それは、ある日の昼下がり話だった。
俺、木藤奈雲はカフェで働いているのだが、時折、職場の先輩から厄介な相談事が回されてくる。今回もそれだった。
「なーちゃんに拒否権はないから」
それが先輩の持論であるらしい。
何より気弱な俺に、笑顔でそう迫ってくる先輩をどうにかするなんてことは出来るはずもない。今回も小さく、はい、と頷くしかなかったのである。
先輩から回ってきた話はこんなものだった。
何でも相談相手であるこの目の前の男ー三門勇次が家を出てそれから帰ると、殆ど毎回、ものの位置がズレていたり、無くなっていたりするらしい。もちろん気のせいではないかとか、彼女のせいではないかとか思って確認をしたものの、彼は几帳面でものは必ず元の場所に戻しているし、彼女は三門がいない間に家に入り込んでいることは無いと言ったらしい。
そこで先輩に話が回ってきたのだが、生憎店と副業で忙しく―俺に白羽の矢が立ったのだった。
だがしかしである。俺にはお祓いが出来るだとかそういう力は一切ない。ほんの少し見えるくらいで、むしろ怖いことは苦手である。不安に駆られている俺を見て先輩は、からりと笑ってある男を紹介してくれた。
そう、現在目の前で三門と話している男、刀路である。刀の路と書いてトウジと読む。如何にもヤクザな見た目は俺を委縮させたが、何を隠そうこれで二十歳、俺よりも年下だというのだから驚きだ。
それはともかく。二人の話に耳を澄ませていると、どうやら話は決まったらしい。
「三門さんの家に張り込みます、もしかしたら普通にアブナイ人間かもしれないんで」
「アブナイって…」
「もしそうじゃなくても、アンタいるから大丈夫ですよ安心してください」
何が安心なのか、問い正したい衝動に駆られるが嫌な予感しかしないのでぐっとそれを堪える。
そう、この時俺は、思ってもいなかった。俺とこの男、刀路が初めて出会ったこの件で、自分史上一番怖い思いをすることになるとは。
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三門という男が住むアパートは築三五年のおんぼろで、それこそ夜には絶対に一人で通りたくないと思うような住宅街の小道にあった。思わず顔を顰める俺に鼻を鳴らして笑ったのは他でもない刀路だ。
「ビビリ」
「うるせえ!何が悲しくて男二人でこんな如何にもなところに張り込まなきゃならないんだ!どうせなら可愛い女の子とが良かった」
「それはこっちのセリフですが」
「なんだと…っ?」
声を荒らげる前に、刀路が俺の口を塞ぐ。ちらりと刀路が見た方を見れば、そこには、なんと―いくつもの動物のようなものが群がり、恐らく三門の部屋の窓であろう場所から出入りをしていた。
しかしそれだけではない。よく見れば陽の光を受けて晒されるその体は、腐敗し、そして骨が見え蛆が湧いている。
「あああああれ…!」
「情けない声出さないでもらえますか」
何を隠そう俺はホラーはもちろんグロも駄目、そして犬と猫以外の動物が苦手である。
苦手な者のトリプルコンボで今すぐ失神してしまいたいくらいだ。
そんな俺を放って黙ってその様子を見る刀路はとても楽しそうな笑みを浮かべている。
―頭おかしいんじゃねえの?
言葉を呑み込む前に、その表情に喉が鳴った。
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余りにも無邪気で、そして冷酷な、子供の様なその笑みは、目の前の光景が相まって俺に絶大な恐怖心を与えた。しかしそれはすぐに消え失せ、なんの感情も読み取れない無表情となり、そして刀路何事もなかったかのように立ち上がってこう俺に宣った。
「あれはもう、ダメですね。因果応報」
「は?おい、刀路!?」
駄目、とはどういうことなのか。
そのまま去ろうとする刀路を追い掛けようと俺も立ち上がったとき、やけに体が重たいことに気が付く。そのまま壊れたブリキのように下を見下ろして、俺は女子よろしく甲高い悲鳴をあげた。
「ちょっとアンタ…!」
「無理無理無理!!」
慌てて戻ってきた刀路に縋りつくも、体を重たくしている原因であるものは決して離れようとはしない。体を這いまわる無数の腐敗した生き物は腐臭を放って縋りついてくる。恐らくネコだったであろうもの、ハムスターだったであろうもの―それらは内臓や目が飛び出ていて…とにかく地獄絵図だ。そろそろ気絶する、そう思った時、突然足に縋りついていた一匹が消えた。いや、蹴り飛ばされた。
「アンタ喧嘩も出来ないんすか!!」
「できるわけないだろお!」
僅かに聞こえてくる舌打ちに身を竦める俺を立ち上がらせ、次々と生き物を払い落としていくその手は汚れ一つ付いていない。そのまま半泣きで刀路について行き、車に乗り込む。
あれは一体何だったのか聞くと、刀路はやれやれと肩を竦めた。
「詳しくは知らないですけど。あの三門とかいう男、大方動物虐待でもしてたんじゃないですか。ペットショップに勤めてるって言ってたし」
「お前、それでダメって…」
「違いますよ、ダメなのはあの三門じゃなくて」
言葉に続けて、ぴ、と小指が立てられる。それが意味するところはつまり。
「まさか」
「オンナ。あっちが三門に執着してる限り、あれも離れないでしょ。よくないものは同調する」
さわさわと窓から吹き込む風が頬を撫でる。静まり返った車内が少し気まずい。
この時初めて俺は気が付く。俺が一番恐怖していたのは、他でもない―この男だった。
作者中崎べろる
初めまして、中崎べろると申します。
ギャグテイストのジワ怖をめざして、主人公にはがんばってもらうシリーズです。御手柔らかにお願い致します。
一番怖いものはなんなのでしょう。