もうイヤだ・・・疲れた。
男は夜道をひた走っていた。焦る気持ちとは裏腹に、何でこんなことになったんだろうと考えていた。
始まりは小さなことだった。トイレに入っていたら、急に電気が消えたり、シャットダウンしたはずのパソコンが突然起動したりした。トイレの時は、たま切れかなと思い、電球を替え、パソコンの時は、スリープにでもしていたのだろうと、さして気に留めなかったのだ。そのうち、家の中で音がするようになった。
バチンという音だったり、何かがカタカタ揺れる音だったり。漏電を疑って調べてもらっても異常はないし、カタカタいう音も風か何かだろうと思っていた。
しかし、その現象は日を追うごとに激しくなってきた。突然何もしないのにテレビのチャンネルが変わる。風呂に入っている時に、後ろに何かの気配を感じたり、夜中に突然窓がノックされたり。窓がノックされるのは、4階なのであり得ない。まるで何かが、自分の存在に気付いてほしいと男に訴えているようだった。
その現象は男の部屋に、彼女が来ている時にも頻繁に起こった。彼女も気味悪がって、引っ越してほしいと言っている。事故物件ではなかったはずだ。ここに住んでもう4年になるが、何も起こらなかったのだ。あの時までは。
男には一つ、心当たりがあった。去年のクリスマスの夜、最愛の人が死んだ。最愛と言っても、男の片思いだった。何故?なぜ僕なんだ。ついに、今日、その正体を決定付けることが起こった。
つい1時間前まで一緒に居た彼女と一緒に撮った写真にその昔愛したあの人が写っていたのだ。彼女は実家住まいなので、自分の部屋に泊まらせるわけには行かず、しかも門限の厳しい家なので、送り届けて、自分のマンションに落ち着いたところで、彼女の携帯にクリスマスの記念に撮った写真を送った。
すると、彼女からすぐに、写真に妙なものが写っていると電話があったのだ。見ると、彼女の後ろに鬼の形相で、彼女の首に手をかけようとしているあの人が写っていたのだ。彼女は泣きながら、怖いからすぐに来てと訴えてきた。
何故今更なのだ。死んだ女の名は、エリカ。男の一つ年上の先輩であり、男の憧れの存在であった。しかし、彼女は、妻子ある課長と付き合っていた。
「あのね、木村君にお願いがあるの。」
彼女はそう言うと上目遣いに見てきた。男はエリカから、付き合っていることにしてほしいと言われた。
「私が課長と付き合ってるって知ってるよね?私が課長とその・・・そういう仲になる時に、私に彼氏がいるかって聞いてきたの。もちろん、私は居ないって答えたの。そうしたら課長、私とは付き合えないって。気持ちはうれしいけど、本気になられても困る。彼氏がいて、自分とは火遊びなら考えてもいいって。」
男は、課長を心の底から軽蔑したが、女に期待を持たせない狡猾さには感心した。
「だからね、つい、木村君と実は付き合ってます、って言っちゃったの。」
男は、悲しかった。そんな扱いを受けても、エリカのことが好きでたまらなかった。男は、その提案に同意した。
しかし、彼女は去年のクリスマスに自ら命を絶った。彼女はクリスマスに課長が家族で楽しそうに外食している所を目撃してしまったのだ。
「バカね。私。本気にならないって決めたのに。」
そう男に言い残して、ビルの屋上から身を投げた。
男は彼女に本当の気持ちを伝えるために、指輪を用意していた。
「課長なんかと付き合うのをやめて、僕と結婚してください。」
彼女はゆっくりと首を横に振った。どうして、僕じゃだめなんですか。どうして。
彼女はその夜に男と会った帰り道、課長家族を目撃してしまったのだ。
男はしばらく立ち直れなかった。最後まで自分の気持ちが届かなかったこと、彼女を失った喪失感にうちひしがれていたのだ。そんな男をずっと励まし続け、支え続けてくれたのが、同期の女性であり、今の彼女だ。
男はだんだんと心の傷が癒え、つい最近になってようやくその同期の女性と付き合うようになり、初めてのクリスマスだったのだ。彼女と付き合うようになって、男の周りで妙な現象が起こり始めた。最初は理由がわからずに戸惑い、恐れていたが、その現象を誰が起こしているのか、だんだんと理解してきたのだ。
その現象が起こる時には、必ず香りが漂った。あの人がつけていた、香水の匂い。昔好きだった、あの匂い。
君は自分勝手だ。何故、今になって、僕を困らせる。化けて出るには場所が違うだろう。化けて出るなら課長のほうにしてくれよ。何で、僕なんだ。彼女に危害を及ぼしたら、絶対に許さない。
男はさらに焦っていた。通り慣れているはずの道なのに、なかなか彼女の家にたどり着かない。デジャブ。この道は先ほど通った気がする。どうして、同じ場所をぐるぐる回っているのだ。早く彼女の家に行かなくちゃ。
そう考えながら走っていると、何故か行きどまりの袋小路にたどり着いてしまった。そこは、昭和にタイムスリップしてしまったような、小さな商店街で、突き当りにぼんやりと灯りが見え、そこには得も言われぬ美しい女が店先に座っており、その店台には、真っ白な卵が所狭しと乱雑に並んでいた。踵を返して引き返そうとすると、男は声をかけられた。
「ちょっと、そこのお兄さん。」
男は振り向いた。今はそれどころではないのに、その女から目が離せなくなっていた。
「何ですか?僕急いでるので。」
そう言って立ち去ろうとすると、さらに女は声をかけてきた。
「アンタは、彼女を昔好きだった女の手から守りたいんだね。」
そう言われ、男は驚いて振り返り女を見た。
「あんた誰なんだ。」
男は訝し気にその女を見た。
「お兄さんは、第四の色を見ることのできる人と見た。」
「第四の色?」
「そうさ。第四の色。世の中の色ってのは、三原色といって、赤、青、黄色でできているだろう?つまりそれ以外の色ってことさ。」
「じゃああんたは、この世のものじゃあないってことか?」
「さあ、どうだろうね。ところで、これは夜の卵。願いを叶えてくれる卵さ。持ってお行き。」
「何だよ、商売か。今僕はそれどころじゃないんだ。この路地を抜けだす方法を教えてくれるかい。」
「この卵を持っていれば、抜けることができるよ。」
男は半信半疑ながらも、卵を受け取った。
男が金を払おうとすると、女は首を横に振った。
「お代はいらないよ。ただし、タダではないけどね?」
お代はいらないのにタダではないとはどういうことなのだろう。
でも、一刻も早くここを去りたかったので、男はその言葉を無視して、踵を返してひた走った。
ようやく、彼女の家が見えてきた。彼女を守らなくちゃ。今の僕の願いはそれだけ。
*************
女は叶わぬ恋をしていた。
相手は妻子ある会社の上司である課長。
遊びでもいいと割り切っているつもりだった。
だけど女は本気で彼を愛してしまったのだ。
クリスマスはきっと彼は家族と過ごすのだろうと考えると、悲しくて涙が止まらなかった。
誰も居ないと油断していた。ガード下のぼんやりとした灯りが見えるまでは。
そこには、はっとするような美しい女が屋台を構えており、手招きをしていたのだ。
怪しげなその女から目を離すことができなかった。
「ちょっとそこのお姉さん。お姉さんは、道ならぬ恋にお悩みだね?」
図星を突かれ少し驚いたが、女は
「占いとかなら、いいです。」
と断り、立ち去ろうとすると、その美しい巫女装束の女は真っ白な卵を差し出してきた。
「お姉さんは第四の色を見ることのできる人と見た。」
「第四の色?」
「そう、第四の色。この世の中は三原色と言って、赤、青、黄色でできているだろう?つまり第四の色はそれ以外の色ってことさ。」
女はその巫女の女が薄気味悪くなって、後ずさった。この人ヤバい人なのだろうか。
「これは夜の卵。願いを叶えてくれる卵さ。持ってお行き。」
やっぱり商売なんだ。結構ですと断ると、さらに卵を差し出してきた。
「お代はいらないよ。」
そう言われ、もう面倒になり、卵を受け取ってしまった。
その場を去ろうとすると、
「ただしタダではないけどね?」
と言われ、ますます気持ちが悪くなり、足早にその場を去った。
そんな卵など、どこかへ捨ててしまえばよかったのだが、どうもそんなことをすれば呪われてしまいそうな気がして、女はその卵を持ち帰った。願いが叶うのなら、課長を私にください。
奥さんと別れさせて、私にください。
だが、その願いは叶わなかった。
職場の後輩からプロポーズを断ったクリスマスの夜、女は見てしまった。
課長の家族が楽しそうに外食している姿を。
なんだ、願いなんて叶わないじゃない。女は卵を課長の家に投げつけた。
そして、その後、ビルから身を投げたのだ。
**************
男はずっと走ってきたので、心臓が悲鳴を上げ、息も絶え絶えに、彼女の家のインターホンを押した。
夜分遅くにすみませんと告げると、すぐに彼女が僕を出迎えた。
あれほど、おびえていた彼女は妙に落ち着いて見えた。よかった、彼女は無事だ。
自分の部屋に上がるように、彼女に促され、失礼しますと彼女の両親にあいさつした。
こんな夜更けに非常識だとは思ったが、彼女のたっての願いということで、両親も特別許可したようだ。
「来てくれてありがとう。」
そういう彼女はやけに大人びて見えた。
「うれしかったわ。」
そう言うと彼女は左の手を男に見せてほほ笑んだ。
「あっ!」
男は思わず叫んだ。
その彼女の左手の薬指に輝く指輪を見たからだ。
それは紛れもない、去年のクリスマスにエリカにプレゼントしようとしたものだったのだ。
「そ、その指輪。」
確か、捨てたはずだ。
彼女が死んで、しばらくして海に投げ捨てたはず。
「まったく。私はバカだったわ。あんな不倫の恋に夢中になって命を自ら捨てるなんて。
あのあと、結局、私の親友が私を不憫に思って、密告して課長家族は離散した。
願いはあの卵で叶っていたのに、バカなことをしたわ。」
彼女は何を言ってるんだ。卵?
男は先ほど女に手渡された卵をポケットの中でそっと触れた。
「でも、死んでバカが治ってわかったの。愛するより愛される方が幸せなんだってね。
木村君、私、今幸せだよ。」
そう言って、指輪を見せつけてきた。
作者よもつひらさか
どうも。メリクリです。