まぁよく喋るやつらやなぁ…
僕は街ですれ違う人や、信号待ちの間、他人の会話に耳を傾け小さな声でこう呟いた。
ボロアパートに1人暮らし、友人も、勿論彼女もおらず他者から見れば、まぁ寂しい人生を送っていた。
人との関わりを極端に嫌い、他人事には一切興味を示さない僕には快適と言える生活だったが。
そんな生活を暫く続けていると、隣の部屋に誰かが入居してきたようだ。
長い間、両隣は空き部屋で、音も気にせず自由に暮らしていた僕には、その入居者が邪魔者以外の何者でも無かった。
面倒くさいし引越の挨拶とか来るなよ。
そう思っていたが、隣人が挨拶にくる事は無かった。
ある朝に玄関を出ると丁度隣人と鉢合わせになった。
引越から1週間経って初めての顔合わせだった。
おはようございます…
消え入りそうな声で隣人が挨拶をしてきたが、そんなものは軽くスル―し僕はアパートを後にした。
隣人はベビーカーを押していたので、子供がいるのか。
うるさいから騒ぐなよ…
そんな事を考えながら僕はアルバイトに向かった。
その日からちょくちょくその女を見掛ける様になった。
玄関先で、アパートの前で、近くのコンビニやス―パーで。
女はいつもベビーカーを押したり、抱っこ紐を肩から下げ、楽しそうに笑顔で話し掛けていた。
空っぽのベビーカーや抱っこ紐に…
最悪や…
隣の女、頭おかしいやつやん…
まぁ若干、嫌な感じはしたが実害がなければいいかとあまり気にせずに過ごした。
近隣でその女が噂になるのに時間は掛からなかった。
近所の主婦達の話のネタに、小学生達の心ない罵倒の的に。
それでも女はいつもと変わらず、空っぽのベビーカーに向かって楽しそうに話し掛けていた。
それから大した問題も無く、1ヶ月が過ぎた頃、それまで静かだった隣から女の叫ぶ声が聞こえて来た。
お願いします!帰って下さい!
必死に懇願する女の声。
はっきりは聞こえないがボソボソと男の声も混じっている。
他人に関わりたくないので暫くは我慢していたが、あまりにもそのやり取りが続くので文句の一つも言ってやろうと玄関を出た。
隣の玄関前に男が1人、女は部屋の中にいるのだろう。こちらからは姿は見えない。
もうちょっと静かに出来ませんかねぇ?
僕は男に近よりこう言った。
申し訳ありません。
すぐに終わりますので。
男は僕にそう言うと再び女と話し始めた。
男に近づいた事により、女の家の中が少し見えた。
女は玄関先に座り込んでいた。
腕に赤ん坊を抱くような格好をして…
(女)お願いします!帰って下さい!
(男)そうは言われましても…
こちらも困るんですよねぇ…
どうやら男は何処かの施設から派遣されて来たらしい。
(男)近隣の方から苦情が出ておりまして。
少し変わった方がおられるので様子を見て欲しいと…
(女)わかっています!
でも私は何もしていません!
(男)まぁ…確かに貴方は何もされてはいませんが…
あんまり言いたくはないですが…
空っぽのベビーカーに話し掛けたりと言うのは。
ねぇ…
現に今も…その赤ん坊を抱くような…
貴方のお子さんは昨年…
(女)わかっています!
息子は昨年、一年という早すぎる生涯を終えました…
ご近所で私が頭のおかしい女だと噂されていることはわかっています!
気味悪がられているのもわかっています!
でも私は息子と歩むはずだった人生を、ここにはもう居ない息子と共に歩みたいだけなんです!
(男)別に貴方をどうこうしようと言う訳では無いんですよ。
ただ一度、然るべき施設で診察を受けはしませんか?と提案しているだけなんです。
(女)お願いします!
私は誰にも迷惑はお掛けしません!
ですから…
私から…二度も…二度も子供を奪わないで下さい…
女はその場で泣き崩れた。
(男)そんな奪うだなんて…
とりあえずこのままではきりがありませんので少し手荒ですが私に同行して頂きます!
男は女の腕を掴もうとする。
(女)お願いします!
私から幸せを奪わないで下さい!
僕は泣き崩れる女を見つめた。
その時、確かに僕の中で変な感覚が生まれた。
僕は男に歩み寄ると肩を掴んだ。
(僕)この人が誰に迷惑かけたんや?
誰にも迷惑かけんとひっそり暮らしてはるやんけ!
それを近隣から苦情があったか知らんけどマニュアル通りの機械みたいな対応しやがって!
鬱陶しいし帰れ!!
(男)…
とっ、とりあえず今日はこれで失礼します。
また何かあれば寄せて貰います。
男は走り去る様にその場を後にした。
(女)ありがとうございます…
ありがとうございます…
礼を言う女に目も向けず僕は部屋へ戻った。
部屋に戻った僕は物凄く混乱していた。
おかしい!あんな茶番劇!
所詮他人事やん!何であんなにムキになった?
何で?
人との関わりが何より嫌いやったはず!
何でや??何であの女を助ける様な事をした?
正義感か?違う!
あの女に好意を抱いた?違う!
…わかった…
泣き崩れるあの女を見た時、腕の中で屈託無く笑う赤ん坊がはっきりと見えたからや…
あの親子の幸せを願ったからや…
次の日、玄関を出ると隣人と鉢合わせた。
(僕)おはようございます!
今日もいいお天気ですね!
作者かい