水を飲まねば人は生きてはいけぬ。
これは生物であれば共通して言えることではあるが、果たしてどのような状況でも人は水分を摂ることができるのであろうか、、、
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1997年、8月の暑い日に悲劇は起きた。
その日、栗原家は夫が長期の出張で不在であり、家にいたのは妻の美恵とまだ小学生になったばかりの一人息子の翔太であった。
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夏休みということもあり、美恵は翔太を海に連れて行ってあげようと早起きをして弁当を作っていた。
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準備も終え、ひと風呂浴びてから出発しようと思い、美恵は浴槽に浸かった。。。。
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午前9時、翔太は布団から起き、母親を探したが見つからない。
風呂場をのぞくと美恵がいつものように湯船に浸かって寝ていた。
その実、美恵は心筋梗塞ですでに息がなかったのだが、美恵が死んでいることに翔太は幼すぎて気づかなかった。
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美恵の遺体の第一発見者(正確には第二発見者)は父親の正和であった。
実に美恵が死んでから2週間後のことだ。
周囲の住人から異臭がするとの通報を受けた警察が家に乗り込み、父親に連絡を入れたのだ。
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奇跡的にも翔太は生きていた。以下は翔太の言葉である。
「ママがお風呂に入っていて、いつまでたっても出てこないの。
お腹がすいたから、キッチンにあったお弁当を食べちゃったんだ。
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「何日もたつのにママがお風呂から出てこないの。
ママは具合が悪いのかなぁ、どんどん崩れてきてたの。
お腹が減ったけど食べるものどこにあるか分からない。お水も届かない。」
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「それでね、ママに虫さんが沢山、沢山くっつき始めて、白い芋虫さんとかがママの目とか鼻の穴から出てきたの。
お腹が減ってたの。芋虫さんおいしかった。
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「のども渇いたし、お水がほしかったの。でもないの。
だからお風呂のお水を飲んだの、脂っぽくて、お肉の味もしておいしかった。」
・・・・・
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分からないということが、翔太の命を救ったのかもしれないが、あまりにも悲惨な出来ことであった。
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あれから20年近く経とうとしている。翔太に当時の記憶はなく、父親からは母親は事故死としか聞いていない。
ただ、翔太は夏の時期になると無性に母の記憶を思い出そうとした。
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今のところ思い出せるのは母親が作ってくれた、
濃厚な肉入りスープが美味しかったということだけである。
ミネラルウォーター ー完ー
作者ジンジン