今日はタケシに左の頬を一発殴られました。きっと数学の時間に紙飛行機で遊んでいたことを先生に叱られたのが気に食わなかったのだと思います。不思議なことに殴られたとき、軟膏の味が口の中で弾けました。勿論、とても不味かったです。
それから好きな子に無理矢理、告白させられました。恥ずかしいので名前は伏せておきます。その子は僕を汚物を見るかのような目で数秒間見ながら、「きもっ」と一言だけ、短く言いました。僕の心臓は矢で貫かれたように痛くなりました。周りの奴らはげらげらと笑いました。僕は必死で涙を堪えました。僕の好きな子は女の子の集団の中に入ると、僕を見ながらひそひそと何か話していました。
お昼を食べた後にトイレに呼び出されて、ゲロが出るまでパンチされました。何度も、何度も、何度も。オオセ君の鉄のような拳が僕の腹に食い込みました。僕は何度殴られたか分からないけれど、ついに吐いてしまいました。便器を抱え込むようにして、吐きました。お母さんが一生懸命作ってくれたご飯がまだ消化しきれないうちに吐き出されました。ドロドロのゲロが便器のの中の水に飛び込み、びちゃびちゃと気持ちの悪い音をたてました。それを見ながらみんなは口々に僕を罵りました。便器に触れた手が異常なまでに冷えました。鼻にまでゲロが込み上げてきた。
「きったねえ、ちょっと飲んでみろよ」
オオセ君の言葉に僕は戦慄を覚えました。だって、ただでさえゲロというものは汚いのに、トイレの水と合わさったゲロなんてもっと汚いに決まっています。僕は必死に首を振りました。でも、ミヤモト君とタケシが僕の両腕を押さえつけ、オオセ君が僕の頭を鷲掴みにして、便器の中に突っ込みました。ドロドロとした液体が僕の輪郭をなぞるようにして、ひっつきました。ゲロはトイレの水の中にまで及んでいませんでした。でも、僕の頭が結構なスピードで突っ込んだため、水の動きが生じ、ゲロと水は混ざってしまいました。ゲロがトイレの水に溶け込み、僕はそれを最悪だと思うと同時に羨ましいと思いました。
僕もこの中に吸い込まれれば、こんな苦しい思いをしなくて済むのだろうと――叶いもしない妄想を頭の中で繰り広げました。とうとう苦しくなって僕は口を開けました。それからのことは気持ちが悪くて書きたくありません。
僕は学校から家に帰ると、お母さんにお小遣いの前借をねだりました。お母さんは笑いながら「またあ?」と言いました。
「また、武君たちとゲームセンターに行くの?」
――うん、そうなんだ。僕はお母さんに嘘を吐きました。
「もぉ、仕方ないんだから」
お母さんは湯飲みを洗う手を止めて、居間の箪笥の方へ向かうと、引き出しを開けてそこから自分の財布を取り出しました。
「はい、使いすぎちゃダメよ」
お母さんは屈託なく笑いました。僕のお小遣いは毎月千円だけど、お母さんは余分に千円くれました。僕はまた泣きそうになりました。家から出るとき、お母さんは僕の背中に「ちゃんと楽しんでくるように」と優しさが溢れる言葉を投げかけてくれました。僕は振り返ることもせず、また返事をすることもせず、黙って家を出ていきました。
ゲームセンター――ではなく、空き地に僕は向かいました。空き地にはタケシとオオセ君とタケシのお兄ちゃんが居ました。タケシ君のお兄ちゃんは高校二年生で、僕の二倍の身長がありました。
「おい、なんだこれ、はした金じゃねえかよ」
タケシ君のお兄ちゃんは僕の顔面に唾を飛ばしながら言いました。一発、殴られました。タケシ君のお兄ちゃんはボクシング部です。勝てるわけがありません。
「ふざけんなよ」
関係ないオオセ君に殴られました。左耳がキィーンと傷みました。地面に僕は蹲りました。
「おい、二千円は酷すぎねえか。おい、コラ。きいてんのかよ。わざとらしく死んだふりなんてしやがってよ。おい、タケシ。こいつの学校での教育はちゃんとしてんのかよ」
「こいつは出来のわりぃダメ野郎だからなぁ。なにせ頭がわりぃんだよ」
「この頭か? 悪いのは、おい! こら! 起きろ! 起きろよ!」
タケシ君のお兄ちゃんは僕の髪の毛を引っ張って、無理矢理起こしました。僕だって痛いので、痛みを軽減するために自分の力で立ち上がりました。
「兄ちゃん。こいつの親が学校にチクるかもしんねえから、顔とかはあんまり殴っちゃいけねえよ。傷なんて作らした日には面倒なことになっちまうからな」
「分かってるわ。おい、ちょっと上着脱げや」
僕は言われた通りにしました。とても寒い――いや、いっそこのまま凍え死んでしまえば楽になれるだろうな、と思いました。
オオセ君が僕の背中に手のひらを思い切り叩きつけました。爽快な音。冷たくなった背に響くようにして伝わる痛み。僕は喉から変な声を出しました。それから僕はタケシ君のお兄ちゃんにサンドバックと命名されて、何発も何発も何発も何発も殴られました。二千円取られた上に頭がくらくらとして意識が朦朧としました。
家に帰るとやはりお母さんが出迎えてくれました。
「あら、その顔の腫れどうしたの?」
――いやね、あのゲーム屋さんの階段で転んだだよ。
「そりゃあ、武君たちさぞかし笑っただろうね」
――うん、笑ったよ。
「遊び疲れたでしょう。今日のご飯はカレーよ」
僕は黙った。ただお母さんに向かって微笑んだ。
「あ、そうそう。重要なこと聞くの忘れてた」
僕の心はきっと淀んでいる。黒く黒くドス黒く。僕は一番僕の近くに居る人のことを騙しているから。僕はきっとこれから何も言えずに生きていく。一番大切な人を欺きながら。一番僕を思ってくれる人は僕の苦しみなど理解しない。してくれなくていい。きっと理解されてしまったら、僕は生きてはいけない。その時は心が僕を破壊するだろう。
――楽しかった?
「うん。楽しかったよ」
僕は満面の笑みで言いました。
作者なりそこない