私のじいちゃんは、ばあちゃんとは違い、
物静かで、あまり表に出てくるような人ではありませんでした。
身体を壊すまでは、朝早くから仕事に行き、夕方まで働いて、帰って来て晩酌をし、お風呂に入って、夕飯を食べて寝る…。
毎日、必ずその流れで生活をしていました。
話しかけると返事する、問いかけると答える、
荒々しく声を出す事なんて滅多に無くて、
本当に静かなじいちゃん…、と言うような印象の人です。
父は、
「昔は、大酒飲みで、怒ったら恐ろしく怖くて、
酔っ払ってフンドシで田んぼの中、走り回ったり、
畑荒らすイノシシを棒切れ一本で退治したり、
まぁ、騒々しい男だったよ。」と言うのですが、
私が知ってるじいちゃんは、
とても静かな人でした。
そんなじいちゃんですが、
とても優しい人だったのを覚えています。
特に、私の母には優しく、いつも感謝の言葉をかけてくれるのです。
気の強いばあちゃんとは、かち合ってしまうこともあった母に、じいちゃんは、
「有難うね、引いてくれて有難う。
ババァを立ててくれて有難うね。」
必ずそう言って、母に声をかけてくれていました。
separator
静かなだけで、私達に無関心なわけでは無く、
仕事がお休みの時に、じいちゃんの部屋に行くと、
「なぁんだ?来たんか?座れや?」
そう言って、座布団を渡してくれて、
折り紙やお手玉、花札なんかで遊び相手をしてくれました。
じいちゃんは、気管支が弱かったのか、笑うと、
「シャシャシャシャシャ…」と、
声では無く、『笑った音』のする人でした。
2人で遊んでいる時、じいちゃんはよく、
『シャシャシャシャシャ…』と音を立て、
ニコニコして、私の頭を撫でてくれました。
ある時、ふと気になり、
「じいちゃん、ばあちゃんと2人の時も、笑うの?」と聞くと、
「あ?笑いますよ?面白いからな、あいつは。」と
言いました。
静かというだけで、無表情、無関心なわけでは無いのだから、
「そっか、笑ってるよね」
単純に納得したのですが、
「あいつには、よく分からんもんが、度々物を言いに来て、あいつはそれらに、まるでそこにいるみたいに振る舞うもんだから、
ワシはいつも、面白いよ?」と言いました。
え?と、私は、首を傾げました。
「よく分からんもん、って…、
じいちゃんも、それが分かるの?」と聞くと、
「ワシは、今はあまり分からん。
もう歳だから、何がなんやら、頭も若い時より冴えないし、普通のもんだか、分からんもんだかの区別があまり付かなくなった。」と言いました。
「じゃあ、じいちゃんは、お兄さんだった頃、ばあちゃんみたいに、色んなことが見えたり聞こえたり、それが何だか分かったりしたの?」
そう聞く私に、じいちゃんは、
「色々あったけど、あまり思い出せないよね。
だんだん、弱くなって来たんだよ、まあ、きっかけはあったけどな。
あれはね、
separator
にゃにゃみが生まれて間なしの頃だよ。
ワシね、仕事場で事故に遭ったのよ。
整備中のダンプの下敷きになって、
自分の膝が、目の前にあった。
あー、体、半分に折れちゃったなって思った時な、
『あはあは、あはあはあはあは、あはははは、』
声が、笑い声が聞こえて来た。
顔を動かさないから、目だけキョロキョロさせてみたら、
突然、目の前に、
どピンクの顔した、目の大きい女がいたんだ。
ちょうど、にがり拳一個離れたくらいのところに。
トラックの下敷きなんだから、色なんて分かるわけないのに、そりゃもう、はっきりピンクなんだよ。
で、わしの顔を見下ろしてた。
ワシはほら、横たわってるよね、下敷きになってるわけだから。
でもそのどピンク女は、まるで地面から顔だけ出したみたいに、地面に垂直にいてて、
ワシを見下ろして、
『あはは、あはあは、あはあはあはは、あはあは、』
ってさ、
笑ってたんだ。
どう考えても、おかしいだろ?
地面から顔だけ出せるなんて、人じゃないよ。
あちゃー、変なもんに捕まってたんだなって思いながら、
この女、いつかも見たなぁ、どこでだっけなぁ、って思ってたら、
『あはあは、あはあはは、
つれてこ、つれてこ、つれてこ、あはあはは、つれてこ、あはあはあは、』って言い出しやがって、
なんだこりゃ、もうだめだ、どこだか分からないとか連れてかれて、ワシもこんなになっちゃうんだ、って思った時、
nextpage
『オッさん、何やってんだ、そんなとこで。』って、
ババアの声がしたんだよ。
ワシ、そっちの方が驚いて、
「なんだよ、ババア。いるのかよ?」って、
今まで出なかった声が出て、
それにもまた、驚いて、
そしたら、
『出てこい、早く、馬鹿野郎。』
って、ババアが言うもんだから、
「出れないんだよ、潰されちゃってるから。」って
そう言ったら、
『潰れてないとこ使って出てこい。』って。
気づいたら、どピンク女はいなくてさ、
目の前にさっきみたいに膝があったんだけど、
その膝の下に、バールがあることに気づいたんだよ。
手を動かしたら、ノロノロ動くもんだから、
バールを掴んで、地面を叩いたんだ。
下がアスファルトで、倉庫の中だから、カンカンって音がなるだろ?
ババアの野郎、側にいるなら、お前、走って誰か呼んで来てくれよって
腹が立って来てさ、
何とか出て行って、ババアに文句を言ってやらんとって、
腹が立って、力が湧いてさぁ。
どれくらい叩いていたんだか、
その音聞きつけて、仕事仲間が見つけてくれて、
トラック上げてくれて、体が折れてるから救急隊来るまでそのままいてさぁ、
アレェ、ババア、いないじゃないかって思ってて、
「目ぇ閉じるな、目ぇ閉じるな!」って、
みんなに言われてさぁ、
でも、ババアの声も聞こえもしないしね、
変だなぁって思いながら、
瞬きして、目を開けたら、
どう言うわけか、もう、病院で寝てたよ。
ワシが、目をパチパチってしてる間に、本当はとても時間が経っていて、手術も終わって、目を覚まさず2日寝たままだったらしいんだけど。
そんな事知りゃしないから、
「なんだよ、眠たいなぁ。」とか思ってたら、
そしたらあんた、
「お父さんッ!」って、声がして、
大きな声で、びっくりしちゃって、
そっちに目をやったら、
「お父さんッ!良かったッ!起きたぁ!
お父さんッ!分かる?分かる?
お父さんッ!おきたぁ!」って、
にゃにゃみのお母さんが…、
あちこち痛いのに、抱きついて来て…。
ありゃ、この子、こないだヤヤコ産んだのに、
ヤヤコはどうしたんかな?
とか、
痛いな、離れてくれんかな?
とか思ってたら、
看護婦さんが走って来て、医者が来て、
色々ガチャガチャされて、
「もう安心だ。」って言われてさぁ。
その頃やっと、
あー、大怪我したんだなぁって、改めて思い出して。
そしたら、あのどピンク女の事、思い出したんだよ。
にゃにゃみのお母さんの顔や、看護婦さんの顔を見てみるんだけど
やっぱり、あの女の顔じゃないし。
どこで見たんだか、あの女…
気色悪いなぁ。
ってそう思いながら、また寝たんだけどね。
起きたら、個室にいて、
ババアが横に座ってた。
また、少しだけ寝たつもりが、
次の日になってたよ。
「いつ来たんだ?」って聞いたら、
「今だよ。ボロボロになってるあんたに、私がしてやれる事はないでしょうが。
お医者に任せないと。
大丈夫って言われたから、それなら私にもしてやれることがあるからと思って来たんだわ。」って。
お前、仕事場に来たんか?って聞いたら、
「行くわけないだろ。私は、孫の世話で忙しいんだよ。
ヤヤコおぶって、あんな土埃だらけのとこ、行くわけなかろうが。大事なヤヤコがドロドロになってしまうわ。」って言われて、
来てないのか?じゃあ何でワシ、ババアと話してたんだろうなぁって思ったりしたよ。
ババアに、
どピンク女、知ってるか?って聞いたらさ、
ババア、目を細めて、
「…知ってるよ。」って、そう言いやがった。
あー、ババアが知ってるなら、あれはやっぱり、おかしなもんなんだなって思ったら、
「あれ、あんたには女に見えるのか?」って聞いて来た。
女じゃねぇの?顔がどピンクの女じゃねぇの?
そう聞いたワシに、ババア、
「へぇ、どピンクの女ねぇ、そのカッコしてたら、
連れてけるって、思ったのかね〜。」って、
笑いやがった。
それまで、忘れてたのに、
「つれてこつれてこ、あはあはあはは、」って
笑ってたあの顔思い出して、だんだん腹が立って来て、
「あいつがやったのか?!ワシに、あいつがこんな事したのか?!」って聞いたら、
「罠に、はまったんだろね。ずっと前にも、あんた、
あれに狙われてるよね。その時はきっと、違った格好してたんだけどね。
隙を見つけて、連れて行こうとしたんだろうよ。」って
今度は真面目な顔でババアは言うんだ。
直接手を出す事出来ないから、ワシに罠を仕掛けたんだって。
ずっと前にも狙われたって。
いよいよ腹が立って、
「連れてこいッ!お前なら分かるだろっ!
クソったれッ!捻り潰してやる!
あんな、頭だけのどピンク野郎ッ!」って言ったらな、
ババア、
「私が捕まえたから、これは私のもんだよ。」って。
これ?
これって何だよ。
捕まえたって、何だよ。
言葉にならずにいたらな、
手提げ袋の中から、変な文字やら絵やら書いてある紙に包んだもん出して来て、
「ここに捕まえたから、これは私のもんだよ、
煮るか焼くかは私が決める。」
そう言って、その包みを握りしめたんだよ。
キュウっ…、て、音がしたけど、
紙の音だったのか、どピンク野郎の声だったのか、
でもそうだな、紙のこすれる音にしては、
やけに長く聞こえてたように思うな…。
ババアがあれをどうしたのかは知らないけど、
ワシはその後くらいから、あまりおかしなもの見たり、
聞いたりすることが少なくなったように思う。
どピンク野郎がそばに居たから、
それまでは見せられてたのかもしれないなぁとか思うけどなぁ。
separator
…そう言うとじいちゃんは、
「にゃにゃみのお母さんは、ヤヤコのにゃにゃみがいるのに、
ワシが目が覚めた時、誰も居なかったら、おじいちゃん、ビックリするからって、
ババアに、にゃにゃみを預けて、ワシのそばに居てくれたんだよ。
嫁に来た先の舅に付き添って、あんなに目が覚めたと喜んでくれて、
この子は絶対、何があってもワシは味方で居てやらにゃって、そう思ったよ。」
そう言って、照れた顔で、シャシャシャシャシャ、と笑いました。
そうだったんだね。
じいちゃんが母を大切にしてくれてる理由が分かり、じいちゃんらしいし、母らしいと思いながら、聞いて居たと同時に、
結局、どピンク女は何だったのかがとても気になりました。
じいちゃんに聞くと、
「さぁねぇ、ワシはなんせ、元々、見えるも聞こえるも、気まぐれ程度のもんだったし、
あの事故以来、ババアがあれを取っ捕まえたって包み紙見せられただけで、
どうなったのか分からないんだ。
ババアがよく言うだろ?
全部知る必要のないこともあるって。
ババアの事だから、
あれを元々狙ってて、
煮るなり焼くなりして、食っちまったかもしれないな、
シャシャシャシャシャ…。」
そう言って、笑い、
「なぁに、昔話さ。
ワシが見てたことも、狙われてたのも、
ババアがあれを食っちまったのも。
みぃんな、昔の、思い出話だよ。」
そう言って私の頭を撫でて、、
「にゃにゃみは、今のまま、大きくなりゃいいや。な?」
そう言いました。
separator
じいちゃんのことを、姿を変え、長きに渡り付け狙っていたモノの正体はわかりませんが、
その一件以来、変な事に触れる事が、めっきり少なくなった、
どピンク女の前の姿も、思い出せないままだと言っていました。
でも確かに、会ってる、と。
それは間違いないと、言いました。
一体いつ、会ったのでしょう?
それは1度だったのか…
じいちゃんは、
「前に一回だけ会ったような、何度も会ってるような、
かなり前から知ってる様な気もする。」と言って、
分からん、と笑っていました。
ばあちゃんは、包んだソレを一体どうしたのでしょう。
私…、
食べたんだろうなぁって思ってます。
だって、じいちゃん、
「…ババアがあれを食っちまったのも。」って言ったもの。
じいちゃん、本当は、
それを間近で見てたんじゃないかな…、って。
ばあちゃんのお腹の中こそ、一体、どうなっていたんだろ?
じいちゃんのことを思い出すと、いつもこの思い出話に行き着き、
私の知らないばあちゃんの姿を垣間見てる様な気になる…、
不思議な気持ちになるお話でございました。
作者にゃにゃみ
今回は、じいちゃんのお話をしたいと思います。
物静か、物静かと、お話の中には書きましたが、
喋ると、ひょうきんで、面白い我が家のじいちゃん。
たった一回だけ、私にしてくれた不思議な思い出話です。
怖楽しんでいただけたら、幸いです。