1
その女は夜道に浮かび上がる灯篭の明かりに足を止めた。
門塀には白と黒の垂れ幕が下がり、開かれた玄関からは仄かな線香の香りが漂っている。
故 『山村 圭子』
すいませんと声をかけると中から見知った女性が出てきた。
「こんばんは」
「あら、もしかして夏美ちゃん?」
2
夏美がこの家の敷居を跨ぐのは実に5年ぶりの事である。
兄の後輩であり幼馴染みでもある山村龍の祖母、山村圭子の突然の死。
就職で故郷を離れていた夏美は、その訃報に居ても立っても居られず最終の新幹線でこの地へ帰ってきたのだ。
「大往生とまではいかないけども、生前はお婆ちゃんも好きな事をして生きてきた人だから悔いはないと思うの」
山村美希が紅茶をかき混ぜながらため息を漏らした。
「そうですか」
晩年、圭子お婆ちゃんが心の病を抱えていた事はそれとなく龍から聞いていた。
「まだ60代なのに早すぎる」
悔しがる夏美に、美希はお婆ちゃんの本当の死因を教える事はなかった。
「明日、また来ます」
小さい頃から自分を可愛がってくれていた圭子お婆ちゃん。まさかあのお婆ちゃんが死ぬなんて。
夏美は止めどなく溢れ出る涙をとめる事が出来なかった。
3
自宅までの道すがら、夏美はカラカラとアスファルトに転がる落ち葉を見つめがら、やはりお婆ちゃんの事を考えていた。
いつも笑顔で、私のことをまるで自分の孫のようにして可愛がってくれた。
暖かい背中におんぶされた時のあの安心感。お婆ちゃん独特の心地よいかおり。顔をクシャクシャにして笑う姿がまるで昨日の事のように思い出される。
なまぬるい風がそよいだ。
「泣かんでええ」
「えっ?」
声のした方を見ると、自動販売機と自動販売機の僅かな隙間から二次元化した平べったい何かが、まるでファックス用紙を押し出すかのようにカタカタと捻りでてきた。
「お婆ちゃん?」
「そうじゃ、ワシじゃ」
嗄れた懐かしい声。
その圭子婆と思しきペラペラの老婆は、此方に背を向けたままでひらひらと宙を泳いでいる。
「お婆ちゃーん!!!」
たまらず夏美が抱きつこうと駆け寄るが、一反木綿状態の圭子婆はそれをヒラリとかわした。
「そんな顔しちょったら、せっかくのメンコイ顔が台無しじゃて」
「だって!だって!」
夏美の素早い攻撃をいとも容易く絶妙の間合いでかわしていく。
そばを通りがかった柴犬と老人が、空中浮遊する圭子木綿を見て大慌てで逃げ出していった。
「ねえお婆ちゃん、どうしてこっちを向いてくれないの?」
赤く〜咲くのは〜けしの花〜♪
「お、お婆ちゃん?」
白く〜咲くのは〜百合の花〜♪
「…………… 」
突然歌い始めた圭子木綿に夏美は言葉を失う。
どう咲きゃいいのさ〜この私〜、夢はよ〜る〜ひら〜く〜♪
すると何もない空間にビキビキと亀裂が走り、見る間にぽっかりと人1人分を呑み込めるほどの漆黒の穴が出来上がった。
後づてに婆がチラリとそちらをにらむ。
「そろそろお迎えが来たようじゃわい。心配せんでもええ、なっちゃんは強ーい子じゃ、婆がおらんでも強く生きていける。
夜飛ぶ蝶々も嘘の花、嘘を肴に酒をくみゃ、夢は夜ひらくんじゃて。分かったかい?けひひひ!!!
さあさ、夏ちゃんこっちにおいで。最後に頭を撫でさせておくれなし」
全くもって意味がわからないし、お婆ちゃんとは似て非なる匂いがする。
「あんた何もんだ?!圭子お婆ちゃんはそんなドスの効いた唄は歌わないよ!!」
イラついた夏美はおもむろに胸元で九字を斬り、それを正体不明の一反木綿に投げつけた。
ぎ え
短く鋭い叫を残し、婆は黒く煤けた紙人形になって地面に転がった。
その刹那、此方をにらんだ横顔は、圭子婆とは似ても似つかない鼻の尖った化け物のような顔だった。
危なかった。もう少しで連れていかれる所だった。
「人の心の弱みにつけこむ悪霊め、『first love』なら私を騙せたかもね!」
夏美が立ち去った後も、落ち葉はアスファルトの上でカラカラと音を立てていた。
因みに、紙人形の焼け残った部分に「花束を君に」と書かれていた事に夏美が気づいたのはまた別のお話である。
了
作者ロビンⓂ︎
ど、どうか、読者登録をやめるなんて言わないでおくれなし!!…ひ…