私の父は、頑固でとても信仰心の厚い人間でした。
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我が家の家系は、良くない因縁があるので、なんとか神仏にすがり、先祖を供養して、悪い流れを絶って、修行をすることで家系の繁栄と因縁の浄化をしないといけないと考えて、極めて厳しい修行を父親は自分自身に課せて日々の生活を送っていました。
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私は、そんな馬鹿正直で世の中を要領よく立ち回れない、父親とは、よく衝突したものです。
朝の寒い中、風呂場で水をかぶったり、何時間も、お経をあげたり、家族での外食は贅沢だからしない、といった徹底ぶりは、今考えても、家族の団欒をあまり顧みない様にもとれて、あきらかに一線を越えていました。
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そんな父は、ある宗教団体に入って、教祖を恩師と崇め、必死になって信心しておりました。父の唯一の自慢は、私の名前を恩師に付けてもらったことで、名前を付けてもらえた人は、とても少なく、二人しかいない、と満面の笑みを浮かべていつも私に話していました。
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父の努力の甲斐もあって、我が家は少しずつ裕福になり、貧しかった生活も、中流と感じられるところまでになりました。
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そんな父も、無理がたたって内臓の病気をしてしてしまい、65歳まで働き、2年半ほどゆっくりとした後、透析を2年半位したのち、70歳で亡くなりました。
私は、父親から色々な不思議な話を聞いていましたが、父親自体が自分自身で体験した話しは殆んどありませんでした。
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私は、父親が亡くなる一カ月くらい前に、少し困った様な、表情で、私と母親に対して話した事を思い出しました。
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それは、若い女の人が病室に来るといった話しだったのですが、父親はその女性とは面識が無いようで、誰に会うでもなく、窓の入り口から、病室の中をしばらく覗いて帰るといった内容でした。
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私が、少し怖いと思ったのは、私の父親は、人にはとても親切でおせっかいな性格
だったので、女のひとが誰かに面会に来られて困っていれば、話し掛けないことは、まず考えれない状況なのに、ただじっと眺めていたというのは少し変に思えました。
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そして、話し好きの父親が困った顔をして、私に、ぽつりと話しました。誰かはわからないけれど、いつも来はるし、ただじっといはるけど、、、。
若い女のひとなんやけどなぁ。
そやけどなぁ、
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父親は、体は少々弱ってはいましたが、頭の方は、しっかりしていましたので、理解に苦しむ状況を上手く私たちに、説明できずに、困った様子でした。
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そして、遠くを見る様に一言、
もしかしたら、
人やないかもしれん、、、。
あの信心深い、ひとのいい、おせっかいな父親が、自分がはっきりと近くで、時々見る人を、人やないかもしれないといったのに、私は驚きました。
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人は、亡くなる前に先に亡くなった人が会いに来るとか言う話を聞いた事がありますが、私は今でも、あの父親が言った、ひと言が忘れることができません。
もし、わたしが父親と同じ様な状況に遭遇したら、やはり同じ様に狼狽えるかもしれませんね。
作者パパ