「ああ、それにしても退屈だなあ」
私は小学校の帰り、お友達と別れて商店街の中を自宅に向かって歩いていました。
別に今日遊ぶお友達がいなくて退屈というわけではありません。
最近人生自体がつまらなく思えていました。
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私の家はパパが社長さんでそこそこお金持ちです。
私は一人娘なので欲しいものは何でも買ってくれたし、何不自由ない生活をしています。
学校でもクラス委員をして成績も優秀で、すべてが順調に進んでいました。
そして、これからの残りの人生だいたい予測がついてしまうのです。
おそらく普通に大学まで勉強して、卒業したらパパの会社に就職して、『おみあい』をして『おむこさん』を取って家の仕事の跡を継いで、後はもう子供を産んで育てて歳をとるだけ・・・・
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「なんだか本当につまんないなあ」
将来に夢や希望があって、生き生きしてる人ってうらやましいなあと感じていました。
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「それにしても今日は特別に暑いなあ」
もう少しで夏休みでしたが、アーケードのない商店街は直接日光に照らされてじっとりとした暑さでした。
うちの町には観光名所の大きな神社があり、商店街はそれに合わせて趣きのある石畳が敷かれていました。
どこかでアイスでも買って食べようかなあとぼんやりしながら歩いているとお店の間の細い路地から突然女の人が飛び出してきて正面からぶつかってしまいました。
衝撃でお互いによろけながら私は商店街の石畳の上に尻もちをつきました。
「いたた、ちょっとお、急に飛び出してこないでよ」
そう言って相手の女の人をにらみつけましたが、おかしなことに気が付きました。
視界がぼやけて相手の姿をはっきり見ることができません。
私は目が悪くていつもメガネをかけているのですが、顔に手を当てて確認するとやはりメガネがありません。
代わりにお尻の下に違和感があります。
いやな予感がしました。
恐る恐るお尻を持ち上げて下のものを確認してみましたが、感触だけでメガネのレンズが割れていることが分かりました。
「あっ、ああ、メガネが・・・どうしよう」
私が情けない声をあげて困惑していると、相手の女の人が近づいてきました。
「ごめんなさい、あらあらメガネが」
視界がぼやけているので詳しい姿は確認できませんでしたが、声からして若い女の人のようでした。
お姉さんはどうしようかと考えているようでしたが、やがて一つの提案を持ちかけてきました。
「私のお店がこの裏にあるの、メガネの弁償と代わりのものを用意するから、ついて来てくれる?」
女の人はメガネの残骸を拾い上げると路地裏の方へ入っていきます。
私は複雑な気分でしたが、とにかく弁償はしてもらわないといけないのでその人の後をついていきました。
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ついていったそこは骨董屋さんのようなお店に思えました。
かすんだ視界を暗い茶色の色調で埋め尽した店内はとても古臭い感じがしました。
「ここがお姉さんのお店・・・メガネも置いてあるんですか?」
「そう、オーダーメイドで小物とかを作ったりしてるのよ」
良く見えませんが、お姉さんはお店の奥で何かごそごそと探しものをして、また私の前に出て来るとくしゃっと紙の束を私の手の中に押し付けました。
「じゃあ、これはメガネの弁償代ね、十万円あるから」
私はうろたえました、メガネの弁償代金にしても額が多すぎでした。
「そ、そんなにいりませんよ」
「いいの、いいの、口止め料込みだから」
「口止め料?」
「そう、私のお店では一般には絶対に出回らない魔法の道具を取り扱ってるの、だからね」
魔法の道具と言われて、子供だから馬鹿にされているのか、それとも営業のための方便なのかはわかりませんでした。
「あ、あの、別に代わりのメガネはいいですよ、帰ったらもう一つ予備がありますから」
「まあまあ、そのまま帰るのも危ないから貸してあげるわよ、ええっとお嬢ちゃん、お名前聞いてなかったわね」
お姉さんは私の名前を聞いてきました。
「あっ、ようこ、仁尾・・・葉子です」
「にお・・・ようこちゃんね」
不意を突かれて正直に答えましたが、まずは自分から名乗りなさいよと思ってしまいました。
「うふふ、奇遇ねえ、それじゃ私と同じじゃない」
同じという言葉を聞いて、お姉さんの名前もヨウコさんなんだと思いました。
「それじゃね、葉子ちゃん、今あなたに合いそうなサイズのメガネは二つしかないんだけど、一つは寿命が見えるメガネで・・・これはちょっと子供には刺激が強いわよねえ」
何だかお姉さんはおかしなことを言い始めました。
「もう一つは服が見えなくなるメガネ、これを貸してあげるから、明日また持ってきてくれる?」
「えっ、服が見えなくなるメガネ、ば、ばかにしてるんですか?」
「嘘なんかついてないわよ、まあかけてみなさいよ」
もしかしてちょっと頭がおかしな人なのかなと寒気を感じながらも、手渡されたメガネをかけてみました。
そのメガネをかけるとまるで磁石の様に私の顔にぴったりと張りつきました。
「えっ、何?」
初めての感触に驚きながら前を見つめると、そこには白を基調にした神社のお巫女さんのような着物の若い女の人が立っていました。
はっきり見ることのできたお姉さんが幻想的なほどに綺麗な女の人だったので私は息を呑んでしまいました。
さらに印象的だったことにお姉さんの床に付きそうなほどの長い髪は金色でした。
「どう、ちゃんと見えるかしら?」
「は、はい」
しかし、視界は鮮明になりましたが、服は普通に見えました。
やっぱりからかわれたんだと文句を言おうとしたその時でした。
目の前のお姉さんの着物がゆっくりと透け始めたのです。
どんどんと着物は消えていき、ついには草履を残して身に着けているものはすべて見えなくなりました。
「いやん、えっちぃ」
お姉さんは笑いながらわざとらしく自分の体を抱くように両腕で隠しました。
驚いて私は下を向いて自分の体を確認しました。
すると私の身に着けている洋服もだんだん透けていって同じようにランドセルと靴しか見えなくなりました。
私は驚きのあまり何度もお姉さんと私自身を交互に見ました。
なんとか今起こっていることを理解しようと昂ぶる思いを無理やりにでも押さえつけようとしました。
「どうかしら、これがうちの自慢の商品の一つ、スケスケメガネよ、このメガネをかけていると頭が服を認識しなくなるのよ」
何だか難しい言い回しでした。
「・・・それって、服を透明にするっていうことですよね」
「う~ん、大体はあってるんだけど、そうねえ」
お姉さんは思いついたように私の手をとると自分のお腹に押し付けました。
すると私の手のひらにしっとりと吸い付くような柔らかい感触が伝わってきました。
「あ、あの」
「どう、本当はここには着物があるんだけど今のあなたには私の素肌に触れている感触がするでしょう、つまり脳の認識をだましているのね」
お姉さんは私の顔からメガネをはずしました。
すると私の目の前にはお姉さんの着物が現われました。
もちろん手のひらには着物の生地のさらさらした感触が伝わってきました。
「じゃあ、明日のお昼にはお店に返しに来てね、高価なものだから盗んだりしたらご両親に言いつけるわよ」
私は実は夢の中にいるのではないかと思いながらお店を後にしました。
「あっ、そうだ、気を付けてね、六時間以上かけ続けると・・・」
このメガネのことでまだふわふわした感覚だったので、お姉さんの最後の注意も頭にはほとんど入ってきませんでした。
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路地裏から出てきた私の目にまず飛び込んできたのは服を全く着ていない人々が行き来する商店街でした。
お店の人も、買い物に来ているおばさん達の服も見えませんでした。
しかし、道行く人の服が見えなくなっても私自身には特にうれしいことは何もありません。
温泉などで女の人の体も見たことがありましたし、まだ小学生ということで銭湯の男湯に入らされたこともあったので、男の人の体も見たこともあったので、特に初めてということはなかったのですが、この非現実的な光景には非常に興味を覚えました。
取り敢えず付近をうろうろしているとグラウンドでサッカーをしていたので服が透明になった選手達の観戦をしました。
「あはは、なんだかおもしろい」
目の前の試合がとってもコミカルに見えました。
試合を見ている中で、ゴール前のフリーキックの時には選手達が手を前において壁になっている事の意味が何だかリアルに感じ取れたような気がしました。
サッカー観戦後にもっといろいろな人を見てみたいと思い、人の多いところということでわざわざ駅に行って夕方の通勤ラッシュを見てみました。
しかし、私はすぐにメガネをはずしました。
銭湯の男湯で見た時も思いましたが、服が透明になったサラリーマンをたくさん見て気分が悪くなりました。
「ああ、もう、やっぱりおじさんの体は気持ち悪いなあ」
そうして好奇心の赴くままに色々と回っているうちに、私は生まれて初めて門限の六時を過ぎて帰宅してしまいました。
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怪しまれるのでスケスケメガネのことは隠して、ママには下校中にメガネを割って遅くなったとごまかしました。
そして、夕飯を食べた後にお風呂に入ってワクワクしながらテレビのあるリビングに向かいました。
今度はテレビに出ているアイドルやイケメン俳優を見てみようと思ったのです。
しかし、メガネをかけてテレビに臨んだ私の期待は裏切られました。
この魔法のメガネをかけてもテレビに出てくる人達の服は見えなくなりませんでした。
おかしいと思い台所で片づけをするママの方を見てみると、ママの服はやはり見えません。
写真などでも確認してみましたが、どうやら映像や写真ではだめらしく服は透けないようでした。
「がっかりだなあ、でも明日このメガネを返すんじゃ、大好きなアイドルのところなんて行く時間はないし・・・」
私は一日だけ借りるのではなく、このメガネが欲しくなっていました。
「売り物だよね・・・でもいくらぐらいするんだろう」
口止め料と言って簡単に十万円を手渡したほどですからかなりの高値は想像できました。
お年玉貯金で買えるかなあと思案していましたが、今日はいろいろなところを探訪したため、疲れでゆっくりと睡魔がおそってきました。
眠そうな私を見てママが自分の部屋で寝るように言ってきたので、私はウトウトしながら二階の寝室に行ってその夜はもう寝てしまいました。
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翌朝まだベッドの中でまどろんでいると、下から両親が仕事に行ってくるねと声をかけられました。
「・・・土曜日なのに・・・忙しいねえ」
私は学校もお休みなので寝返りを打ってもう少し寝ようとしましたが顔と体に違和感がありました。
「・・・あれ、なんで私、パジャマ着てないの?」
布団が直接素肌にあたる感触に確かめてみるとパジャマどころか下着も見えません。
おまけに顔にも違和感がありましたが、どうやらメガネをかけたままのようでした。
「あっ、思い出した!」
メガネのことを合図に私の頭の中に昨日の出来事がよみがえってきました。
「そうだ、服がスケスケになるメガネを借りたんだった」
私はベッドから飛び起きました。
あのお姉さんにこのメガネを売ってもらうよう交渉するつもりではいましたが、断られた時のためにメガネを返す約束のお昼までにいろいろと回ってみようとも思いました。
おそらく今はメガネのせいで自分のパジャマも頭が認識できないので見えないんだと思いました。
取り敢えず一旦着替えようとメガネをはずそうとしました。
「あれ?」
しかし、はずれません。
まるで体の一部になったかのようにびったりと張りついていました。
力を入れて何とか外そうとしましたが、顔の肉まで一緒にちぎれてしまいそうでした。
私はその時あのお姉さんがお店を出るときに言った最後の一言が頭によみがえってきました。
『六時間以上かけ続けると張りついてはずせなくなるわよ』
昨晩意識がもうろうとした中でメガネをかけたまま寝てしまい、問題の六時間が過ぎてしまったようでした。
「えっ、わたし、いまパジャマを着てる・・・はずだよね」
昨晩お風呂を出てからパジャマを着たことは覚えていましたが、私自身で見て確認することができません。
私は全身から血の気が引いていくのを感じました。
「ど、どうしよう、お昼にはメガネを返さないといけないのに」
私はすぐさま洋服の引き出しを開けましたが、当然中の服はみるみる透明になりました。
クローゼットを開けましたが、やはり同様に何も見えなくなりました。
感触を確かめようとしても服の手触りは何も感じられません。
スケスケメガネのせいで頭が服を認識してくれないのです。
私は台所に行き、置いてあった段ボールを切り開いて服の代わりにしようと考えました。
「こんな物でも体を隠せるなら」
しかし、なんと段ボールまでも服の代わりにしようと思ったからか、透き通って消えてしまいました。
パパやママに自分の今来ている服を聞こうにも仕事に出てしまいここにはいません。
携帯電話やカメラで自分の写真を撮って確認することも考えましたが、私は自分の携帯電話をまだ持たせてもらっていませんし、カメラは家のどこにしまわれているのかわかりませんでした。
今日のところは返しに行くのをやめようとも思いましたが、もしお姉さんが私の両親に連絡をとってスケスケメガネのことを話されでもしたら・・・
私は途方に暮れてしまいました。
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結局見えませんが、自分が今はパジャマを間違いなく着ていると信じてお姉さんのお店に行く覚悟を決めました。
仕方なく財布と予備のメガネを握りしめて、玄関から恐る恐る外に出ました。
一応電柱や壁の陰に隠れながらなんとか商店街の入り口までは辿り着きました。
しかし、商店街の中を見た瞬間私は絶望してしまいました。
土曜日ということで午前中から商店街は買い物客でごった返しています。
電柱の陰から様子をうかがっていた私は腹をくくって商店街の中に入っていきました。
しかし、商店街に入った途端、道行く人が私のことをじろじろと見ているような気がしました。
頭の中で大丈夫パジャマを着て歩いているから奇妙に思われているだけと言い聞かせましたが、突き刺さる視線に死んでしまいたいぐらいの恐怖を感じました。
もちろん、道行く人に今の自分の服装を尋ねればすむことだったのですが、万が一何も着ていないよなんて答えられてしまうとその瞬間私の優等生としての人生は終わりを迎えてしまうのです。
そして始まる変態の犯罪者としての人生を想像すると恐ろしくて死刑に等しい宣告を尋ねることはできませんでした。
そして、こういう状況に至って自分が昨日他人の服がスケスケになった光景を好奇心で楽しんでいたことはこんなに愚かなことだったのだと身をもって反省させられました。
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「ああ、もし、何にも服を着てなかったらどうしよう、間違いなく警察に捕まっちゃうよう」
私の心臓は爆発しそうなほどに強く脈打っていました。
そのとき、どこかで携帯電話のシャッター音が聞こえた気がしました。
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「う、うそ、そうよ、写真や動画もとられてるかも、服を着ていない私の姿が全世界に拡散されちゃうよう」
私は破滅の思いに気が狂いそうになりながら、足ががくがく震えてきました。
もはや歩く気力すらありませんでした。
意識がオーバーヒートしすぎて、すぐにでも気を失ってしまいそうです。
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「パパ、ママ、ごめんなさい、ごめんなさい」
込み上げてくるのはこれから地獄のような迷惑をかけてしまう家族に対しての不始末への後悔でした。
罪の意識におびえていたその時、誰かに手をつかまれて路地裏に引っ張り込まれました。
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「え、なに、何なの?」
「胸騒ぎがして外に出てきてみたらやっぱり変なことになってたわね」
動けなかった自分を路地裏に引き入れてくれたのは昨日のお姉さんでした。
「あ・・・お姉さん、わたし、わたし」
「注意したのにメガネをかけすぎて外せなくなったのね、今からメガネを分解して外すからちょっと動かないでね」
お姉さんはどこからか細い工具のようなものを取り出し、私のかけているメガネをいじり始めました。
私は昨日と同じく服が透けているお姉さんの姿をぼんやりと見ていましたが、その背中に見慣れないものがあることに気が付きました。
「えっ、しっぽ?」
お姉さんにはふさふさした二本のしっぽが生えていました。
昨日は正面からしかお姉さんの姿を見ていなかったので、その髪の毛と同じ金色の大きなしっぽを確認することができなかったようでした。
もしやと思い頭の方を眺めると、髪型に隠れていましたが、獣のような耳も頭の上についていました。
「お、お姉さんは・・・人間じゃないの?」
「ふふ、だから言ったじゃない、あなたの名前と私は同じだって、はいはずれたわよ」
お姉さんがメガネのフレームを分解してくれたおかげでようやくメガネは私の顔からはずれました。
あらためて私は自分の姿を確認しましたが、ちゃんとパジャマは着ていました。
安堵で私は腰が抜けたように脱力しました。
「今日は代わりのメガネもあるようだから家までは一人で帰れるわよね」
お姉さんは私からはずしたメガネを着物にしまうと路地裏の奥に戻ろうとしていました。
私は腰が抜けて立ち上がれませんでしたが、このスケスケメガネを買いたかったので、お姉さんにそのことを伝え、値段を聞いてみました。
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「ん、これ、一枚三千万円だよ、今のお嬢ちゃんのお小遣いじゃちょっと無理かなあ」
「さ、さんぜんまん!」
想定していた値段と二桁違いました。
衝撃ではありましたが、あらためてその値段を聞いても欲しがる人はいるのかもと感じました。
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「んふふ、もしお嬢ちゃんが自分のお金で私の道具が欲しくなった時はもう一度おいで、私は気に入った人にしか道具を売らないんだけど、お嬢ちゃんになら売ってあげるから」
「えっ、でも私そんなお金・・・」
「大丈夫、何年経っても私は今の姿のままで待ってるわよ、猿の化身のあなた達と違って私達はとっても長生きだから」
そう笑いかけると、お姉さんは路地の奥に消えていきました。
「・・・猿の化身?」
猿の化身という言葉がどういう意味かはよく分かりませんでしたが、私達は猿から進化したという話は聞いたことがあったのでそのことかなとは思いました。
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後日、私は商店街の路地裏を探索しましたが、どれだけ探してもお姉さんのお店は二度と見つかりませんでした。
また狐が人間を化かすというお伽話を後から知りましたが、私の場合もそうだったのかはよくわかりません。
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私はそれから前にもまして勉強を頑張るようになりました。
だって、もっともっと勉強をしてすごいお金持ちにならないとお姉さんの道具は買えないだろうから。
私はあの時の経験を思い出すたびに未来の夢に思いを寄せるようになりました。
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「ああ、もう、楽しみだなあ、ヨウコさんのお店には他にどんな魔法の道具があるんだろう」
作者ラグト
あけましておめでとうございます。
新年最初のこのお話はタイトルだけ見るとふざけているように見えますが、まじめにいろいろと考えてこれよりしっくりくるものが私の中で見つからなかったんです・・・
それでは今年も頑張りたいと思いますので、よろしくお願いいたします。