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百物語【第六十九話】

皆さんの文字通り嵐を呼ぶ恐ろしいお話の数々、百話目には一体何が起こるのでしょうね。楽しみですが、ちょっと怖いです。

こんな名作祭りの中に混ぜて頂くのは畏れ多いのですが、何だか急に私も参加したくなったので、お邪魔させて頂きます。

と言っても、私は大した体験が無いので添え物のパセリの一片だと思い期待しないでくださいねw

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【六十九話目】『件の如し』

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小さい時から捻くれ者で、みんなが右を向いていたら下を向くような、周りがマンガを読んでいれば600ページのファンタジー小説を読むような、少しズレていたい子供時代でした。

小学校では名前をもじったあだ名だったのに、中学では「黒魔術」「お花畑」「天然記念物」と知らず知らずに変なあだ名ばかりに。

そんな私を受け入れて下さったのが農業高校。普通科と違い、専門色の強い特別な高校。その学校の「動物化学科」という場所が私の新しい青春の場でした。

この話はそんな場所での体験談。

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○○○

高校2年の時の話だ。

その日は夏休みだと言うのに、朝の7時に学校に来ていた。7時半から実習当番なのだ。

土臭い更衣室で牛臭い実習服に着替え、糞尿臭い牛舎の前に整列した。

動物化学科の当番実習には2種類がある。

主に牛舎の16頭前後の乳牛の世話をする「酪農当番」、馬や犬、ウサギや鶏を世話する「動物当番」。この内、特にハードなのが酪農当番であり、今日がその日だった。

牛舎内の乳牛を移動させ、スコップで糞を集めて棄てる、除糞の作業。足元は滑り易く、何よりも臭い。

敷料でも敷いてくれれば、ある程度臭いは抑えられるのだが、設備の都合上それは出来ない。

暑さと臭さと汚さで、とにかく嫌な作業。初めての実習では眩暈を起こしかけたのを覚えている。

だが、2年生にもなれば慣れたもので、この程度なら1年の時より全然疲れない。疲れないのだが……

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「何だろう、あれ……」

この日は、変なものを見てしまったのだ。

牛舎内から見て北の方角、そこの少し広くなっているところに透明なモヤのようなものがあった。

陽炎のようでもあったけれど、それにしては局部的過ぎると言うか、丁度子供一人を隠すほどの大きさの、透明なモザイクがかかっているようだった。

何が見えているのかはわからないけれど、間違いなくはっきりと見えたのを覚えている。

気にはなるのだけれど、作業の手を止めたら実習担当の先生に怒られてしまう。視線を牛舎内に戻して実習を再開する。

きっと、夏休み中殆ど休み無しの部活で、知らずのうちに疲れているのだろう。そう思っていたら大して気にもならなかったし、四度目ぐらいにチラ見した時にはもう消えていた。

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「臭い」「汚い」「きつい」と、3Kが揃った酪農当番ではあるが、作業そのものは実に単純なもの。さっきのは何だったのか、何となしに考えながら実習をしていた。

「あれが世にいう幽霊というものだろうか」「しかし今は昼間じゃないか」「牛用に扇風機が回っている牛舎内から気温の高い外を見たのだ、陽炎のような自然現象だろう。」

こうやって体を動かしているときの方が考え事がしやすいとは、人間は実に効率的なようで非効率的だ。

勿論、手は止めていないので先生に怒られるようなへまはしていない。

除糞が済んだら、次は飼料作りだ。チモシーにスーダングラース、アッペンホームにヘイキューブ。それらをコンプリートフィーダーという機械に投入し、撹拌。

撹拌が終わるころには3年の先輩が行っていた搾乳も終わり、乳牛たちは餌場に集まる。

そこに1頭1頭に分量を分けたエサが各牛達へと自動で配られる。

しかし、これは成牛用の餌。まだ成牛になっていない牛や出産間近で別柵に隔離された牛なんかには、自分たちの手で1頭ずつ運んでいく。

中でも生れたばかりの仔牛には、人肌くらいのお湯に粉ミルクを混ぜてバケツで与える。

子牛はバケツに頭をぐいぐいと押し付けてくるので、ミルクが入ったバケツは手で押さえていないといけない。

だけど、この仕事はまだ小さい仔牛と間近で触れ合える貴重な時間でもあるので、きつい実習中の些細な息抜きの時間だ。

バケツ内のミルクを飲み切った子牛はバケツの底にある僅かなミルクの残りを、ぐいぐいと頭を押し付け頑張ってなめようとする。それを見たらバケツを子牛から引き離し、僅かなふれあいタイムは終了する。

バケツから離れた仔牛の口元は白いひげが生えたように牛乳が貼りついていて、そんな無邪気な姿も可愛らしい。

仔牛はぐいぐいと腕に鼻を押し付けてくる。もっとご飯が欲しいとねだるかのようだった。

「はい、朝の分はもうおしまい。すぐ水を変えてくるからね。」

隣に置いてあった空になっている水用のバケツを持ち上げると、子牛に向かって話しかけてみた。

子牛は顔をあげると、確かにこちらの目を見つめて口を開いた。

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『…もうすぐだよ………』

耳を疑った。

あまりに唐突で、あまりに不可思議だったから。

もうすぐだよ、何がもうすぐなのかわからなかったし、そもそも聞き間違いだったかもしれない。実際、言葉の終わりはくぐもったようにはっきりしていなかった。

子牛は何もなかったかのように長いまつげを上下させると、立ち尽くす私の膝元に鼻を押し付けてきた。

「おーい、なにやってるー手え止まってるぞー。」

後ろから実習担当の先生の声がした。はっと我に返ると、水用のバケツを持って近くの蛇口まで小走りで移動した。

「すいません、ぼうっとしていました!」

振り返る刹那、子牛の隣にあの透明なモザイクが立っていたように見えた。

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○○○

なんやかんやで、エサやり後の掃除片付けも終了し、無事午前中の当番実習は終了した。

そこから部活に参加し、午後からも鶏の集卵後に同じ作業を行うのだが、この時に子牛が喋ることは無かった。しかし、例の子供サイズのモザイクは2,3度見かけた。

透明なモザイクと、『もうすぐだよ』について考えていたら、知らないうちに実習は終わっていた。

実習が終わったのは大体午後の4時半くらいだった。そこから実習服を着替えて、再び部活に戻る。

本番が近かったため、バタバタしながら、先輩に怒られながら、部活が終わったのは午後7時過ぎになった。

帰り支度をして、東昇降口でいつものようにバス待ちの人たちとしばらく雑談していると、友人の背後、その場から見て西の方に白っぽい何かが見えた。

するりと滑る様に、西昇降口の壁の向こうへ吸い込まれるそいつは子供の様に小さい。

暗かったし、見えたのだって少しでしかも遠くだだ。でも、もしかしてと思って体が動いた。

「待って!」叫ぶと同時に私はその何かを追って走った。

中庭を突っ切り、ジャラジャラうるさい砂利を蹴散らす。肩から掛けていたエナメルバックは走り出す時には投げ捨てた。

東の昇降口から西の昇降口へ50m程の距離、向こう側へ届く刹那に小さな段差につんのめる。咄嗟に柱に右手を掛け体を支える、視線が下がった、首をあげ、白い影の消えた方に眼を向ける。

いた。西側の駐輪場手前、イチョウの植わるその側で、それは牛舎の方角を向くと、するりと消えた。

一瞬だけ、ほんの一瞬だけそいつの後ろ姿が見えた。

いきなり叫び走り出した私に「どうしたの?」と友人達数人が駆け寄る。後輩君は前触れ無しでダッシュをかます私に若干引いていた。

友人は普段なら足音も立てずふらふらといなくなる私が、目立つくらいに音を立てて全力だったことに、ただ事じゃないと思ったらしい。

幸いにも(?)部活のみんなには私はオカルト好きというのは知られており、どういう根拠があってか、何故か霊感があると思われているので(零感なのに)、今日体験したことを話したら、みんなハイテンションに騒いで信じてくれた。

子供サイズの透明なモザイクの事、仔牛にもうすぐだと言われた事、牛舎を向いて消えてしまった幽霊っぽい何かの事、そいつは学校でも飼育している乳牛のホルスタイン種特有の白黒の、そんな模様のポンチョみたいなゆったりとした服を着たような恰好をしていた事、牛独特の大きく左右に向いた耳を持っていた事。

そんなようなことを早口に喋った。

見えたのは一瞬だったし、足元が消えかかっているかとかはわからなかった。

「それって…」

友人が何かを言おうとする。おそらくこの場のみんなが思ったことを言おうとしているのだとわかった。

「たぶん違うと思う。あれは幼稚園児くらいの大きさだったから。それに、白黒の柄はほとんど白ってくらいまだら模様が偏ってた。」

私は答える。まだ少し、引っかかっているみたいだったが、みんな納得してくれた。幽霊であってほしいという願望もあったのだろう。

夏だったし、毎年恒例の女子バスケットボール部の顧問の先生が金縛りに遭う事件がまた起きたらしいという噂が広がっていた時期だったし、気持ち悪いとか言いつつみんな興味津々の様子で私の話を聞いていた。

そして、なんかだか変に盛り上がって、同じ動物科学科の先輩が今から牛舎を覗きに行こうと言い始めた。

他学科の子たちは普段牛舎に行くことも珍しいということもあり、その提案にノリノリで賛成した。

かくいう私もアレの正体をもうちょっとしっかり確認しておきたかったし、今まで幽霊に怖い目にあわされたことがない余裕から、ぜひ行きましょうと答えていた。

時刻は午後8時近くになり、次のバスが来る時間が迫ってきていたので早めに行動に出る。

夏の時期の牛舎は、風通しをよくする為に夜でもネットを張るだけで、それをくぐってしまえばどこからでも入ることができた。

念のために病気を持ち込まないように靴底を消毒槽に漬けてから侵入する。

牛という生き物は一日中のんびりして過ごしているので、こんな時間なら普段の牛舎は静かである。

足音を忍ばせネットを潜る。

すると、私達が牛舎に侵入するなり、苦しそうな鳴き声が聞こえた。

『ン゛モ゛~ン゛ン゛モ゛~~』

明らかに牛の鳴き声だったのだが、本当に牛舎に侵入した直後だったので、不意を突かれ跳び上がった。

「え、何?何?大丈夫?!」

「牛の呪いじゃねえの?!やばくね?!やばくね?!」

皆も、幽霊に会うかもという緊張感を持った中でのいきなりの不気味な音に慌て始めた。騒ぐ皆んなの声の大きさに、私は更に慌てる。

農場職員室まで騒ぎ声は届かないと思うが、ただの牛の鳴き声だから大丈夫だと言っても、何人かの耳には届かない。

あわあわとパニックに陥り始めた数人の隣で、暫く無言で牛の声を聞いていた動物科の先輩が険しい顔つきに変わった。

「おいふたば、さっきかなり小さい奴の霊って言ったよな?」

「?、あ、はい。そうですけど。」

「あと、8番の牛って確か…」

「は、はい、もうすぐでしゅっ…」

「…ちょっとこっち来い。」

「ちょ、ちょっとなんですか?!」

無理やり先輩に引っ張られると、一頭だけ隔離された柵の前に連れていかれた。

悲鳴の様な鳴き声はここから聞こえていた。

みんなも置いて行かれまいと着いて来たはいいが、その柵の牛のひどく苦しそうな様子に、どうすればいいかわからないといった顔をしている。

「やっぱりか……」

明らかにおかしい牛の様子を見るなり先輩がつぶやく。状況を理解出来たのは、私も含めた動物科の生徒だけだった。

「ふたば、ここで待ってろ、先生呼んでくる。」

それだけ指示し背後のネットに手を掛ける。ギッと険しい横顔が少し怖い。

「えっ、先輩、どうしたんですかっ?」

理解の追いつかない他学科の子が、走り出そうとしていた先輩に問いかける。

「……こいつ、産気づいてる。」

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◯◯◯

ここから後は、大騒ぎだった。

まだ残っていた農場の先生が駆け付け、出産が近い牛がいる為あらかじめ学校に残っていた畜産専攻の先生がロープを持って来ると、出産の準備が始まった。

部外者である他学科の子が追い出され、牛の出産には時間がかかる、夜も遅いからと、私と先輩もすぐ帰らされた。

先輩は残りたがって粘っていたが、タイミング悪く1時間に一本のバスが来てしまい、バタバタとバス停まで走って行った。

私は何の根拠も無い嫌な予感がした様な気がして、素直に先生の指示に従う。薄情にも大切なその場にいたくなかった。多分、怖かったのかもしれない。

どこからか聞こえる蛙の鳴き声が、低く、ギコギコと夜道に響くいていた。

結局誰も出産に立ち会う事無く、その日は悶々としたまま各自帰宅した。

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○○○

次の日の朝、動物科のクラスLINEに先生の書き込みがあった。

『昨日の夜、8番の牛が出産しました。

死産でした。』

それだけの簡素な報告が、手のひらの液晶に小さく表示された。

書き込みがあったその日、昨晩の侵入を軽く叱られるついでに、私達はあの後の話を聞いた。

それによると、昨日の子牛は、逆子だったそうだ。

通常なら前足から出てくるはずが、後ろ足から出てきて、先生たちもなかなか頭を出さない子牛に途中から覚悟していたらしい。

へその緒が子牛の首に絡みつき、窒息死。

出てきた子牛を逆さまにして羊水を吐かせようとしたり、人工呼吸も行ったりしたのだが、それでもダメだった。

牛の死産は珍しいことではないし、自分が手伝いますといっても邪魔になるだけだったのもよくわかる。

でも、なぜだか責任感のようなものも感じてしまって、酷い無力さと説明できない喪失感を抱いた。

それは、たまたまその場に私がいたからかもしれないし、たまたま私がその日の実習当番だったからかもしれない、たまたま所属している演劇部のその夏の大会作品に牛の死産のシーンがあって、たまたまその劇の牛の精霊の衣装が白黒のまだら模様のポンチョだったからかもしれないし、たまたま実際に死産した牛は圧倒的に白の部分が多い模様だったからかもしれない(模様については科の先生が言っていた)。そして、たまたまその仔牛が正体の判らない何かを見た日に生まれた子だったから、なのが理由かもしれない。

でも、そのたまたまが余りにも重なって、なのに何も出来なかったのが、凄く、口惜しかった。

たとえその時その場にいても、私には何も出来ないと知っているけれど、分かっていても、やっぱり何か出来たんじゃないかって今も時々思うことがある。

しょうがない事だと割り切れない私は、まだまだ子供なのかもしれない。

高校2年の夏休み、実習当番があった次の日、部活の昼休憩。牛舎への侵入を叱られたメンバーで昼食を食べていたら、先輩がいたずらっ子みたいな顔して喋りだした。

「でもまあ、産気づいてるのがすぐに気付けたのは手柄として褒めてほしかったな、気付くの遅れてたら母親も危なかったかもしれないしよ。

俺が農場職員室に駆け込んだとき、畜産の先生のんびりケーキ食ってやがったんだぜ。もっと俺たちに感謝してもいいと思うんだけどなー」

ドヤ顔で語る先輩の話にくすりと笑うと、少しだけ救われた様な気がした。

夏の日差しが、ゆらゆらと陽炎を揺らしていた。

[了]

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心中囃子さんコメント怖ポチありがとうございます。
高校時代のあの情景、私は臭いまで思い出して少しうっとしてしまいます。

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情景がありありと浮かぶほどの具体性ですね。
ぐいぐい引き込まれていきました。

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あんみつ姫さんコメント怖ポチありがとうございます。
このお話は百物語と言う看板を大いにお借りした作品です。だからこそこうやって多くの方が読みに来て下さり、本当にロビンさんには感謝感謝です。

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ふたば様
初投稿作 素晴らしいお話です。
是非多くの方に読んでいただきたいと思いました。
埋もれてしまうのは、勿体ないほどの実話体験談です。

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怪談師さんコメント怖ポチ有難うございます。
まさかアワード受賞者様にまでご評価頂けるなんて、嬉し過ぎて根が涸れるくらい涙が出ております。

えっと怪談師さんって男性にはシオ対応なんですか…いっその事私の性別は"ふたば"って事で妥協しましょう。(何言っているんだろう自分…)

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