1
そう言えば、俺の数少ない実話体験の一つでもある、ほんのり怖かった話を思い出したので聞いて欲しい。
今から10年も前になるだろうか、当時、ひいきにしてたスナックラウンジがあって、最低でも週に三回は通っていた。
そこのママとは店を出す前からの付き合いで、俺特別優遇、たまに出世払い、女の子のお持ち帰りも暗黙の了解。俺にんまり、といった感じだった。
その日も閉店の一時まで飲んで、ママは先に帰り、BoA似のママの娘を隣りに座らせて、残ってる女の子も全員ボックス席に呼び、正にハーレム状態だった。
時計も二時を回り、そろそろお開きかなって時に、カウンターの奥で店の電話が鳴った。
プル… プルルル… プル… プル… プ…
「やだ、何この音?電話壊れちゃったのかな?」
ママの娘が笑いながら電話をとりに行く。
確かに、スピーカーに埃でも詰まっているような、途切れ途切れでたどたどしい音色だ。なんとなくボックス席に嫌な空気が流れた。
2
気を取り直し、この店で一番新しいMEGUMI似の女の子に得意の下ネタトークを浴びせかけていると、ママの娘が今度は泣きながら走って戻ってきた。
それがまた異常な怯え方で、泣き止むまで10分以上もかかった。
どうも電話に出ると初めは無音で、次第にボソボソと女性のような話し声が混じりだし、てっきりイタズラかと思いながら黙って聞いていると、それが突然、耳をつん裂く様な絶叫に変わったそうだ。
まあ、ここからが不思議なところで、声に驚いてすぐに受話器を置いたのだが、切ってもなお、その絶叫は電話機本体から流れ続けていたという。
普通なら嘘つくなよって笑い飛ばすところだが、この建物が建っている場所が元々は墓場地帯で、地元でも有名な幽霊ビルだから笑えない。
実はこの建物に入っている殆どの店には、天井の四隅に凧のようなデカい札が貼り付けられている。
目撃談を一部抜粋すれば、カウンターの上に寝そべる半透明の女。狭い換気口から上半身だけを覗かせて店内を見渡す男。呼んでもいないエレベーターが上がってきたり、一階スナックのトイレにはいつも赤い着物を着た婆さんがいるらしい。
俺たちのボックス席では既に恐怖が感染し、女の子達は抱き合って震えていた。
本当は嫌だったが酒の勢いも手伝ってか、俺が代表してその電話機を見にいく事になった。
なんの変哲もない白いプッシュ式の電話機。受話器を取り、耳に当てる。
……………。
無音。
無音という事は、電話はまだ何処かに繋がっているという事か?
……………。
……ァァァ…
耳を凝らしていると、微かに受話器の向こうから何かの呼吸音らしきものが聞こえた。
一瞬で酔いは醒め、その得体の知れなさに身体中に鳥肌が立つ。
すぐに受話器を置きたいのだが、俺の左手が言う事を聞いてくれない。
ハアアアアア
大きく吐き出される息。
スウウウウウ
大きく息を吸い込む音。
身動きの取れない身体を他所に、俺の奥歯だけがガチガチと音を立てている。
「も、もしも…」
3
「話しかけるな!!」
突然、反対の耳元から男性の太い声でそう言われた。
我に帰った俺はすぐさま受話器を戻して後ろを振り返ったが、カウンターの中には誰もいなかった。
どうやら女の子達にもその怒声が聞こえていたようで、一同はパニックとなり、次々に出口へ向かって走り出していた。
俺もその後に続こうと足を踏み出したが、突然バツン!と大きな破裂音がして店内は真っ暗になってしまった。
停電か?!
最悪のタイミングだ。
俺は恐らくカウンターの角に足をぶつけたのであろう、ボックス席へ向かって思いっきりこけてしまった。
「おい!!俺を置いて行くなし!」
そう叫んだつもりだったが、恐怖のせいか声が喉から出てこない。
皆んなが店を飛び出した時に外からの明かりで一瞬まわりが明るくなったが、無情にもドアはすぐに閉まり、俺だけを残して店内はまた元の暗闇に戻ってしまった。
つまり、停電しているのはこの店だけだったのだ。
4
ほふく前進のように必死で床の上をもがくが全然前に進まない。暗闇から伸びた誰かの手が、俺を逃がしまいと足首を掴んでいるのだ。
ハアアアアア
スウウウウウ
すぐ近くからまたあの呼吸音がした。頭が割れるような耳鳴り、殺される!俺は本当にそう思った。
立ち上がる事も前に進む事も出来ない、そんな絶望的な状況下で俺がとった行動は、今考えても実に不思議だが「死んだフリ」だった。
俺はこの先何があろうとも絶対に目を開けないし、リアクションもとらないと心に誓った。
スウウウウ
そいつは俺の足を伝い、ゆっくりと背中まで這い上がってきた。
ハアアアアア
スウウウウウ
ハアアアアア
生臭い匂いを放ちながらそいつの顔は今、俺の頭のすぐ上にある。ぼたぼたと何かが床に落ちる音がする。
背中にかかる適度な重みからそいつの実体を想像する。軽くて華奢な身体つき、恐らく女だろう。
スウウウウウ
ハアアアアア
そいつの両手が俺の頬にかかり、長く尖った爪を立てた。
俺は息をするのも忘れていた。
冷たい指が、口の中へ何本も入ってくる。その時…
チ ガ ウ
頭の後ろのそれは、確かにそう言った。
5
フッと背中が軽くなったと同時に店の電気がついた。ついたとはいってもカウンターの中の照明だけだ。
プルルルルルルルル
そこへ、沈黙を破るような電子音が鳴り響き、俺は焦って飛び起きた。
するとカウンターの奥、ボトル棚の隙間の鏡に写りこむ男性とばっちり目が合ってしまった。長身で色白で、冴えない中年男性のような印象だった。
だが不思議な事にその男性に対しては全く恐怖を感じる事はなく、しばらく見つめ合っている内に、いつの間にか消えていた。
プルルルルルルルル
プルルルルルルルル
鳴りやまない電話。
最初の呼び出し音とは違い、今度は正常に作動しているようだ。
恐怖を抑えながら受話器を取ると、なんて事は無い、この店のママからだった。
6
ママいわく、あれからあの店に変な電話はかかってきていないそうだ。
結局あの女が誰を探していたのかも男性が誰だったのかも分からずじまいだが、これだけは言っておきたい。
いつもと違った壊れたような呼び出し音が流れた時は、極力電話に出ない事をお勧めする。
もしかするとこの世のものではない「誰か」と繋がっている可能性があるからだ。
その後その店では、客の間で男の霊が出るという悪い噂が立ち始め、女の子も半分くらい辞めてしまったらしい。
実話なのでオチというオチはないが、それ以来、俺はなんとなくママとは疎遠になり、あの建物にも近づいていない。
了
作者ロビンⓂ︎