中編7
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階段のうわさ

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「おーい、誠一(せいいち)、ちょっといらっしゃい」

昼休みになり、クラスメイトとともにバスケットボール片手に教室を飛び出そうとしていた矢先、担任の岩崎先生に呼び止められた。

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「なーに?岩ちゃん先生」とおどけて応えたが、先生はいつもと違ってそれに応じず、「ちょっと別の場所で話そう」と言って、俺を連れて廊下に出た。

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なんだろう、この感じだとお説教コースかな?

最近、何か悪いことしたっけかな?

雨の日に教室でバスケットボールのパス回しをやって、花瓶を割ったのは先週のことだし、それについてはもう怒られた。

じゃあ、先生が使っている4色ボールペンの中のインクを、全部バラバラの色に入れ替えたいたずらがバレたのかな......。でも、それで怒るような先生じゃないしな。

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前を歩く先生のずんぐりした体型を眺めながら、考える。

岩崎先生は三十代半ばの男性教師だ。

顔と体型はカバに似ている。女子からは陰で「ムーミン」とか呼ばれている。

性格も温厚で、「先生ー、そろそろ結婚しなよ」とか、「今年もクリスマスは一人なのー?」とか生徒にからかわれても、笑って許してくれる(たまに目が笑っていない)。

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そんな温厚な先生も、度を過ぎたイタズラや、イジメにつながるようなことには本気で怒る。

幸い、俺たちのクラスにそんなことは起こっていないから、先生が怒ることもめったにないんだけど......。

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空き教室に入ってドアを締めると、先生はたたんで立てかけてあったパイプ椅子を二つ広げて、「どっこいしょ」と言って座った。俺にも座るよう促す。

窓の外には、冬空の下、それでも元気に走り回る生徒たちの姿。

いいなあ、俺も早くあそこに加わりたい。

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「先生、俺なんか怒られるようなことした?」

どう考えてもここ最近のことで思い当たる節がなかったので、俺から質問を投げかけた。

先生は眼鏡の奥の細い目を少し見開いて、おそらく面食らった顔をした。

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「いんや?別にお説教のつもりで君を呼んだわけじゃないよ?

実は誠一に、聞きたいことがあったんだよ」

「俺に?」

先生が俺に?一体なんだろう?

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「聞きたいことっていうのはな、

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――うわさだ」

「うわさ?」

その時、教室の外の廊下を、何人かの女生徒がぺちゃくちゃと大声で話ながら通り過ぎて行った。しばらくして静寂が戻る。

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「最近、この町のある場所にまつわる、妙なうわさが流行っている。誠一、聞いたことないか?」

なんだろう?最近流行ってるうわさ?少なくとも、すぐに思いつくものはない。

「先生、それどんなうわさ?」

先生は、そうか知らないか、と小さくつぶやく。

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「駅の近くに高台の住宅街に続く、傾斜の急な大階段があるだろう?あそこにな、最近妙な奴が出るって言うんだ」

「妙な奴?」

変質者でもいるのかな?

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「先週6年の女子がな、夜9時頃、塾の帰りにあの大階段を通ったんだ。

彼女の家は高台にあるんだ。

街灯が少ない、暗い階段を登っていると、階段の上から降りてくる人影が見えたそうだ。

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近づくと、それは青いコートを着た、とても背の高い人物だったそうだ。

2メートル近くあったんじゃないかって、その子は言っていた。

顔はフードを被っていて見えなかったそうだが、ちらりと見えた口元から、若い大人の男性のようだったらしい。

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階段のちょうど中程で二人の距離が縮まって、そいつが女の子の目の前に来た時、そいつはピタリと立ち止まった。まるで通せんぼをするかのように。

なんだろうと思って顔を上げると、そいつは長い手を伸ばして、女の子のことを押したんだ。

いや――、落とそうとしたんだ。

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女の子は怖くなって、そいつの体をよけると一気に階段を駆け上って家に逃げ込んだ」

不審者じゃないか。いや、犯罪者か。

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「まあ不審人物には違いないよ。今、先生も君たちに内緒で調べてる。

その女の子はショックを受けてしまってね、今はまだ表沙汰にしたくないんだ。

だが、どこからか話が漏れて、うわさが拡がっている。

大階段のコートの男。長身の不審な人物」

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そうだったのか。ちっとも知らなかった。

情報通で通っている俺としては、ちょっと、いやかなり悔しい。

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「それにな、どこで尾ひれが付いてそうなったんだかわからんが、男は悪魔だ、妖怪だなんてうわさもあるらしい」

うわさって、レクリエーションでやる伝言ゲームみたいなものだ。

伝わるうちに形が変わって、はじめと全然違うものになることがある。

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「それにしても、悪魔って――」

俺は思わず笑ってしまった。

先生はそんな俺の目をじっと見た後、「まあな――」と言って静かに立ち上がり、窓辺に歩いて行った。

そして、俺に背を向けたままで言った。

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「ただ、先生はひとつひっかかってるんだよ。

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なぜならそのうわさ、先生が子供の頃にもあったからだ――」

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先生は俺に語った。

高台に続く大階段。

青いコートの長身の男。

フードから覗く口元は若い大人の男性だ。

そいつは階段の上から降りてくる。

行き逢うと、男は手を伸ばし、子供を突き落とそうとしてくる。

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同じだ。さっき聞いた話と。

ただそれが、先生が子供の頃、25年も前の話だということ以外は。

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「もちろん、ただの偶然だと思う。

特徴がよく似た、別人に決まっている。

だけどな、本当に25年も若い風貌の男がいたとしたら、それは不思議な話だよな。

なんでこんなに気にしているかだって?

先生も、子供の頃に行き逢ってるからだよ――」

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大階段に不審な男が出るといううわさが立ち、それがまるでひとつの怪談のようになった頃、先生なあ、当時親友の牧野、通称マッキーと一緒に、肝試しに出かけたんだよ。

昼間見る分には、大階段もまったく怖さは感じなかった。

階段を登り切った頂上から見る景色は、見晴らしが良かったしな。

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で、やっぱり夜、それも9時頃に行かなきゃダメだという話になった。

先生とマッキーは一度家に帰って、夜、こっそり家を抜け出して大階段に向かったんだ。

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当時から街灯の少なかった大階段は、闇をまとって昼間とはまったく違って見えた。

でも、先生とマッキーもやんちゃだったからな。互いにびびっていると思われたくなかった。

どっちが言い出したか覚えてないが、ひとりずつバラバラに、階段を登ろうという話になったんだ。

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じゃんけんで、先生が先に登ることになった。

一歩一歩、わざとゆっくり階段を登る。

下から見ているマッキーに、自分は全然怖がってないぞ、とアピールをしたかったんだろうな。

でも実際は、上から誰か降りてこないか、内心ビクビクしてた。

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だけど、結局最後まで誰とも行き逢わず、階段を登り切ってしまったんだ。

ホッとため息をつきつつ、階段下のマッキーに向かって手を振った。次はお前だ、登ってこい、と。

マッキーが階段を登り始めたのが見えた。

先生は、意地悪を考えて、階段の頂上の隅に身を隠した。

下から登ってくるマッキーに、上にいる先生の姿が見えていたんじゃ、怖さが減ると思ったからね。

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そうして、しゃがんでひとりクスクス笑っている背後で、

コツ、コツ――

足音がした。

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振り返ると、男が通り過ぎるところだった。

青いコートに身を包んだ、2メートル近い長身。

顔をフードに隠れていたが、ちらりと覗いた口元からは、若い大人の男性のような――。

コツ、コツ、コツ、コツ――

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男は先生の脇をゆっくりと通り過ぎ、やがて階段を降り始めた。

下からはマッキーが登ってきている。

うわさ通りなら――、

うわさが本当だったなら――、

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先生は隠れていた場所から飛び出して行って、階段の頂上に立った。

降りていく男、

登ってくるマッキー。

ふたりは坂のちょうど中ほどで、今まさに行き逢って――、

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マッキーは坂を転がり落ちて行った。

先生はそれを見て、馬鹿だなあ、飛び出して行ったんだ。

階段を一気に駆け下りて。

坂の中ほどには、まだあのコートの男が立っているというのに。

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マッキーを助けなきゃ、という気持ちより、怒りの方が先にあったんだと思う。

先生、俺はな、その長身のコートの男に、思いっきり体当たりをして――。

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体勢を崩して階段から転がり落ちる瞬間、振り返った男の顔が見えた。

あれはそう、人間じゃなかった。

悪魔――、そう、たしかに悪魔だったよ。

どんなかって?それは言えないな。

見たいって?やめときな。そんな顔をしたってダメだったら。

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とにかく、アイツを退治するなら、階段の下から登ってちゃダメなんだ。

上から――、

そう、気付かれる前に上からアイツを押すんでなければ――。

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昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴り響いた。

先生は「すまなかったな。これは、誰にも内緒な」と言って、空き教室を出て行った。

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そんなことがあった翌週、俺の町でひとつの事件が起こった。

例の大階段で、事故があってひとりが亡くなった。

階段を踏み外して、下まで転がり落ちたのだろうということだった。

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亡くなったのは隣町に住む20代の男性。

身長が高く、2メートル近くもあったらしい。

事故当日は今年一番の寒さで、その男性は青い色のコートを着ていたそうだ。

モデルのように整った顔立ちの、イケメンだったという話。

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事故の直後、俺たちの学校の音楽の先生が、体調を崩して学校を辞めた。

音楽の先生は若い女の先生で、美人で優しく、俺たちの人気者だった。

なんでも、付き合っていた恋人が事故で亡くなったそうだ。

そのショックで身体を壊したらしい。

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ああ、そういえば岩崎先生と同じ年代で、昔からこの町に住んでいる親戚のおじさんに聞いたんだけど、25年前、あの大階段で子供が落ちて死んだ、怪我をしたなんて事件はなかったらしいよ。

そして、最近起こったという、突き落とし未遂事件の被害者も、結局誰かわからなかった。

青いコートの悪魔なんてうわさも最初から――。

俺が、先生に呼び出された後、うっかりクラスに拡めたりしなければ――。

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それから数年後、俺たちが小学校を卒業する頃、岩崎先生が結婚した。

相手は、あの音楽の先生だった。

彼女が学校を辞めたあと、岩崎先生が色々と支えたらしい。そこから付き合うことになったのだとか。

――オメデトウ、ウソツキナ先生。

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