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中編5
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ヤマナシ-五月-

小さな谷川の底を写した二枚の藍色の幻燈です。

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一、五月

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『クラムボンはわらったよ。』

『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』

『クラムボンは跳ねてわらったよ。』

『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』

…クラムボンは、笑わないよ………

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上の方や横の方は、青く暗く鋼のように見える。

そのなめらかな天井を、つぶつぶ暗い泡が流れていくのを、僕は弟と並んで眺めていた。

弟はまだ小さい、だからクラムボンが何かわからないのだ。

クラムボンは、笑わないよ、笑う筈が無いんだもの。

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『クラムボンはわらっていたよ。』

『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』

そんな僕を尻目に、弟の蟹はクラムボンを見て面白そうに、独り喋っている。

この年頃の子は何を見ても楽しいらしい。

僕はお腹が空いてやや無気力気味だ。

時折流れて来る葉っぱの影を眺めては、あれはおまんじゅうみたいだとか、あれはソフトクリームみたいだとか、そんな他愛もない様な事を頭に浮かべては、川の水と一緒に流れていく。

『なんでクラムボンはわらったの。』

唐突な疑問形、弟はクラムボンの方をじいっと見たままだけど、僕に聞いているんだと分かった。

『知らない。』

笑わない筈のクラムボンは、どうして笑ったのだろう。

つぶつぶ泡が流れて行く。僕らの口からも、ぽつぽつぽつと続けて五六粒の吐いた泡が流れていく。それはゆれながら水銀のように光って斜めに上の方へ登って行いった。

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つうと銀の色の腹を翻して、一匹の魚が頭の上を過ぎた。

魚がクラムボンにぶつかる。

魚につつかれ、波に揺られて、クラムボンの腕がちぎれた。

ブチリ、とそんな音が聞こえた気がする。

『あ。』

そんな情けない声が、千切れた腕を追うように川下へと流れていった。

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『クラムボンは死んだよ。』

『クラムボンは殺されたよ。』

『死んでしまったよ………。』

『殺されたよ。』

弟はそう言いながら震えていた。

頭の上のクラムボンは波に煽られてギシギシと身体が歪む。まるで悶え苦しんでいる様だった。

『それならなぜ殺された。』

何となしに、自分の右側の四本の脚の中の二本を、弟の平べったい頭にのせながら聞いてみた。

『わからない。』

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魚がまたツウと戻って下流の方へ行ってしまった。

『クラムボンはわらったよ。』

弟はまだ小さいはさみで金属のように重く光る天井を指さして、息を止めるように微笑んだ。

その横顔がイヤに不気味で、僕は目を反らしてその指さす先を見つめる。

やっぱり、クラムボンは笑わない。

『わらった。』

そう、弟が言う。きゃっきゃっと、幼く笑いながら。

ステンドグラスのような、元々とは違う色の入った薄い光が灰色に陰る。真上では、クラムボンが天井の壁に引っかかる枝の横を、くるくると渦にとらわれている。

クラムボンは、たわたわとされるがままに揺らされて、やがて、川下の方へと流された。

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僕は弟の隣でそれを見送ると、静かに言った。

『クラムボンは笑わないよ。』

弟は上を向いた姿勢のまま、何も言わず、小さな泡を口からこぼした。

メダカの目のように小さな泡が天井へと、斜めに吸い込まれて行った。

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にわかにパッと明るくなり、日光が黄金の夢のように水の中に降って来た。

波から来る光の網が、底の白い岩の上で、美しくゆらゆら伸びたり、縮んだり。泡や小さなごみからはまっすぐな影の棒が、斜めに水の中に並んで立った。

魚がこんどはそこら中の黄金の光をまるっきりくちゃくちゃにして、おまけに自分は鉄色に変に底光りして、また上流の方へのぼり始める。

『お魚はなぜ、ああ行ったり来たりするの。』

弟の蟹がまぶしそうに眼を動かしながら訪ねてきた。

『何か悪いことをしているんだよ。とってるんだよ。』

『とってるの。』

『うん。』

本当はお魚が何をしているのかは分からない。でも、間違ったことは言っていないと思う。

そのお魚がまた上から戻って来た。今度はゆっくり落ちついて、ひれも尾も動かさずただ水にだけ流されながら、お口を輪のように円くしてやって来た。

その影は黒く静かに底の光の網の上をすべる。

『お魚は……。』

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その時だった。

にわかに天井に白い泡がたって、青光りのまるでぎらぎらする鉄砲弾のようなものが、いきなり飛込んで来た。

僕がはっきりとその青いものの先が槍のように黒く尖っているのも見たと思う内に、魚の白い腹がぎらって光っていっぺん翻り、柔らかいお腹がグチリと潰されると、上の方へ登っていった。

一瞬の出来事だった。

それっきり、もう青いものも魚のかたちも見えず、世界は何事も無かった様に光の黄金の網をゆらゆら揺らし、泡が行き場を失ったようにつぶつぶ流れていくだった。

僕らはまるで声も出ず、お父さんの蟹が出て来るまでいすくまってしまった。

『どうしたい。ぶるぶる震えているじゃないか。』

『お父さん、今おかしなものが来たよ。』

弟が今にも泣きそうな顔で、お父さんの方へ体を寄せる。

『どんなもんだ。』

『青くてね、光るんだよ。はじがこんなに黒く尖つてるの。それが来たらお魚が上へ昇って行ったよ。』

ふーむといった感じでお父さんが顎にはさみをあてる。

『そいつの眼が赤かったかい。』

お父さんは僕の方を向いて聞いてきた。

『わからない。』

僕には先の方が甲羅さえ貫くみたいに尖っていたことしかわからなかった。

『ふうん。しかし、そいつは鳥だよ。カワセミサマと云ふんだ。』

そういうお父さんは昔の友達に出会ったような顔をしていた。

『そうか、カワセミサマはまだいらっしゃったんだな。』

お父さんは、ぎらぎら光る天井を見上げて、胸のあたりではさみを合わせた。

そして、こちらを振り返り、ふやけて乾いた様な顔を向けてきた。

『大丈夫だ、安心しろ。おれたちはかまわないんだから。』

物憂げな、それでも優しい声だった。

『お父さん、お魚はどこへ行ったの。』

『魚かい。魚はこわい所へ行った』

『こわいよ、お父さん。』

そう言う足元で震えている弟の頭の上に、お父さんは大きなはさみを置いた。

『いい、いい、大丈夫だ。心配するな。そら、樺かばの花が流れて来た。ごらん、きれいだろう。』

泡と一緒に、白い樺の花びらが天井をたくさん滑って来た。

『こわいよ、お父さん。』

弟はまだ震えている。

そのやけに長い花びらの列の後ろ、川の上流の方から汚いヘドロのようなモノが追い詰めるようにこちらに迫って来ていた。

『もう、家に帰ろうか。』

光の網はゆらゆら、伸びたり、縮んだり、花びらの影は静かに砂をすべって行く。

その風景は今日も土煙に覆われ真っ暗になった。

もう3日何も食べていない。

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ああ、お腹すいたな……

Concrete
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