「疲れた・・・もうイヤだ・・・。」
恵美子は、警察から連絡を受け、放浪していた義母を自分の車で連れ帰り、自宅で落ち着くと溜息をついた。もうこれで何度目だろう。まだ下の方は失敗は無いが、食事をしたことを忘れて食べたがったり、人の名前は忘れるし、この前も、あなたは誰、などと問われたのだ。人を泥棒扱いしたり、恵美子が近所に悪口を触れて回っているなどの妄想もあり、恵美子はほとほと疲れてしまった。
「私は、こんな人生を送るために再婚したわけじゃないのに。」
恵美子はバツイチで、子持ちだった。一人娘を抱え、生活するのは苦しく、恵美子は昼はスーパーのレジ、夜は水商売で生計を立てていた。そんな恵美子には、高校時代からの親友がいた。
由香里は、高校を卒業し、看護士として働き、その後その病院の医師と結婚し、裕福で幸せな生活を送っていた。同窓会で再会した恵美子は正直、そんな由香里に嫉妬していた。由香里なんて、自分よりうんと容姿が劣るのに、何故そんな良い生活をしているのか。恵美子は、容姿端麗で高校時代は随分モテた。その結果、在学中にはすでに年上の恋人がおり、妊娠してしまい、やむなく退学せざるを得なくなってしまった。
恵美子の最初の夫は、容姿は抜群に良かったが、女たらしでろくでなし。働かずに、恵美子はやむなくパートに出なければならず、夫はヒモの分際で、あろうことか恵美子が留守の間に自宅に女を引き込んでいたのだ。恵美子の堪忍袋の緒が切れ、とうとう幼い娘を連れ、離婚。それから女手一つで子供を育てるのは、並大抵の苦労ではなかった。
そんな恵美子にチャンスが巡ってきた。由香里の夫が、恵美子の働くキャバクラに客として訪れたのだ。由香里の夫が恵美子の渡した名刺のお返しに、自分の名刺を差し出してきて、その男が由香里の夫だと知った。恵美子は、男を誘惑した。容姿端麗な恵美子に言い寄られて、悪い気がしないわけがない。意図も簡単に恵美子は由香里の夫とあっという間に男女の関係となり、ついに恵美子は由香里から男を奪うことに成功したのだ。
義母は最初こそは、前の嫁に比べて器量は良いし、器用な恵美子を気に入って良くしてくれたけど、そこは他人、だんだんと自分の我が出てきて、いちいち人のやり方にケチをつけてくるようになった。だが、それ以上に、金銭的に何不自由なく暮せる生活は快適だった。家も広いし、今までのようにあくせく働かなくていいのだ。多少のことは我慢していた恵美子だった。だが、数ヶ月前くらいから、義母の様子がおかしくなった。物忘れが激しくなり、今まで以上に怒りっぽくなり、ついには徘徊がはじまるほどになった。病院の診断は認知症とのことだった。せっかく掴んだ幸せに影が差してきた。
そしてついに、恵美子にとって許せないことが起こる。家に帰ると、娘が泣いていた。どうしたのかと問えば、
「おばあちゃんに、あんたなんて水商売の母親の子供だから、誰が父親だかわからない。淫乱の血があんたにも流れてるって言われたの。」
と娘が訴えてきたのだ。
絶対に許せない。私は、ともかく、娘を傷つけることだけは許さない。ボケてるとは言え、言っていい事と悪いことがある。
恵美子は、夜中、皆が寝静まった頃、密かに義母の部屋に侵入した。かすかに胸が上下して、寝息を立てている。恵美子は渾身の力で、義母に馬乗りになり、枕で義母の顔を塞いだ。空気を求めて義母の両手が宙を彷徨い、恵美子の腕に爪を立てた。恵美子は痛かったが所詮老女の力。しばらくすると、義母は動かなくなった。
数ヶ月前に遡る。
「由香里さん、やっぱりあなたに戻ってきてもらいたいの。」
由香里は、ある老女ととある喫茶店で会っていた。
老女は元夫の母親で義母である。
「恵美子は器量は良いけど、気が強くて。」
義母は溜息をついた。都合がいいわね。由香里は心の中でそう思っていたが、おくびにも顔に出さなかった。
「お義母さん、それは無理よ。もう隆さんの気持ちは私に無いから。」
「そんなことないわよ。隆の一時の気の迷いよ。隆も恵美子の気の強さにはウンザリしてるんだから。」
由香里は困ったような笑顔で笑いながらも、心の中では、アンタも相当に気が強かったけどね、とせせらわらっていた。恵美子に夫を取られたことは悔しかったが、正直、義母との関係が断たれたことにほっとしていたのだ。
由香里は高卒ということで、自分の息子にそぐわないとよく嫌味を言われ、バカにされたことを忘れはしない。そして面と向かって、由香里があまり器量が良くないこともけなしてきたのだ。
許せなかったのは、親元の悪口を言われたことだった。由香里が住んでいた土地が昔で言う、部落ということをしつこく何度も言われ続けた。由香里は自分をここまで育ててくれた親を誇りに思っていたので、住んでいるところでいわれのない差別を受けることは堪えがたかった。
そこで、由香里はあることを思いついた。恵美子は気が強い。どうやら、水商売で働いていたことや、高校を中退したことは内緒にして、隆と再婚したようだ。由香里は恵美子の過去を全て義母に晒した。
義母は驚いて、すぐにでも恵美子を糾弾しそうな勢いだった。
「恵美子は私の友達なので、私が言った事は言わないでくださいね。それより、お義母さん、いい考えがあります。」
由香里は、義母に呆けたフリをして、恵美子を追い出すように仕向けることを提案した。
気が強い恵美子のことだ。ボケた母親の世話など、まっぴらゴメン、すぐに離婚すると思ったのだ。
ところが恵美子は意外と辛抱強かった。
由香里は別段、恵美子には恨みはさほどなかった。それよりは、義母に対する恨みのほうが強かった。そこで、最終手段に出た。
「恵美子の娘、あれ、誰の子かわからないんですよ。」
そう言うだけでよかった。
案の定、愚かな義母は、それを娘に直接吹き込んだ。
気の強い恵美子のことだ。タダでは済まさないだろう。
あとはなるようになる。
だけど、まさか殺してまでくれるとはね。由香里は、笑いが止まらなかった。
「ありがとう、恵美子。やっぱり持つべきものは、親友ね。」
作者よもつひらさか