長編8
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アンケート調査 2

「犬ってのはね、愛情をかければかけるほど、しっかりとそれに答えてくれる優秀で、情の深いパートナーなんですよ」

愛犬家のむうさんは、長年連れ添ってきたフレンチブルドッグのユキちゃんの頭を優しく撫でながらそう言った。

今日は小春日和。風も雲もないこの澄み切った青空の下、広大な芝生に大喜びの多種多様のワンちゃんたちが僕たちの目の前を走り回っている。

「むうさん、僕も最近トイプードルを飼い始めたんですけどね…

あっ、ほら、あの犬です。

これがなかなかのやんちゃ君で困ってるんですよ」

むうさんが「どの犬ですか?」と目を細める。

黄色い遊具の周りを、取り憑かれたようにグルグル走り回るトイプードルの集団。

「えーと、アレですよ。ほら、あの茶色い子です」

「ワタヌキさん、みんな茶色いですよ」

「ええっと…」

どうやら、犬ってのは飼っている本人にしか見分けがつかないらしい。

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むうさんの犬に対する情熱が最高潮を迎えた時、むうさんの奥さんだという女性がやってきた。

手には7本のリード。リードの先には7頭のフレンチブルドッグたちがみんな同じ顔をして整列している。

むうさんはついさっき出会ったばかりの僕を、奥さんに紹介してくれた。奥さんは話し方に気品があり、育ちが良さそうな印象をうけた。

「あなた、ともすけだけがなかなかウンチをしてくれなくて、困ってるのよ」

奥さんのサヨコさんは心配そうにワンちゃんたちを見つめる。

「ともすけ?はて、どの子がともすけだったかな?」

「もうあなたったら、まだボケるには早いでしょ。この子よこの子!」

サヨコさんが一本のリードを引っ張ると、むうさんは「むう…」とその子の顔を見つめて唸った。

「あなた、その子はまめのすけよ!」

どうやら、前言の撤回をしなくてはならないようだ。

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むうさん夫婦は「ではまた後ほど」と言いながら8頭のフレンチブルドッグを引き連れて、この公園で一番大きな木の方へと歩いて行った。

そのころ僕の愛犬サトルは、他の犬たちと走り回って喉が渇いたのか、ヘトヘトになっていた。

ああ、やっぱりうちの子が一番可愛い。僕はサトルを近くの水飲み場へと連れていく事にした。

僕はそこで、一人の女性の美しさに目を奪われる事となる。

おそらくは春の陽気がそうさせたのか、僕の目には彼女の周りだけがとてもキラキラと光り輝いているように見えた。

ポニーテールにTシャツの彼女は、白いヨークシャテリアを抱っこしながら「お待たせしてごめんなさい」と僕たちに水飲み場を譲ってくれた。

僕は思わず「ありがとう、可愛いワンちゃんですね!女の子ですか?」と、話しかけていた。

彼女は「そうです。もう12歳のおばあちゃんですけどね」って。

間近で見た彼女の顔は、一層キラキラとしていて輝いて見えた。

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僕たちは思った以上に話が合うようで、初対面とは思えないくらい色々な話をした。

彼女の名はマミさんといい、ワンちゃんはラグトちゃんという。

「男みたいな名前だね」っていったら、彼女のお母さんがオスと間違えて、ついうっかり名付けてしまったのだとか。

「そうなんだ」と大袈裟に相槌を打つと、僕たちの目の前でサトルが必死にラグトちゃんのお尻を追いかけ回していた。

サトルも僕と同じようにラグトちゃんに好意を持っているのかと思わず吹き出してしまったら、それを見たマミさんもつられて一緒に笑ってくれた。

聞けば、マミさんが犬を飼うのはこれで二頭目だそう。

幼い頃に飼っていたゴールデンリトリバーのリコちゃんが亡くなって以来、毎日泣いていたマミさんのもとへ、誕生日にお父さんがサプライズでラグトちゃんを連れてきてくれたんだって。

「だからね、ラグトを可愛がるとリコが嫉妬するのよ。ものすごく」

「へー、そうなんだ」と生返事をかえしたら、マミさんは証拠が見たい?といってきた。

マミさんに言われるがままその場で彼女の写メを撮ってみると、写真には確かにベンチの下から彼女を見上げている半分透けた「何か」が写り込んでいた。

うん。見ようによっては犬のようにも見えるな。

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翌週の日曜日、僕はもう一度マミさんに会いたい一心で、サトルをつれてあの公園まで来ていた。

ベンチに座ってキョロキョロしていると「やあ、こんにちは」とむうさんがフレンチブルドッグを10頭引きつれて歩いてきた。

「ふ、増えてる!!」

むうさんは「今日もいい天気ですね」と汗をぬぐい「おーいサヨコ、こっちは日陰だぞー」と大きく手を振った。

すると遠くの方で、フレンチブルドッグを7頭つれたサヨコさんが「はーい」と返事をした。

僕が「むうさんて、ブリーダーか何かをされてるんですか?」って質問したら「いえ、違いますよワタナベさん」て、僕の名前を間違えて覚えていらっしゃるようだった。むうさん、ワタヌキですよ、ワタヌキ!

結局、その日公園にマミさんは現れなかった。

実はその後も、あきらめずに何度か公園に足を運んだんだけど結果は同じだった。マミさんには会えなかった。

僕は後になってどうしてあの時、思い切って彼女の連絡先を聞かなかったんだろうと酷く後悔した。

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夏のある日、朝からサトルの様子が少し変だった。

ごはんは残すし、散歩に出掛けても全く歩こうとしないし。僕は心配になりネットで見つけた一番近くにある動物病院へ向かった。

待合室で待っていると、突然、診察室から3匹のフレンチブルドッグが飛び出してきた。

少しだけ嫌な予感がした。

続けざまに5匹のフレンチブルドッグが飛び出してきたところで、診察室からひときわ大きなフレンチブルドッグを抱っこしたむうさんが、ひょっこりと顔を出した。

「いやあ、ともすけの糞詰まりにはほとほと困っておったんですが、先生のおかげで本当に助かりました。なんとお礼を言っていいのやら…」

先生「いえいえ、もしまたお通じが悪くなるようでしたら、すぐにご来院下さいね。むうさん」

先生と呼ばれた女性の顔を見て、僕は思わず立ち上がってしまった。

「マミさん!!」

僕は驚きの余り、思いのほか大きな声をあげてしまったようだ。

「あら」

マミさんは僕の抱いているサトルを見て、僕を思い出してくれた。

「もしかして、クスノキさん?」

「わ、ワタヌキです!」

悲しいことに、マミさんも僕の名前を間違えて覚えていらっしゃるようだった。

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結局、サトルは軽い夏バテで大した事もなく、結果的にマミさんとまた出会えた事で連絡先を聞くどころか、次の日曜日に一緒に公園へいく約束までしてしまった。

僕はいま、最高の気分だ。

「サトル、お前のおかげだよありがとう」サトルはご褒美のブロッコリーを美味しそうに、アッと言う間に平らげてしまった。

マミさんとの約束の前日。

僕は行きつけのペットショップに、サトルをトリミングに預けた。

夕方、仕事が終わって迎えにいってみると、ワンちゃんのオヤツコーナーに、40頭からなる怪しいフレンチブルドッグの行列を発見した。

僕は嫌な予感と共に、全身が総毛立つ感覚をおぼえた。たぶん息をする事も忘れていたと思う。

背後にイヤな気配と視線を感じて振り返ると「あらま、偶然とはいえ驚きましたよワタシマズさん。最近よくあいますなー」むうさんはかなり無理やり、僕の名前を勘違いしていらっしゃるようだ。むうさん、ワタヌキですよ、ワタヌキ!!

余談だが、その夜に僕は、フレンチブルドッグに食い殺される夢を見た。

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約束の日に、日傘をさして現れたマミさんは、あの日と変わらず、やはりキラキラと輝いていた。

「今日も暑いわね」

「今年一番の猛暑日らしいですよ」

二人並んで、木陰にあるベンチに腰をおろす。

「まさかマミさんが、動物病院の先生だったなんて本当に驚きましたよ」

「あら、そう?」

「いやあ、でも偶然てあるもんですね。もうマミさんには会えないって半分諦めてたんですよ。これはもう運命ですかね?なんて…」

どうだ?さり気ない僕の愛の告白。

「偶然?そうですか、ワタアメさんはこれを偶然だと思っているんですね?」

今日のマミさんは、心なしか言葉少なげで、暗い顔をしているように見える。僕は話題を変える事にした。

「外は暑いですから、もし良かったらこの後、ドッグカフェにでも一緒にいきませんか?」

「そうねワタベさん、それもいいわね。でもそれよりも…」

マミさんは、何か言い出そうとしているようだ。

「んー、では質問!君はこの数ヶ月で子供の頃からの夢だった犬を飼い、共に暮らし、理想の女性に出会う事は出来たのかしら?」

「えっ、えっ、どういう事ですか?」

僕にはマミさんの言っている意味がよく分からなかった。

ビーー ーー ーー !!!

その時、耳を塞ぎたくなるような不安を煽るブザー音が、公園全体に響き渡った。

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すると、まるでそれが合図だったかのように、いままで公園中に散らばっていた人や犬たちが、ピタリと動くのをやめてこちらに視線を向けた。

ビーー ーー ーー !!!

『ワタヌキ様の走馬燈は、あと5分で終了致します。

繰り返します。

ワタヌキ様の走馬燈は、あと5分で終了致します』

それは男とも女ともつかない、抑揚のない割れた音声だった。

「あのねワタバヤシ君。わたしどうしても君に話さなきゃならない事があるんだ」

「な、なんでしょう?」

もう僕の頭はごちゃごちゃだ。

だって、一つ瞬きをした隙にマミさんの服装がキチッとした黒のスーツ姿に変わっていたんだから。

「改めまして自己紹介させて頂きます。わたし『自死専門、走馬燈株式会社』からきました調査員兼、見届け人の、ヒグチと申します」

「そ、走馬燈?」

僕はピリピリと足先の痺れを感じた。

「なんとか時間内に君の願いを叶える事ができて、わたし共々、会社の人間もホッとしております。

これで、ワラビモチ様が心置きなく成仏して頂ける事を、わたし含め、従業員一同、心より信じております」

じわじわと痺れは腰を伝って、胸にまで上がってこようとしていた。

そこで初めて気づいたんだけど、驚いたことに僕の両足は、マミさんの写メで見たゴールデンレトリバーのリコちゃんと同じように、半分くらい透けてしまっていたんだ。

『あと3分です』

その時、いつの間にか僕の周りを取り囲んでいるフレンチブルドッグの集団に気がついた。

「ワタヒガシ君」

現れたのは、黒いスーツをビシッと着こなしたむうさんだった。

「むうさん、僕の名前はワタヌキです」

「そんな事はどうでもいい。今の君には信じられんかもしれんが、たった今起こっているこの光景、この瞬間は、何から何までが全て、君の見ている走馬燈の一部なんだよ」

「そ、そんな… 本当ですか?」

次にむうさんは、今の僕にとっては一番残酷で、冷徹で、救いのない言葉を口にした。

「君はね、もうとっくに死んでるんだよ」

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10

そうか、そうだった。

確かに僕はあの時、未来を悲観して部屋で首を吊ったんだ。

苦しくて目の前が暗くなって、次に目を開けた時には、アンケート用紙を持った女性が目の前に立っていた。

とてもふわふわした不思議な気分だったよ。苦しくもないし、何より息ができる事の素晴らしさに僕は心底感動したんだ。

そう、確か女性は「よろしけれは、アンケートにご協力願えませんか?」なんて言ってきた。

「生前の心残りなんかが御座いましたら、是非こちらにご記入下さい、全てわたしどもが解決致します」ってね。

そうか、そうだったのか。

ビーー ーー ーー!!!

『ワタヌキ様の走馬燈が、終了致しました』

【了】

Concrete
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皆様、シリーズ2をお読み頂きましてサンクスです。やあ、調子に乗るとどうしてもふざけてしまう性に苦しめられているロビンミッシェルだ。

いまだ綿貫先生と、ともすけ先生にご感想を頂けていない事にガクブル状態の僕ですが、次回からは真面目に取り組んでいきたいと考えております!…ひ…

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