃんが手を振っていた。
父はもう荷物を持って家に入ってしまったのか、姿が見えない。
僕はおばあちゃんのそばまで駆け寄ると、そのままの勢いで腰の辺りに抱きついた。
「坊や久しぶりだの元気だったか?一年見ん間にまた身長が伸びたか?」
大好きなおばあちゃんの匂い。僕はおばあちゃんと手を繋いだまま散歩に出かけた。
やはり田舎の空は星の数は違う。
懐中電灯などなくとも自然の明かりだけで十分に周りを見渡せる。風も澄んでいて心地よいし、川を流れる水の音と鈴虫の声が子供心にまた今年もここへ帰ってこれたんだという気分にさせてくれた。
「ねえねえおばあちゃん。散歩に行く事お父さん達に言わなくても良かったの?」
おばあちゃんはニコリと頷いた。
「坊や、面白いものを見たいか?」
「うん見たい!」
川沿いを10分ほど歩き、暗い林道を抜けると裏の山へと通じる細長い階段が出てきた。僕たちは手を繋いだままそれを登りきり更に舗装されていない砂利道を進んだ。
周りの木々は一本一本が太くて力強い。
ただ時折それに白い三角の紙をいくつも繋げて作ったようなものや、綱引きで使うような太い縄が巻かれていた。
子供心にここから先は行かない方が良いと感じたが、唄を口ずさみながら歩くおばあちゃんの姿を見ていると、どこか言いだせるタイミングを逃してしまっていたように思う。
「ねえおばあちゃん、何の唄うたってるの?」
「おお坊や、若くて甘い飴玉を喰いたいなあという唄じゃよ」
「若くて甘い?」
「婆はの、その飴玉を10年かけてゆっくりと味わうんじゃ。噛み砕かないようにコロコロと舌の上で転がしてのう」
「ふーん、変なのー」
おおおおと、まるで人の呻き声のような風が木々を揺らすと頭上から月と星が顔を見せた。
僕はこの時になって初めて気がついた。高い木々で遮られた暗い山の中で、なぜこんなにもはっきりと周りやおばあちゃんの顔が見えているのだろう?
「何も怖い事はねえ。坊は山の神さんに好かれとるから心配する事はねえべな」
僕の気持ちを見透かしたかのように、おばあちゃんが言った。
「ほら見えたぞ、あれがマルタカ様じゃ」
それはまるで森の中から生えてきたような異質さを持っていた。近寄ってみると軽く高さ3メートルは超えていそうな大きな岩の塊だった。
そのカラダには他の木よりも更に太い縄がぐるぐると巻き付けられており、月明かりが頭の岩肌部分を怪しく照らしていた。
「これが山の神さんじゃ」
裏側へまわると、岩に直接木の板が何枚も打ち付けられていた。その内の数枚は何か強い力で引き剥がされたかのように途中から折れてしまっている。
おばあちゃんは近くの石の上に腰を下ろすと、僕にも座れと言った。
「 じゃが神さんと崇めらたのはもう随分と昔の話でな、婆が生まれるもっとずっとずっと前の話じゃ。その頃は豊作を願うために村に生まれた赤子を10年に一度、神さんに生贄として捧げておったんじゃ」
「いけにえ?」
「ほうじゃ、生きたままそこの穴の中に置いて蓋をして拝むんじゃ。
どうか向こう10年間、村に災いが起きませんように。稲がしっかりと育ちますよにとな」
おばあちゃんは立ち上がると、岩に打ち付けられた板を愛おしそうに撫でた。
「なぁ坊、なぜ10年に一度か分かるかえ?マルタカ様はなにも赤子をまるまる喰うたりはせんのじゃ、10年経ったらまたきっちりと返してくれる」
振り返ったおばあちゃんの目は狐の様に鋭く吊り上っていた。
「だがの、贄にされた赤子が男なら◯◯、女なら両脚を、返す直前に喰われてしまうんじゃ。生きて帰ったところで長生きは出来ん。マルタカ様に捧げられた者は皆、成人を待たずして死んでしまうんじゃよ」
坊ーー
坊ーー
岩のすぐ向こう側から懐中電灯の照らす光と、僕を呼ぶおばあちゃん達の声がした。
「坊 は 今 年 で 何 歳 じゃ ?」
岩の前に立つおばあちゃんはいつの間にか身体から何本もの腕を生やしたドス黒い化け物に変わっていた。
「 く わ せ ろ 」
化け物はそう言うや否や、腕を無茶苦茶に振り回しながら牙を剥き出して僕に飛びかかってきた。
ズドン!!
大きな銃声が一発でそのこめかみを撃ち抜き、化け物は僕のすぐ目の前に崩れ落ちた。
「ヒロト、大丈夫か!」
「坊、坊やー」
猟銃を構えたおじいちゃんの後ろから、父とおばあちゃんが走り寄ってきた。
「坊、◯◯は大丈夫かえ?」
おばあちゃんはしきりに僕の股間を気にしている。
「うん大丈夫、何ともないよ」
帰り際に一度だけ後ろを振り向くと、あの化け物がいた場所には黒ずんだ動物の死骸が転がっていた。
…
あれはこの山に住み着くヤマノケなんだとおばあちゃんが車の中で話してくれた。
その昔、処刑場だったあの場所(岩)に深く執着しているいくつもの怨念が、周りの動物などの低級霊と混ざり合って一つの集合体になってしまっているのだという。
ただ、なぜヤマノケが◯◯を喰らうのかはワシにも分からんと、おばあちゃんはまた僕の股間を見ながら悲しげに言った。
母はずっと泣いていた。
そのまま近くの寺に連れてこられた僕は、お坊さん数人に囲まれて何時間も訳の分からないお経を聞かされ、硬い棒のような物で股間を何度も叩かれた。
その後、家族全員が広間に通されお坊さんの説明を受けた。
「何とか息子さん(股間)からマルタカ本体を引き剥がす事には成功しましたが、まだまだ安心は出来ません。
幼い妹さんも近くにいる事を考えますと、残念ですが暫くは彼をこちらで預からせて頂くのが賢明だと思います」
家族の誰もお坊さんの言葉に反論する者はなかった。
「そんな、嫌だよ僕こんな所にずっといるなんて」
おばあちゃんも母も、父までもが僕の股間を悲しげな表情で見つめてくる。
「ところで娘さんは今どちらに?」
お坊さんは母にそう訪ねた。
「ええ今は車の中で待たせてます。この場には連れてこない方がいいかと思いまして」
「な、なんと馬鹿な事を!」
お坊さん達は同時に立ち上がると境内の方を見たまま固まってしまった。つられて僕ら家族もそちらを向く。(注:おじいちゃんはまだ僕の股間を見ている)
すると開け放たれた玄関口の向こうにある鳥居の門をくぐり、よたよたと歩いてくる妹マリの姿があった。
「きゃー!マリちゃん!」
母が叫ぶ。
マリの体には腕が8本はえていた。
坊ーー
坊ーー
これだけ距離があるのに僕を呼ぶ声がはっきりと聞こえる。
「奥様、大変申し上げにくいのですが、妹さんも暫くはここから帰す事が出来そうにありません」
お坊さんは大玉の数珠をギュッと握りしめた。
「やはりマルタカの封印は解けてしまっていたようです。奴は別名「10年坊」、次々に子供にとり憑き10年かけて身体を徐々に蝕む妖怪です!特にやつは男の子の◯◯を好んで喰らいます」
マリは突然ビデオのコマ送りのような動きでガコガコと階段を駆けのぼり、僕たちのいる屋内にまで侵入してきた。
血走った目で僕らを順々に睨みつける。
坊はいねえか◯◯喰わせ〜
竿はいらんで◯◯喰わせ〜
「あ、あの時、おばあちゃんが口ずさんでいた唄だ!」
咄嗟に股間を手で覆う僕の姿を見て、マリはニタァと不気味な笑みを見せた。
「 く わ せ ろ 」
【了】
作者ロビンⓂ︎
怪談師様、改めまして8月の月間アワード賞おめでとうございます♪ 自分の事のように嬉しいロビンミッシェルです。
すいません!結局ふざけた挙句、シモに走ってしまいましたが、これからもどうかよろしくお願い致します…ひひ…