招待客の手前、平静を装っていたが、麗子の心はざわついていた。
あの給仕の女のことが気になって仕方がなかった。
先ほどの給仕の女のことをホテルのスタッフに聞いても、詳細はわからなかった。
ホテルのワンフロアを借り切って行われた結婚祝賀会が終わった後、麗子はもやもやしながらホテルの最上階のスイートルームの前に戻ってきた。
不意に部屋の入り口を見ると、先ほどの給仕の女が扉の前に立っている。
「あっ」
呼び止める間もなく、その女は扉を開けて部屋に入っていった。
麗子はすぐに追いかけて部屋の中に入った。
女は中にいた。
小柄で華奢な黒髪の美少女だった。
麗子は改めてその少女をじっくりと眺めた、どこかで会ったことがあるような気がするが思い出せない。
やはり気のせいのなのだろうか・・・
「あ、ごめんなさい、まじまじと見ちゃって・・・ちょっと知り合いと勘違いしちゃって」
麗子は照れながら給仕の少女に愛想笑いをした。
「いいえ、気のせいじゃないわよ、麗子」
やはり聞き覚えのある声、その時少女の目が怪しく光った。
その光を見た途端、今まで忘れていた記憶が次々と思い出される。
nextpage
「葵!」
麗子は叫ぶのが早いか目の前の少女を抱きしめていた。
麗子の鼻腔を甘い花の香りがくすぐる。
ああ、葵、葵、どうして、私の元を出て行ったの、私はこんなにもあなたのことをいとおしく思っていたのに・・・
「・・・あれ、でも葵、何だか小さい」
最初は再会の喜びの方が大きすぎて気が付かなかったが、葵の身体が小さくなっているような気がする。
別れる前の葵は自分と同じぐらいの年齢に思えたが、麗子の腕の中にいる葵は中学生か小学生ぐらいの幼さに見える。
「・・・どうも私の身体は雪月草のエキスか血の力が切れると、12歳位の姿で安定するみたいなのよね」
麗子には葵の言葉の意味が分からない。
「ねえ、麗子、私と一緒に来てくれる?」
「え、葵? どういうこと?」
「とっても危ないことになるかもしれないのだけど、今晩だけあなたの力を貸してほしいの」
「今晩だけ? せっかくまた会えたのに、今日の夜が終わったら、どうなるの?」
「また、あなたの前からは姿を消す
・・・かな、でも今はどうしてもあなたの力が必要なの」
葵は麗子の瞳を真剣なまなざしで覗き込むとゆっくりと唇を重ねてきた。
麗子の中に葵の熱い舌が激しく侵入してくる。
体中に電流が走り続けるような刺激と蕩けてしまいそうな快感に麗子は震えて酔いしれた。
事が終われば、葵がまた私の前から消えるというのは本当なのだろう。
そして、麗子にはそれをどうすることもできないことは薄々感じていた。
あ、でも・・・
麗子は今晩このスイートルームで婚約者と過ごす予定だったことを思い出す。
どうでもいい、そんなこと、今は一秒でも長く葵のそばにいたい、それだけしか考えられなかった。
nextpage
幸姉山の別荘に戻ってきた影山は憤っていた。
使用人から数年ぶりに葵が戻ってきたことを知らされたからだった。
影山はゆきめが死に、神社や施設を燃やした後、葵とは違い人里離れた山の中に潜伏していた。
しかし、程なく行政側の人間に拘束されてしまった。
雪月草の生育域を灰にしたこともあり、すぐに殺されると覚悟していたが、意外にも影山に命じられたのはほぼ価値のなくなった幸姉山の別荘の管理だった。
命が助かるのならということで、影山はその申し出をすぐに受け入れた。
今は元々の神社の使用人達と主に残った別荘群や山の管理をしていた。
葵とはゆきめが死んだときに別れてからは会うどころか、連絡さえもなかった。
なのに、今更なんだというのだろう。
「あ、お帰りなさいませ、葵様は今・・・」
「待たせておけ! 俺は山仕事で疲れてるんだ」
使用人の言葉をさえぎって、影山は汗と土で汚れた身体を洗うため風呂場に行った。
「ふん、今更あの小娘が帰ってきたからなんだというんだ、ここの主は俺だぞ」
一応、立場的には影山が葵の従者ということだったが、もともと行政側の人間であった影山は勝気な性格の葵のことを気に入ってはいなかった。
「・・・少々、幻術なんかも使うが、俺が本気を出したらあんな奴ひとひねりで・・・」
興奮した思いで影山は脱衣所の引き戸を開けた。
しかし、影山はそこで見てはいけないものを見てしまった。
脱衣所には頭と顔はタオルで隠れているが、明らかに葵とわかる裸の少女が立っていた。
そして風呂場にはもう一人見たことのない裸の若い女が恍惚の表情でぐったりと横たわっている。
nextpage
「あ、着替えを持ってきてくれたのね、そこに置いといて」
どうも女の使用人が着替えを持ってきたと勘違いしているようだった。
バスタオルで髪を拭きながら、葵はこちらに背中を向けて風呂場に倒れている女の方を向き直った。
「麗子ったらそんなところで寝てたら風邪ひいちゃうわよ」
「・・・あ、あ、葵のせいでもう体に力が入らない・・・あんなに激しく攻めるんだもの・・・でも、嬉しかった」
「うふふ、麗子の弱いところは全部覚えてるもの」
久方ぶりに見る真性のドエスの表情だ。
ピンク色に染まったガールズトークが続いているが、影山の方は反対に色を失っていた。
本能が死の危険を発している。
「あれ、影山? なんで?」
葵が影山の存在に気づく。
気づかれる前に引き戸を閉めて逃げようとした影山の思惑はもろくも崩れ去った。
葵が自分の置かれた状況を理解するまであと一体何秒あるだろうか。
考えろ、考えるんだ、どうやったらこの場をうまく切り抜けられる。
影山は普段使わない頭をフル回転で働かせてみた。
薄い桃色に染まった未成熟な肢体が徐々に状況を把握したのか固まり始めている。
「あ、葵さまは最近肉を食べていますか?」
「?? え・・・あんまり食べてないけど」
葵は確かに肉が苦手だったが、質問の意味が分からず動きが止まっている。
「だめですよ、ちゃんと好き嫌いなく食べないと、特に胸が大きくならないですからね」
せっかく山に帰ってきたのに、葵の胸の標高は相変わらず低いままだ、ということをやんわり注意して意識をそらす作戦だったが・・・
影山の振り絞った答えへの始末は3つだった。
葵の喉への手刀、みぞおちへの正拳、股間への前蹴り・・・
影山は地獄の苦しみを味わいながらその場に倒れこんだ。
nextpage
着替え終わった葵は別荘のゆきめの書斎だった部屋に入った。
後から喉をさすっている影山と麗子も入ってきた。
麗子は別荘まで場所が分からないように目隠しされて連れてこられていた。
nextpage
「それにしても、葵さまの裸を見るのは久しぶりでしたね」
「え、葵、お兄様だけでなく、この人とも!」
「ご、誤解を受ける言い方をするな! 影山とは本当に私が小さい時にお風呂に入れてもらっただけよ」
なんだかんだで葵と影山の付き合いはもう20年近くに達していた。
「あんただって、しばらく見ないうちにだいぶスリムになってるじゃない」
久しぶりに再会した影山の姿は髭面で筋肉質なところは変わっていなかったが、別れた時と比べて二回りは小さくなっていた。
「私も雪月草のエキスであの巨体を維持していましたから、エキスのない今ではこんなものです」
「あ、葵、こちらのワイルドな方はどなた?」
麗子が何だか熱のこもった感じで影山のことを聞いて来た。
「ああ、私の護衛をしてくれていた、影山、麗子こんなのがいいの」
「え、も、もちろん葵が一番よ、でもこういう野性的な人初めてで」
葵が一番とは言いながら、麗子の表情は明らかに影山のことが気になっている様子だった。
自分の目的のために利用しているとはいえ、影山なんかに好意を寄せられるのは大いにしゃくだった。
「それに麗子、勘違いしてるみたいだけど・・・私はまだ誰とも最後までしたことはないのよ」
「え、だって、お兄様とは・・・」
「あれは途中までは本物で、最後は私の幻術でごまかしていたのよ」
「え、そ、そうなの?」
「まあ、口づけしてきた花びらと搾り取ってきた御柱は両手の指じゃ足らないけどね」
くねくねと両手の指を動かして見せる葵のしぐさに麗子は頬を赤らめる。
葵が今まで一人だけ自分の初めてを捧げてもいいと思った男性はいた、しかしその男性はもうすぐ結婚する予定となっていた。
葵は今回の案件が無事片付いたら、次は結婚式乱入サプライズを画策していた。
「で、でもやっぱりおかしいよ、おぼこの葵があんなテクニックをどこで身に着けたのよ」
「それはね・・・これとも関係してるんだけど」
そういうと葵はゆきめの部屋の机を探り始めた。
「葵さま、この屋敷にあった資料はすべて役人達がもっていきましたよ」
影山が指摘した通りこの部屋の中身もほとんど空っぽの状態であった。
葵は影山の言葉を無視して、机の裏の板を探る。
すると板の一部が外れて、中には古ぼけたファイルが一冊入っていた。
「え、こんな仕掛けが、葵さまどうして?」
「私、ゆきめお母様が私の身体に移りやすくするために、お母様の記憶の一部を移し替える実験もされていたのよ、このファイルの隠し場所も卑猥な技もお母様の記憶から譲り受けたものよ」
葵はファイルをぺらぺらとめくりながら、ある確認したい項目を探した。
そして、あるページでその探し物を見つけた。
nextpage
「やっぱりお母様はこの情報までたどり着いていたのね」
葵はつぶやくとファイルを閉じて部屋を出て行った。
「影山、お父様に連絡を取って、今すぐに葵が会いたがっていると」
「え、社長に? でも葵さまは実験体として拘束されるのでは?」
「私の見立てでは多分そうはならないわ・・・それともう一人、あの人も呼ぶようにも伝えてね」
葵は育ての父である雪光泰三社長ともう一人女性の名前を影山に伝えた。
nextpage
深夜の雪光製薬本社ビル、その社長室に葵達はいた。
社長室のガラス壁からは深夜のオフィス街の明かりが見渡せる。
4人掛けのソファに座っていたのは葵と麗子、そして葵の後ろに影山は立っていた。
相手は葵の育ての父である雪光製薬の社長雪光泰三、そしてもう一人、泰三によって不老不死の研究をしている小野方遥女史だ。
「久しぶりだな、葵、元気にしていたか」
「はい、色々とありましたが」
「そちらの女性は確か石崎の・・・」
「はい、石崎麗子と申します」
「何か顔色が悪いようだが、手にけがをしているのか?」
泰三の言うように麗子の顔色は真っ青で、右手には包帯がまかれていた。
「いえ、大丈夫です、お気になさらずに」
麗子の弱々しい返答の後、葵が話しかける。
「麗子にはこの場で一緒に聞いてもらいたい話があったから呼んだのです、お父様・・・いえ、おじいさまとお呼びした方がいいのかしら」
葵の言葉に影山はこの娘は何を語り始めたのだろうと思った。
しかし泰三は葵の言葉に深く息を吐き出した。
「石崎の・・・長男が死んだという話を聞いて、もしやとは思っていたが、そうかお前は真実にたどり着いたのだな」
「はい・・・」
泰三の発した真実という言葉、後ろで聞いている影山には全く訳が分からない。
「葵さま・・・いったい?」
「影山、あなたが私を誘拐したとき、私の両親は直前に交通事故死していたわよね」
「・・・はい」
葵の本当の両親は幸姉山の近くで交通事故死していた、だから影山は身寄りのいない葵を誘拐したのだと思っていた。
そして、だからこそ葵は雪月草の因果から解放された後も帰る場所がなかったのだ。
「私の両親、江夏守、江夏清華・・・ご存知でしょう、おじいさま」
葵の問いに泰三はしばらくうつむいたままだったが、少しずつ答え始めた。
「ああ、守君は私の元部下、そして清華は・・・私の最愛の娘だった」
泰三はその顔にありありと悲哀の色を浮かべて体を硬直させていた。
「清華はこの雪光の家が密かに行っていた人体実験の事実を知り、守君と駆け落ち同然に家を飛び出した」
泰三の語った話はこうだった。
葵の両親、江夏守と雪光清華は家を飛び出し、幸姉山の近くで結婚した。
二人には葵が生まれ、幸せに暮らしていた、泰三は娘の状況は把握していたが、あえて接触したり、連れ戻すようなことはしなかった。
ただ、娘が幸せに暮らしているならそれでいいと思っていた。
しかし、状況が一変する。
娘夫婦が自動車事故で突然死んでしまったのだ。
「なるほど、それで葵さまを・・・」
影山は葵が雪光社長の本当の家族という事実に驚きながらも、新たな疑問が浮かんだ。
「しかし、なぜ幸姉山の神社に・・・?」
葵が泰三の実の孫娘というのなら、そのまま引き取ればいいだけのように思えた。
「それがね・・・私の両親の死因は事故死なんかじゃなかったのよ」
「どういうことですか?」
そこからはまた泰三が口を開いた。
「・・・葵は生まれた時から病院で不老不死の人体実験を受けていたんだよ」
泰三も把握していないネットワークで病院に入り込んだ医師が無作為に選定した赤ん坊に処置を施し、データを集める、そんなことが横行していた。
「そして、清華はそのことに気が付き、病院を告発しようとした、そして消されたのだ」
泰三の声は震えていた。
「私が気付いた時にはもう遅かった・・・私が、自らの所業で最愛の娘を殺してしまったのだ」
「それで葵さまをかくまうために」
葵は研究者側からすれば格好のサンプル、それも不老処置の数少ない成功サンプルだった。
そのため極秘裏にかくまわなければならなかった。
「・・・しかし、葵さまはそのことをどこで?」
「もしかして、葵、その病院って」
それまでやり取りを黙ってみていた麗子が会話に割って入った。
「そう、石崎の系列の病院よ」
葵の話では、最初は何となく選んだ石崎の家への潜入だったが、そこで石崎の人間と関わるうちに石崎も関与する病院事業の闇に触れてしまったのだった。
「今思えば、私の中のゆきめお母様の記憶が導いてくれたのかもね」
葵の中にあるゆきめ様の記憶、ゆきめ様も葵の出自を調べていたということか。
「それで、私をどうしたいんだ、葵、石崎君のように殺すのか」
「直輝さんは殺してなんかいないわ、あれは本当にただの事故よ」
葵はどうも麗子をかばったようだった。
「でも、おじいさまに2つだけお願いがあるの」
「お願い・・・なんだ?」
「1つめ、私は幸姉山に巫女として戻りたい、だから以前のような豪華なものでなくていいから山神様を祀る神社を建て直してほしいの」
神社の再建、ゆきめの弔いのために燃やしてしまった影山が言うのもなんだが、山神を祀る神社が焼失した後、山は明らかに変わってきていた。
木々も沢も生き物も弱々しくなった。
山の神が弱れば、山も死ぬのだ。
「もう、雪月草も消えてしまったのだから、普通に山の登山者も参拝の出来るようにしてもらいたいの」
葵の一つ目の申し出に泰三はゆっくりとうなずいた。
「わかった、いいだろう、それでもう一つは」
「私の身体を・・・この不老の身体を正常な体に直してほしいの」
葵の二つ目の申し出に泰三の顔色が変わる。
「お前の身体をもとに・・・だと?」
「・・・これもわかってるのよ、もう完成してるんでしょう、不老の体質を消失させる薬が」
葵が同席していた小野方女史に視線を向けた。
なるほど、小野方女史をこの場に呼んでいたのはそういうことかと影山は納得した。
小野方さんは戸惑いながら泰三の方を見ている。
「・・・そ、それは」
泰三は何を戸惑っているのだろう、雪光製薬のトップなのだから、いくら葵が貴重なサンプルだからと言って、それほど難しいことだとは思えなかった。
「ブライトネス・ファーマ・・・かしら?」
葵が唐突に口にした名前、ブライトネス・ファーマ、アメリカの大手製薬会社だ。
「・・・そこまで、調べているのか」
泰三は諦めたようにつぶやいた。
「・・・そうだ、この研究、いやこの雪光製薬の後ろにいるのはそいつらだ」
泰三は説明した。
戦後の財閥解体の折に戦争中の軍の人体実験を日本人で続けるため雪光の家はブライトネスに利用されたこと、そして今でも日本政府を通じて干渉を受けていること。
泰三は手を顔にあてて、しばらくの間考えていた。
「・・・だが、せっかくの葵の願いだ、何とかしよう」
泰三の声には抑揚が乏しかった。
いや、込められた感情の強さが彼の声から抑揚を奪っているといった方が正しいように思えた。
「社長、今の話は・・・」
話の間に小野方さんが入ってきた。
「ああ、すまない小野方君、そういうことだから頼むよ・・・」
社長の決断、これで今回の話は片が付いた、影山はそう感じた。
しかし・・・
「そんな命令は聞けませんね」
不機嫌そうに小野方は答える。
「な、なにを言ってるんだ!」
信頼している部下の思わぬ暴言に泰三が強い口調で叫ぶ。
しかし、小野方は少しも動じない。
その光景に泰三は理解ができないという様子だったが、次の彼女の言葉はさらに理解不能だった。
「・・・だって、葵ちゃんは『私達』の貴重なサンプルですもの」
小野方はやれやれといった表情を浮かべる。
小野方女史は『私達』と言った。
それは明らかに雪光製薬のことではなかった。
「やっぱりあなたがブライトネスの人間だったのね」
葵の言葉を聞いた小野方は苦笑する。
「ん? 気づいていたの?」
「ええ、ここ何年かいろいろなところに潜入して、人体実験に関する情報も集めていたけど・・・」
葵の指摘に小野方は特に気にかける様子でもない。
「でも、以前に私はあなたに石崎の病院で会っている、私は4歳だったけど、あなたの顔は覚えているわ、あの時の名前は緒方先生だったっけ」
葵の言葉に少しだけ小野方の表情に変化があった。
「そして、ゆきめお母様がもっていたこの写真」
葵は一枚の写真を取り出した。
ゆきめの部屋に隠されていたファイルに挟まれていた写真の1枚だ。
だいぶ古い写真のようだったが、そこには小野方らしき女性が映っている。
「これあなたですよね、日付は今から70年前、あなた一体何歳なんですか?」
20年前の葵の子供の時に会っていることも違和感に満ちていたが、70年前でもほとんど老いていないということは・・・
「ふう、レディーに年を聞くなんて失礼ね
・・・134歳よ」
低いトーンで小野方は答えた。
「き、君はいったい!」
泰三の言葉にも小野方の表情は変わらなかったが、思い出したように語り始めた。
「ああ、社長には本当に感謝しているんですよ、前の研究所で私の素性がばれかけて、教授を一人自殺に見せかけて殺しちゃって・・・追い出されちゃったときに拾っていただいて、今度は堂々と雪光に潜入しながら、研究が続けられたわけですから」
ようやく彼女は笑った。
「影山!」
葵が叫んだ、影山は小野方に向かっていこうとするが、体が動かない。
緊張や恐れで体が縮こんでいるのではなかった。
何か見えない力に体全体を押さえつけられているような・・・
「ふふ、動けないでしょ」
影山の固まっている姿を見て、小野方は全くの余裕を見せている。
「な、なにをした」
影山はわずかに震える声で叫んだ。
「ちょっとあなた!」
葵の目が怪しく光る、しかし小野方は一瞬ふっと目を閉じただけで特に変化はない。
「妖術・・・じゃないわよ、ちゃんと科学的なのよ、私の思念であなたたちの脳に簡単な命令を送っているだけよ、動くな、ってね」
動けない葵たちを見て、小野方は続ける。
「葵ちゃんも私のことを調べてたみたいだけど、私も葵ちゃんの研究はしてたのよ。あなたの能力は目から脳に信号を送るわけだから、あなたの目が光った瞬間に目を閉じるだけで簡単に防ぐことができる、こういう能力をもっている存在を日本ではなんていうのだったかしら」
「・・・この妖怪ババア」
「そうそう、妖怪よね、葵ちゃんたちは雪女と雪男、あ、吸血鬼もかしら」
そういうと小野方は指を鳴らす。
社長室のドアが開いて、警備員達が入ってくる。
警備員は葵達を後ろ手に拘束した。
「私の場合はネクロマンサー、死人使いかしら、まあ、私の場合は能力が優れているから生きている人間にも簡単な命令を与えることぐらいはできるけどね」
死人使い、よく見ると警備員の服を着ているが、彼らは皆目の焦点が合っていない、肌もまるで作り物のように固そうだ。
「今このフロアは私のかわいいモルモット人形達でいっぱい、逃げることもできないわよ」
「あなた、いったい何をしようとしているの」
葵は叫んで問いかける。
「不老研究の完成よ、100年ほど前戦時中の研究の成果として奇跡的に生み出されたのが私だった」
「あなたも私と同じ、人為的に作られた不老者・・・」
「でもね、完全じゃなかったのよ」
小野方は左手にはめていた手袋を外し、腕の裾をまくった。
彼女の左腕は若者のそれではなかった。
深いしわが入り、色も艶も失っている。
「どんどん、この老いの部分が広がっていっているのよ、だから私は早く研究を完成させなければいけない、そして、研究の完成は同時に不老という人間達が逆らうことのできない絶対的な価値の完成、『私達』は人間達の運命を決める新たな神となる」
知性と教養に満ちた笑顔だった。
だが、その仮面の下にはどす黒い影を感じずにはいられない。
「・・・狂ってるわね」
「ははは、お前のような小娘に何が分かる」
「わかるわよ!」
すぐさま葵が叫んだ。
「永遠の命なんかいらない、好きな人と恋をして、家族を作って、そして年老いて死んでいく
・・・そんなあたりまえだけど幸せな人生、それが私の望みなのよ、あんたなんかにはわからないでしょうけどね」
冷たい表情のない顔が多かった少女から聞きなれない言葉。
その瞬間、影山の意識が歪み、別の抑えていた力が浮かび上がってくる。
たちまち影山の身体は倍ほどに膨れ上がった。
葵の身体にも変化があった、銀色の輝きが葵を覆っていく。
そして輝きは収束していき、美しい女性の姿となって小野方の前に立ち上がった。
「な、なに?」
はじめて小野方から落ち着きが消えた。
「私達の力の源の雪月草のエキスはもう失われてしまったけど、別の良くなじむ血をあらかじめ飲んでいたのよ、とってもたくさん抜いちゃったけどね」
影山は顔色の悪い麗子を見た、葵と同様に麗子の血の力は影山にもよくなじんだ。
そのために葵は麗子を連れ出したのだった。
影山は小野方の思念と警備員の拘束を破り、すさまじいスピードで動いた。
そして到底かわすことのできない速さの一撃で小野方の身体をとらえた。
振り上げられた雪男の一撃は小野方の体を吹き飛ばし、嫌な音を立ててガラスの壁にたたきつけた。
「ば、ばかな・・・」
小野方は憎しみのこもった声を上げるが、彼女の能力も全く間に合わなかった。
なんとか逃げようと小野方はもがいたが、叩きつけられた衝撃でガラスの壁は砕け散り、彼女の体はビルの谷に落下しようとしていた。
「いやだ、この私がこんなところで!」
小野方の絶叫に葵は悲しい笑みを浮かべた。
「さようなら、もう一人の私、せめて最後は快楽の夢の中で・・・」
葵の目が冷たい光を放つ、無残に打ちのめされた小野方は夜のオフィス街へと落下していった。
nextpage
数瞬後、ふと場違いに柔らかな微笑を遥は浮かべた。
既にその顔には死相めいた色が現れているというのに・・・
「何かしら、キラキラした輝きが見えるわ・・・」
遥の周りを砕けたガラス片が光の反射を受けてキラキラと舞っている。
しばらくの沈黙の後、葵の幻視の影響で声が聞こえる。
「遥・・・あれはこの世界の新しい支配者を歓迎する人間達の花火よ」
その声に呼応して遥は自分の左手を見やった、老化でしわくちゃになっていた手のひらは元の若さを取り戻している。
ついに不老不死の研究は完成を見たのだ。
遥は歓喜の雄たけびを上げた。
nextpage
「はは、そうか人間達、見なさい、これがお前達を支配する新たな神の姿よ!」
遥が叫んだ、一瞬の空白の後、遥の体は黒い地面の上に激突していた。
肉と骨のはじけ飛ぶ轟音が深夜のオフィス街に響き渡った。
nextpage
すべてが終わった後、葵たちは幸姉山への帰途についていた。
泰三はあらためて神社の再建を約束し、葵の不老を消失する薬も用意するといった。
そして、不老研究のプロジェクトを含めて、葵がこの数年で集めた人体実験に関わる情報は死んだ小野方の内部告発本ということで世間に出すと明言した。
麗子にはもう帰っていいよと葵は言ったが、家も婚約者も捨てて付いていくと言って泣いてすがりつかれた。
もう真性のドエムといいうか、従僕のありさまだった。
しばらくは葵も説得していたが、諦めて付いてくることを了承した。
幻術を使えば、どうとでもなるのだが、あえてそうしなかったのは、葵もまんざらでもなかったように思えた。
影山は麗子の血の力で美しい大人の女性になった葵を眺めていた。
血は繋がっていないはずだが、どことなくゆきめに似ていた。
政府の人間という立場だったが、自分が真に忠誠を誓っていたのはゆきめただ一人だった。
その思いが好きとかそういう感情だったかと自問してもそれは影山自身にもよくわからなかった。
もしかしたら、そうだったのかもしれないが・・・
「ふう、色々あったけど、ようやく戻れるのね」
葵がつぶやく。
そして、葵は影山と麗子の方に向き直った。
「無理をたくさん言って・・・迷惑ばかりかけちゃったわね」
影山の目に映る葵の姿が別れの日のゆきめの姿に重なった。
そんなことありませんでしたよ、ゆきめ様。
影山は心の中でそっとささやいた。
「それじゃ、山の別荘に帰って、焼き肉パーティーでもしましょ、これから成長する私の身体のためにもお肉を取らないとね」
麗子の腕を抱き寄せながら、葵がほのかに笑みを浮かべる。
葵の表情は少し涙ぐんでいるような感じだったが、影山は気にしないことにした。
それは影山の方も同じだったから。
ようやく柔らかい朝の陽光が葵達に降り注いだ。
一日はまだこれから始まるところだった。
作者ラグト
あなたは頭の病気ですかと問われれば、今回ばかりは多分そうですというしかないラグトです。
葵の外伝第2話となります。
一応、ここで終わってもいいかなというところまでは書いていますが、冬弥と千夏の結婚式にサプライズ乱入する葵や新たな刺客を差し向けられる幸姉山の神社や葵と麗子の甘々な百合ストーリーなんかもいいなあ、誰か書かないかなあ(無限ループ)とも願っています。
また、不備等ございましたら、遠慮なくご指摘ください。
そして執筆者の皆様、再びこのような機会を与えて下さりありがとうございます。
本外伝の登場人物
雪光葵(ユキミツ アオイ):幸姉山の雪女、潜伏生活を送っている中で麗子と良い関係になったが、麗子の前から姿を消していた。
石崎麗子(イシザキ レイコ):葵に心底惚れこんでしまった石崎財閥の現当主。
石崎直輝(イシザキ ナオキ):石崎財閥当主の長男だったが、麗子の力の暴走によって変死。麗子の兄。
影山(カゲヤマ):幸姉山の雪男、元葵の従者だったが、今は・・・
ゆきめ:幸姉山の雪女、葵の母親でもある。育ての親。
雪光泰三(ユキミツ タイゾウ):雪光製薬の社長であり、葵の父親でもある。育ての親。
小野方遥(オノガタ ハルカ):元、国の息のかかった研究所の研究員。泰三によってヘッドハンティングされ、今は雪光製薬で不老不死の研究をしている。
警備員:ゾンビ・・・ではないと思う。
第一走者 紅茶ミルク番長 →http://kowabana.jp/stories/25592
第二走者 鏡水花様→http://kowabana.jp/stories/25618
第三走者 ラグト →http://kowabana.jp/stories/25616
第四走者 紺野様→http://kowabana.jp/stories/25630
第五走者 mami様→http://kowabana.jp/stories/25638
第六走者 綿貫一様→http://kowabana.jp/stories/25648
第七走者 マガツヒ様→http://kowabana.jp/stories/25654
第八走者 コノハズク様→http://kowabana.jp/stories/25672
第九走者 よもつひらさか様→http://kowabana.jp/stories/25677
第十走者 ロビン魔太郎.com様→http://kowabana.jp/stories/25692
外伝走者 こげ様→http://kowabana.jp/stories/25696
外伝走者2 ゴルゴム様→http://kowabana.jp/stories/25759
☆☆☆本編の登場人物紹介☆☆☆
桜田 春美(サクラダ ハルミ)…春に地元の大学院への進学を控える大学4年生。明るく優しい性格で行動力がある。千夏とは高校からの親友。大学のサークルが一緒の4人で昔から色んな場所へ遊びに行っていた。今回の旅行では告白する決意をしてやって来ている。
海野 千夏(ウミノ チナツ)…春に地元で就職を控える大学4年生。社交的で誰に対してもフレンドリーな性格。父親が日本屈指の大手企業の社長で一言に『お金持ち』。今回の旅行も彼女の父親のコネで実現した。
紅葉 秋良(アカハ アキヨシ)…春に県外で就職を控える大学4年生。素直だがかなりの単純脳。頭より先に体が動く性格で、自身がバカだと理解しているタイプ。サッカーのスポーツ特待生で入学したため運動能力は秀でている。
雪森 冬弥(ユキモリ トウヤ)…春に県外の大学院へ進学を控える大学4年生。落ち着いた性格でお兄さん的存在。4人の中で最も頭がいいが、友人の秋良が失敗するのを見て面白がるSな一面も…。
三神 (ミカミ) …政府に通ずる人間。一見紳士だが、得体が知れない。