その日、私はある男がアルバイトをする喫茶店を尋ねた。
外観はモダンなモノクロ調なのに、中に入ればアンティーク調の、いわゆるちぐはぐさが何故か落ち着きを感じられる。
いらっしゃいませ、と声を掛けてきたのは銀髪の人の好さそうな青年で、目に見える客はガラの悪い男と着物姿の男の二人だけ。きっとパーティションに遮られた個室のような席にも客はいるのだろう、楽し気な声が聞こえてきた。
「おひとりさまですか?」
「ええ」
「でしたらカウンター席で」
「お願いします」
ニコリと私の言葉に微笑む彼の名前は、ミナセ、というらしい。
メニューを見て、鶏照りのサンドイッチとミルクコーヒーを頼む。調理は裏でするらしい。
暫らく待つ間に、とミナセさんが声を掛けてきた。
「ここに来るのは初めてですか?」
「ええ、噂で聞いて」
「そうなんですか。俺はミナセ…水に瀬戸の瀬で水瀬って言います」
「そうなんですか、水瀬…、あの、ここのアルバイトで木藤という方はいますか」
「木藤?ええ、いますよ。―あなたの調べたとおりに」
ことり、とコーヒーが手前に置かれる。
それと同時に目の前の青年の笑みが深まり、私は思わず椅子ごと後ろに下がった。
どうしてそれを、知っているのか。
嫌な汗が皮膚の上を滑ったような気がする。
「あ、あなた達は、騙されてるのよ…」
「何にですか?」
「あの、あの男によ」
わざとらしく首を傾げる水瀬に、私はごくりと唾を呑み込む。
おかしい。
先程まで聞こえていた声が消え、獣の臭いと、血を這うような声がじわじわと脳にしみこんでくる。
「あの男は!!あってはならない存在よ!!私はアイツを殺さなければならない!!絶対に!!あの男はどこ!?教えなさい、じゃないとあの人が死んじゃう―」
「お客様」
お静かに。
唇に人差し指を当て、個室の方を指をさした。
私は思わず出かかった悲鳴を呑み込み、椅子から立ち上がって後ずさる。
「聞こえるかえ」
「聞こえる、聞こえる、女の声だ」
「ああ、なんとわずらわしい」
「あの坊主が忌み物らしい」
「それはまた酔狂な」
様々なモノたちの声。声。声。
日差しに浮き上がる影は人間のものではない。これは。
「何を怖がっているんです?あなたも同じでしょう、ほら」
彼は何を言っているのか。
私は人間だ、あんな化け物ではない。
「ある人曰く、人間は自分を人間だと理解しているのは類型的分類に基づく意識によるものだと言っていますが―あなたもどうやらその口で?もう一度言いますが、自分の体を良く見てください」
張り付けられた笑みに身を竦め、自分の体を言われるがまま見下ろす。
―嘘だ、嘘だ嘘だ。私がこんな、こんな忌々しいものだなんて!きっとこの男が嘘をついているに決まってる!
「あなたの親はどこであなたをつくる術を学んだのか…もう、七人目です、木藤を訪ねてきたのは」
私はいつも、あの人に「木藤南雲はとても卑しくて悪い奴だ」と、話を聞かされていた。
動けなくなったあの人の代わりに私があの男を殺さなければならないのだ。
お守りだ、そう言ってあの人は蛇の抜け殻を持たせてくれた。
それなのに、この目の前の男は七人目だという。私は一人しかいないのに。
おかしい、おかしい、オカシイ。
私は、一体―。
「…もう気ぃ済んだかよ、竜さん」
「はあ、これだからお前はさ」
ぴしぴし、と体がきしむ音がする。
体中が痛い。
私は一体誰なのか、わからない。何も思い出せない。
さっきまでは、ちゃんと記憶にあったはずなのに、どれもこれも、まるで本で得た知識のようにはっきりとしない。
「酷いもんだよ、動物嫌いのあの子にはうってつけのおまじないだ」
ばきりという音と共に、目の前が赤くなった。
nextpage
まったく生き物を粗末に扱うなど、同じ人間の仕業か。いや、そういう人間は数多くいるが。
俺は目の前の干からびた蛇の死骸を摘み上げ、ため息を吐いた。
最近では専門家やそっちの道の人間でなくとも、ネットでこういう呪いの類の情報はいくらでも入手できる。腹立たしいことである。
人を呪わば穴二つ―自分の墓穴の塞ぎ方も知らない素人がこれを寄越したのなら、死んでも自業自得だ。
蟲毒―虫や爬虫類が最後の一匹になるまで坩堝に封じる呪い。孤独、ともいうらしい。
「あんなもの中に入れるなんで、気でも狂ってんじゃないですか」
笑みを浮かべたのはどちらだったか。
早くその時が来ればいい、と干からびた蛇をゴミ箱に捨てた。
作者中崎べろる
木藤くん&刀路くんシリーズ。
先輩と刀路くんの話です。