晴れ渡った青空の下、清流と呼ばれたその場所にはいくつもの動物の死骸が浮いていた。
血なまぐさいだけではなく、酷い腐乱臭が鼻をつき、ハエや得体の知れない虫が羽ばたいている。
なぜ、どうして、と何かに問いかけるがそれにこたえるものは誰もいない。
黙々と片付け作業をする大人達に、これらはどうなってしまうのかと尋ねれば、無情にも皆一様に「ゴミとして処分される」と答えたのだった。
蝉の声が痛いくらいに耳を叩いていた。
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三門勇次の件から早一ヶ月。あれから俺は、何故だかわからないが幼い頃の夢をよく見るようになった。
うなされて起きればそこには何もなく、息をついて寝直すもまたその繰り返しで、夏バテとともに睡眠不足が重なり、とうとう倒れてしまったのである。
もちろん俺には見舞いに来てくれるような友人がいるわけではなく。一人寂しく、時折心配する友人のLINEが飛んでくるのに返信をしながら過ごしていた。
そろそろ昼でも食べるか、と起き上がった時。ちょうど来訪者を報せるインターホンが鳴る。この時俺は、不用心なことに、ドアスコープを覗かずに玄関を開けてしまった。
そこには。
「うす」
黒字に金色のラインが入った、龍が刺繍されたジャージ姿の、刀路。
無言で俺がドアを締め切る前に、間に足を滑り込ませるその素早さは尊敬に値する。お前はやっぱりヤクザか。
「なんでウチ知ってんだよお前は…ッッ」
「あの人…竜さんに教えてもらったんです、ちょつと、早く開けてください、変な目で見られるのはアンタですよ」
「…くそぉ…」
通りかかった確かにご近所さんからの視線が痛い。渋々ドアを解放し、中に入らせると背後から母のそれはそれは元気な声が聞こえてきた。
「あらあら!お客様ね、どうぞゆっくりしていってくださいな」
「お邪魔します」
などと言いながら冷たい水出し茶を渡す母に肩を竦め、刀路に向き直る。
「何か用あって来たんだろ」
「鋭くて助かります」
「断る」
「『なーちゃんに拒否権はないから』」
その言葉にぐっと息を詰める。
そんな俺に気付いているのかいないのか、刀路はわかっただろうと言わんばかりに話を続けた。
「樹海に行きますよ」
「いやおまえ馬鹿か」
思わず早口でそう罵ってしまったのは仕方のないことだろう。
しかし俺に拒否権は無いわけで、さっさと着替えてきてください、という刀路に憤慨しながらも言葉に従い、疲労やら夏バテやらで重い体を叱責して外に出る。
…夏の日差しが痛い。いや、まぶしい。
「どこ行くんですか、車こっちですよ」
「あ?お前の車で行くのか」
「さすがにその状態で運転されて事故られて死にたくないんで」
成程賢明だ。
家の前に留められていた黒いボックスカーに乗り込むと、出発と同時に刀路が話を始めた。
「尋ね人がいるらしいです」
「生きてんのかよその人は…」
「生きてる人間だと思いますか?」
もっともである。
しかしなぜその恐らく死んでいるであろう人物を探す必要があるのか。謎だ。そんな俺の心境を察したのか、刀路は器用に運転しながらスマホを取り出して俺に投げてよこした。画面に映し出されていたのは、小さな箱で。
「なんだこれ…」
「掲示板とかによく、コトリバコってあるでしょ。あれに近いものらしいです」
「はあ?!なんだってそんなもの…」
「正確には畜生箱って言って、何でもいいから動物を殺してこの箱に臓物ぶっこんで三日間放置して、その後自殺すると呪うことが出来るらしいですよ。まあ、大抵失敗してるらしいですけど」
話を聞くだけでも吐きそうだ。思わず顔を顰める。
要はその箱を回収して来いというのだろう。一体その尋ね人は、どういったことが原因で人を呪おうなどと思ったのかはわからないが、樹海で自殺なんざやめてほしい。回収に回される人間のことを考えて…いや、そんなこと気になどしてられないだろうが。
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さて、辿り着いた樹海は日の光の下にあっても何か不気味なものが感じられる。
「迷子になったらどうすんだよ」
「死ぬんじゃないですか。」
ポツリ、と当たり前のように返され絶句する俺を他所に刀路は歩みを進めた。
それから見失わないようにと後ろを慌ててついて行くこと早一時間。―手がかりは、もちろんなかった。
そもそも当たり前だろう、俺たちは尋ね人の顔写真を持っているわけでもないし、この広大な木の海の中で小さな箱を見つけるなど無理に等しい。
「お、お前…帰り道わかるのかこれ!!」
「そんなもんコンパスを使えば大丈夫ですよ、ビビリすぎですアンタ」
「え?コンパス使えるのか」
「携帯は使えませんけど。まさかコンパスが使えなくなるなんて都市伝説信じてたんですか?」
「いや、だって」
そんなことは中々普通の人間は調べないだろう。
弁明してもどうせ鼻で笑われそうで、言葉を呑み込んだ。すると急に、あ、と刀路が声を上げた。そこには、ぎしぎしと音を立てて揺れる―
「う、わ…」
「ああ、さっきからそういうところは通らないように気を付けたんすけど…って、アンタ、」
ああいうのは平気なんですね?
俺よりも平然とした顔でそう言われたが、少なくともこの間見たものよりはまだ耐えられる。
肩を竦めて返答すると、また、あの、ぞっとするような笑みを浮かべて刀路は「へえ」と、ただ、それだけ言ってまた歩き始めた。
この男が言わんとしていることが判らず、一人、首を傾げた。
「―知ってますか」
「え?」
「樹海では年に一度、自衛隊を出動させて自殺者の回収をするそうです。それでも見つからない遺体もあるらしいすけど…見つけてほしい、そう思ってる人が樹海で死ぬ。あんた、人が自殺するのを見たことはありますか」
「そんなの」
無いに、決まっている。
そのはずだ。
なのに、その言葉が出てこなかった。
「まあ、そうですよね。今の話は忘れてください」
「…」
息が、詰まる。
どうしてだ、しっかりしろ。自分を叱責し、何とか刀路の後ろをついて行く。
丁度大きな岩が転がっているところで、俺だけだろうか。獣のような唸り声が聞こえてきた。
先程の箱の話を思い出して立ち止まると、ちょうど、俺の真正面にそれはあった。
不自然に伸びた首。突き出た舌。支えの木はしなっている。そして、その足元には、小さな木箱。
「あ…」
あれだ。
確信に囚われるように足を踏み出した。
動物の臭いが鼻につく。不思議と人間の腐った臭いはしない。
手にした箱は、呪物としてはやけに軽く、そして綺麗なもの。
くるくると手元で回して観察していると、ぐるり、と唸り声が聞こえた。
下を向く。
―息が、できなくなった。
苦しい。苦しい。まるで首を絞められているようだ。
足元の獣はまだ唸っている。
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「―お前生意気だな」
途切れかかった意識がドスのきいた低い声で明瞭になる。
ぐしゃりと何かがつぶれる音が耳に届き顔を上げると、そこにはまるでなんの感情も読み取れない、いつものあの表情のまま何度も、何度も、犬を踏みつける刀路。
一見動物虐待のように見えたが、息を整えてよく見てみるとソレは、腐った男の顔が付いた人面犬だった。
「刀路」
「…―」
足を止めた刀路はこちらに振り返り、最後に一度だけソレを踏みつけるとつまらなさそうに一言呟いた。
「帰りましょう」
「…ああ、うん…」
そうだな、と漏れ出た声は、掠れていて。
結局なぜ俺達がこの箱の回収を任せられたのか改めて刀路に聞くと、また刀路はつまらなさそうにコンパスを見ながら肩を竦めた。
「呪われてる本人が回収するのが一番らしいです」
それが俺なのか、それとも刀路のことだったのかはわからない。
いや、わかりたくもなかった。
作者中崎べろる
新年あけましておめでとうございます。
前回の話の二人に樹海を探検してもらいました。
狂っているのは何なのか?
呪われていたのは?