「雀蜂の巣ぅ探すにゃあ、これを用意するがぁ」
色褪せた麦わら帽をかぶった老人がひゃひゃひゃと笑った。
指にひとかけの白っぽい肉片がつままれている。
「それは何ですか? キムラさん」
「鳥のささみだで。これを仕掛けるが」
「へええ」
「仕掛けたささみを取りに来たらこん印をつけるがぁ」
こよりの付いた糸をキムラ翁が差し出した。
「へええ」
さっきから自分が間抜けな返事しかしていないことに気付いて心の中で笑った。
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心機一転、田舎暮らしを実行した私は、不満を漏らしながらもついてきてくれた妻のご機嫌を取りつつその生活を満喫していた。
幸運なことにご近所さんはみんな親切でなんでも教えてくれる。
私は隣人のキムラ翁に蜂の子の取り方を教わっていた。
この辺りの蜂の子で作った佃煮がうまいと聞き、作ってみたくなったのだ。
一度でも試食できたらわざわざ作りたいと思わなかったかもしれない。
だが、あまりの美味さにすべて食べてしまうので村には作り置きがないのだそうだ。土産物屋にも出回らない地元民だけの食べ物だとキムラ翁がいう。
これは食べてみなくては。
妻から、「そんなもの作れんの?」と馬鹿にされ、意地でもやってやろうと決心した。
収穫の時期に近いということでキムラ翁が快諾してくれたというわけだ。
だが。
「ほら、来たで」
どこにいるのかわからないのに大きな羽音がする。嫌な音だ。
怖くなり思わず木の陰に隠れキムラ翁を見る。
「怖くないんですか?」
「こんなん怖がっとったら蜂の子取れんで」と、ひゃひゃひゃと笑う。「おっ、止まったで、よう見とくがぁ」
木の陰からそっと覗くと枝に刺したささみの肉に食らいつく大きな雀蜂の後ろ姿が見えた。
キムラ翁は恐れもせず蜂に近づき、その後ろ足にこよりの糸を引っかけた。しばらくして飛び立ったので、再び木の陰に引っ込んだ。こんなところを見たら妻が笑うだろうが、手も足も出ない。
「早よっ、追うで」
ふわりと飛んでいくこよりをキムラ翁は追った。
私も恐る恐る木陰から出てその後を追う。
当たり前のことだが、雀蜂は追ってくる人間のことなど考えていない。道から外れた藪の上を飛んでいくのでしっかり視野に捉えるのは大変だった。
だが、キムラ翁は迷いなく追いかけていく。
「ここやな」
いったん足を止めた翁は、今度は藪の中に入り込んだ。
しばらくして藪から出てくると、離れた場所で待つ私に両手で大きな丸を作ってみせた。
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近隣の男たちが集まった。
煙幕とシャベルを持って目印を付けた場所へ蜂の子確保に向かう。
ぶんぶんという羽音すら怖くて、結局私はそばに行くことができなかった。
役立たずだ。まだまだ村の男として認めてもらえないだろう。巣を取り出す場面すら見ることができず、自己嫌悪に陥る。
だが、そんなことを気にしている人たちはいない。みないい人たちばかりだ。
キムラ家の庭先が祭りのような騒ぎになる。ここにはちゃっかり私も混ざった。
蜂の巣は結構な大きさでみな大喜びだ。
ゴミ用袋いっぱいに入った蜂の巣が取り出される。
小さな六角形の一つ一つの部屋に蜂の子が入っていた。白い芋虫状の体に茶色の頭が付いて、もぞもぞと蠢いている。
私は目を凝らして何度も見直した。
瞬きをし、目を擦り、何度も見直した。
見間違いでも、錯覚でもない。確かに人の顔をしている。
蜂の子の顔は人のそれだった。その目を口を歪めて甲高い声で泣き叫んでいる。
巣を守ろうとしがみついたまま死んでいる親蜂も人の顔をしていた。
呆然と見つめる私にキムラ翁が耳打ちする。
「ここの蜂ぁ山で自殺したもんの死体を喰うでぇ、みなこんなだ。ひゃひゃひゃ」
私は田舎暮らしをこのまま続けていけるかどうか自信がなくなった。
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*
「ほれ楽しみにしてた蜂の子だで、食いな。うまいでぇ」
キムラ翁は蜂の子の佃煮が入った小皿を差し出し、「おまん、あんとき佃煮作らんかったでおすそ分けや」と笑った。
「蜂の子取りでは役に立たなかったんで、いただくのは申し訳ないかなと……」
「そんな遠慮せんでええがぁ。水くさいのぉ」
ひゃひゃひゃとまた笑う。
好意は嬉しかったが、あの蜂の子を調理する気にはどうしてもなれなかった。
偽りの言い訳をキムラ翁が気づいていないことを願う。
あの時みんなは、甲高い声で『泣いている』蜂の子を嬉々として持ち帰った。キムラ翁に至っては生きた親蜂も捕まえそのまま焼酎に付け込んでいた。
「早よ食うで。嫁はんに持って帰る分、ちゃんと用意してるで心配いらんよ」
私は躊躇していたが、せっかくの好意を無にするのは近所付き合いの今後を考えるとよくない。目を閉じれば何とかなるだろう。
そう決断し、震える手を皿に伸ばした。
一つだけ翁に確認する。
「人がこれ食べたら『どう』なるんですかね?」
「滋養強壮や。『元気』になるきまっとるが。嫁さん泣いて喜ぶでぇ。ひゃひゃひゃ」
質問の意図はくみ取ってもらえなかったようだ。
翁の顔が、いや村人たちの顔が何となく蜂に似ているのはただの偶然か――それを知りたかったのだが。
目を閉じて蜂の子を口に放り込む。
むちっとした歯触りがして、甘辛さと何とも言えぬ濃厚でクリーミーな味が口に広がった。
確かに、確かに美味い。
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もらった瓶詰の佃煮を帰って妻に見せた。茶色に煮詰まった小さな小さな人面の集まりを見て悲鳴を上げるだろうと思っていたが、何もためらうことなく大喜びし、ふたを開けるや否やがつがつと全部食べてしまった。
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*
散歩の途中、蟻の隊列に出くわした。
例の雀蜂の死骸を運んでいる。
まさか蟻まで――
しゃがんでよく見てみた。普通の蟻だった。
なんとなくほっとする。
小さな蟻に混じって頭の大きな兵隊蟻が数匹、応援に駆け付けてきた。
そいつらは人面をこちらに向けるとにやりと笑った。
作者shibro
雀蜂の話をもう一つ――
続編ではありません