○○県の○○峠道、ここは昔から交通事故の絶えない危険スポットである。
この日も深夜遅くに一台のタクシーが暗闇の静けさの中ゆっくりと走っていた。....車はそのタクシーたった一台だけ....周りには民間も無ければ人っ子一人見えないはずの夜の峠道.....
タクシーが谷に接した急カーブに差し掛かった時、前方の脇道で人らしき物体が見えた。暗い中ある程度近付くと一人の髪の長い女性が下を俯きながら手を挙げていたのが分かった。
ん…こんなへんぴなところにお客さんか。
運転手はさぞかし不審にそして不気味に思った。しかし手を挙げて待っている人間を無視して通過するわけにもいかず、女性の近くで渋々停車した。
「どうぞ。」
後方の客席のドアを開けて招くとその女性は何も言わずに俯いたままタクシーに乗り込んだ。
「あのーどちらまで?」
「○○..まで、お願いします。」
ボソッと呟くように女性は行き先を告げた。依然として顔を上げる様子はなく長い髪が不気味に表情を覆い被せていた。
運転手は場所を把握するとややスピードを上げて目的地へと向かった。人里離れた暗闇の通り道、そこで拾ったいかにもといわんばかりに不気味な乗客。とにかくここを去りたい!そんな思いでいっぱいだった。
バックミラーで後方席を伺うと、女性は小さなバッグを握りしめたまま下に向かってぶつぶつ呟いている。表情が見えないため推定しにくいがまだ若い女性である。こんな深夜遅くになぜにあんな場所で…運転手は考えれば考える程不気味に思えてくる。それにしても一体何をぶつぶつと....
「ごめ...んなさい」
…!?
小さくごもった声ではあったが、誰かに謝っているのだろうか..運転手にはそう聞こえた。独り言というよりは念じているようにさえ思えた。女性の不気味さはピークに達していた。
とにかく早く着いて欲しい。早く降ろしたい。そもそも先程乗せて本当に良かったのだろうか?
「あのーもうすぐ着きますんで。」
しばらくして魔の峠道は越え、タクシーは住宅街に入り目的地にダイブ近付いていた。
「はい....」
今まで呟いていたよりは大きな音量で女性は返事をした。そうだ、何はともあれ後少しだ。後少しでおさらばできる。
やがて周りには民間も見えて運転手の恐怖心も随分と和らいでいた。
「着きました。この辺ですかね。」
バン....女性はなおも俯いたまま、ゆっくりと扉を開けてタクシーを降りた。
「えと...3280円になりますが。」
運転手は運転席の窓から顔を出して金額を請求した。
すると女性はバッグを片手に持ったまま、もう一方の手で立ち並ぶ民家の中で割と大きめの一軒家をゆっくりと指差して言った。
「お金を...忘れたので取ってきます。」
そしてそのままヨタヨタと一軒家に入って行った。
運転手はしばらく待っていたが女性は一向に現れる気配がない。運転手にとって複雑な気分だった。あれだけ怖い思いをして送り届けたのだからきちんと仕事の料金を得たいという欲求と、もうあの不気味な客に会いたくないのですぐにでも帰って休みたいという本音、葛藤の末に現在周りが既に暗がりの峠道では無く、夜中とは言えまだひとけのある民家であることが運転手を少し大胆にさせた。
運転手は女性の入って行った一軒家のインターホンを鳴らした。すると出てきたのは先程の女性ではなく年配の女だった。
「何か御用でしょうか?」
「あ、いえ、こちらのお嬢さんでしょうか....先程タクシーで送り届けたのですがまだ料金を頂いてないものでして...」
「え…そんな!」
女性の顔が急に強張った!
「一体いつの話ですか?それに..どこから?」
年配の女性は明らかに動揺していた。
「いつってついさっきですよ。○○峠の。」
「え....○○峠?そんなはずは…まさか、あの娘、今になって…」
女性は驚愕のあまり下を向いた。....そして身震いするかのように小刻みに身体を揺らす。
「あ、あの...」
運転手は恐る恐る呼び掛けた。
「じ、実は..娘は既にこの世にはおりません。あれは、去年の夏でした。彼氏とドライブ中に事故にあって...」
母親は俯いたまま淡々と語り出す。運転手は再び恐怖に駆られた。
「え?じ、事故って。」
「はい。誤って谷底へ真っ逆さまに。即死でした。そう、○○峠ですよ。」
ふと顔を上げ、戦慄を交えた眼差しで運転手の顔をじっと見つめた。
「いぃぃ!もう結構です!」
谷底とは運転手が娘を乗せたあの急カーブのスポットである。運転手はすぐさまタクシーへと駆け戻りエンジンを入れると一目散にそこから離れていった。
母親はしばしタクシーを見送った後、ゆっくりと家の中を振り返ると
「○子、うまくやったわよ!」
とVサインを決めた。
母親の目線の先には、同じくしてやったりの顔付きで笑いを堪えるのに精一杯のあの髪の長い娘が立っていた。
「お母さんもやるわね!」
母親にVサインで返し、玄関口に近付いた。
「得したもんだわ!キャンプの帰りに友達とはぐれちゃっててきとうに山を歩いてたらあの不気味な峠道に出て、車も滅多に通らず困り果てていたところ、あのタクシーが来たんだもの。この長い髪、幽霊を演じるにはうってつけだったわ。」
「突如真夜中に帰って来たと思ったら自分は死んだことにして頂戴って、そしたらお金要らないからって。最初何のことかと思ったわよ。」
「その割にはお母さん、結構乗り気だったじゃない。さっきの下りもあたし笑い堪えるの必死だったんだから。」
「まあね。たまにはこういうのも悪くはないかもね。」
母と娘は無邪気にやり取りをしていた。
「あれ…そう言えば私、携帯ポケットに入れてたんだけど見当たらないな。きっとタクシーの中に置き忘れちゃったんだわ。ヤバイ。」
娘は最後に失態を犯してしまったとばかり嘆いた。
「大丈夫、車のバッグナンバーは記憶してあるわ。車のマークからタクシー会社もわかるし電話してあげるわ。」
母親は自分の携帯を取り出しすぐにタクシー会社に連絡した。どうやら母親の方が一枚上手のようである。
「ほんと!?さすがお母さん!助かった!」
トゥルルル...トゥルル..
「はい、○○タクシーです。」
電話はすぐにタクシー会社の受付に通じた。
「うちの娘がお宅のタクシーに乗った時に携帯を忘れたんですが..」
「えーいつ頃、どの辺で乗られたのでしょうか?」
「ついさっきです。あ、バッグナンバー覚えてるんで..○○○○ー○○です。」
「あっはい。少し確認してみます。少々お待ち下さい。」
しばらくして受話器の先から再び受付の声が聞こえた。
「あのーそのナンバーなんですが....」
「はい。番号に間違いありませんわ。先程はっきり見たんですから。」
母親は自信満々に再び記憶しているナンバーを答えた。娘は隣で母親の記憶力にただ感心していた。
「いえ!その..大変申し上げにくいんのですが…」
「何?なんか問題でもあるわけ?」
「問題というか...その…」
「何よ、勿体振って!文句あるなら言いなさいよ!」
母親は痺れを切らしたかのようにイライラして受付に催促した。
受付の男は母親の高圧的な態度にうろたえながら意を決したように喋り出した。
「実は...そのタクシーは既にこの世に存在するはずがないんです。なぜなら去年の夏、我が社の運転手が誤って谷底に転落してしまいましてそのまま..即死でした。」
「え…た、谷底って?」
「はい、○○峠です。」
作者るん