圧倒的力の前に、成す術もなく、瀕死状態の紫水さん。
叔父さんが語った話を思い出し、少しの期待とそれを上回る不安を抱える僕。
そんな中、瀕死の紫水さんが微笑んだ。
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紫水さんが微笑んでいる?
この状況で?!
両腕から血を流し、足元も覚束ない様子の紫水さん。
今にも倒れてしまいそうだ…。
だが、その目はしっかりと鬼を見据え、その表情には笑みさえ浮かべている。
鬼はそんな紫水さんにお構い無く、ゆっくりと間合いを詰めて行く。
紫水さんはその場から動かない。
僕は正直、今すぐにでもここから逃げ出したかった。
このままここに留まれば、紫水さんの死をこの目で見てしまうかも知れない…。
だが、叔父さんの言葉に少し…ほんの少しの期待を持ち、僕は何とかこの場に留まっている。
紫水さん…。
僕は瀕死の紫水さんをじっと見つめた。
??
紫水さんが何かを言っている?
ゾクっ!
ボソボソと何かを呟く紫水さんに気付いた時、僕の体に悪寒が走った。
辺りの空気が張り詰め、一気に気温が下がっていく感覚がする。
気付けば、僕の体は小刻みに震え、歯はガタガタと音を立てている。
紫水「お…前か?
お前…か…?」
そう呟く紫水さん。
その顔からは笑顔が消え、怒りに満ちた憤怒の表情へと姿を変えている。
自らの下唇を噛み締め、血が滴り落ちる口元。
目は血走り、今にも食らいつきそうな程。
こ…これが紫水さん?
僕はこの時になり、この体の震えが気温の低下によるものでは無いと悟った。
そう…僕は目の前にいる紫水という男に恐怖していたのだ。
僕の全細胞がこの男を拒絶していた。
だが、相変わらず鬼は紫水さんとの間合いを詰めて行く。
そして紫水さんとの距離が5m程になった時、鬼はゆっくりとその体制を低くした。
そして次の瞬間、鬼は地面を蹴り一気に紫水さんに飛び掛かった。
僕「紫水さん!!」
僕は思わず叫んでいた。
しかし、僕が叫び出す頃には、鬼は紫水さんの首にその爪をかけようとしていた。
バキッ!!
鈍い音が辺りに響く…。
僕「あ…あぁ…し…紫水さん…」
僕は泣いていた。
今までの不安が一気に吹き出し、僕の両目から涙が溢れる。
だが…。
その涙は悲しみによるものでは無く、歓喜によるものだった。
鬼の爪が紫水さんの首に触れる刹那、紫水さんは足で鬼を蹴り上げたのだ。
紫水さんに蹴り上げられた鬼は放物線を描き、後方へ飛ばされた。
紫水さんは相変わらず、その場に佇みブツブツと呟いていた。
そして…。
紫水「お前…か?
お前か?
お前かぁ!!!!」
今まで呟くだけだった紫水さんが、突如叫んだかと思うと、動かない両腕をダラリと下げたまま、鬼へと疾走した。
鬼との距離が縮まると、紫水さんは地面を蹴り高く舞い上がる。
そしてそのまま鬼の側頭部に蹴りを叩きつける。
バランスを崩す鬼に対し、追い討ちをかけるかの様な蹴りの乱打を浴びせ続ける。
立ち上がろうとする鬼に、何度も、何度も、何度も…。
僕は、紫水さんが反撃に出た事が本当に嬉しかった。
嬉しかった…。
でも…。
今、僕の目の前にいる紫水さんが怖い…。
葵「カイさん?
あれは本当に紫水さんなのでしょうか…?
私の目には、鬼が二匹いる様に思えてなりません…。」
鬼?
紫水さんが鬼?
そんな筈はない!
と、否定したかったが…。
今、僕達の目の前にいる紫水さんは、正に鬼…。
憤怒の表情を浮かべたまま、鬼を蹴り続けるあの姿…。
これが紫水さんの本気なのか?
怒りで理性を失い、目の前の相手を力でねじ伏せる…。
僕はこの時、何故か悲しい気持ちになっていた。
これじゃ…これじゃ子供の喧嘩と一緒じゃないか!
僕「紫水さん!
もう…もう止めて下さい!!」
僕は力の限り叫んだ。
これ以上、鬼になって行く紫水さんを見たくは無かったから。
葵「カイさん…。」
僕の叫び声を聞いた紫水さんがゆっくりとこっちを見た。
そしてその顔を今度はゆっくりと上へ向け空を仰いだ。
そのまま紫水さんは僕達にも聞こえる程の大きな深呼吸を一つ。
そしてまたこちらへ向き直る。
紫水「いやぁ…。
申し訳ありません(笑)
危うく力に呑まれる所でした(笑)」
?!
いつもの紫水さんに戻っている?!
そこに居たのはいつもの様に穏やかな表情の紫水さん。
だが、空気が張り詰めた感じは変わっていない。
紫水「カイさん。
有り難うございます(笑)」
やっぱりいつもの紫水さんだ。
僕「紫水さん!
元に戻って…」
?!
僕が話し出したと同時に鬼が立ち上がり、紫水さんへと飛び掛かった。
紫水さんはもうさっきの紫水さんじゃない!
いつもの紫水さんに戻っている!
それじゃ…鬼には勝てない…?
紫水さんと鬼との距離はもう殆ど無い。
駄目だ!
紫水さんがやられる!
僕がそう思った時、紫水さんが片足で地面に何かを描き、そして強く踏み込んだ。
ピッシャ―!
一瞬。
本当に一瞬だった。
紫水さんが地面を踏み込んだ直後、雷が鬼を直撃した。
肉の焼け焦げた匂いが辺りを包む。
崩れ落ちて行く真っ黒に焼け焦げた鬼。
葵「流石です…。
先程まで呑まれかけていた、有り余る力を見事に自分の物に…。
やはりあの方は素晴らしい…。」
僕達の方へとゆっくり向かって来る紫水さん。
僕も紫水さんに近付き手を貸そうとしたその時。
崩れ落ちた筈の鬼が再びその体を起こし、もの凄い勢いで突進して来た。
それも…僕に向かって…。
余りの恐怖に、動く事も声を出す事も出来ない僕。
鬼は一瞬で僕の眼前まで詰めよって来た。
死ぬ…。
僕はそう感じた。
紫水「それは…。
それは本当に笑えませんよ?」
気が付くと紫水さんが鬼の顔を手で掴んでいた。
鬼の顔を掴む紫水さんの腕からは血が滴り落ちている。
だが、紫水さんはそんな事をお構いなしに、鬼の顔を掴んだままこう言った。
紫水「また私を怒らせたいのですか?
私を…鬼にしたいのですか?」
紫水さんがそう言うと、鬼の体が炎に包まれた。
黒煙を上げ鬼は燃え尽きて行く。
す…凄い…。
葵「やりましたね(笑)
しかし、あなたが暴走し始めた時は少しヒヤッとしましたよ。
あなたがあのままなら、私があなたを止めるしかありませんからね?(笑)」
紫水「お恥ずかしい所を見られてしまいましたね…。」
僕は色々な事が頭で整理出来ず、言葉が出て来ない。
トメ「ふん!
二人共、とりあえず腕試しは合格じゃな。
じゃが…。
葵、紫水…。
お主らまだ何かを隠しておるな?」
紫水「隠すだなんて滅相もありませんよ(笑)
今のが私の全てです。」
葵「私も同じです。
今、あなたが見た物が私の全て。」
トメ「ふん!
何が全てじゃ!
なら聞くが葵よ?
お主、化け物を闇に墜とす術なぞ誰から教わった?
あれは人に教わって出来る様な物では無い。
そもそも術ですらないじゃろが!
紫水!
お主がどれ程の術者であろうが、生身の人間に打撃で鬼に傷を負わせる様な真似が出来るか!
それに雷と炎、異なる性質の二つの術をいとも容易く使いおって!」
紫水「………。」
葵「…………。」
僕はサクラさんが言っている事が、何故か妙に納得出来た。
今回の戦いで、この二人の底知れぬ力と内に秘める闇を僕は感じていた。
トメ「まぁええわ!
それよりまずはその傷の手当てが先じゃ!」
そういうとサクラさんは山を降りていく。
僕達もサクラさんの後に続き、家へと戻って行く。
家に辿り着くとサクラさんが二人に言う。
トメ「ほれ!
お主ら服を脱げ!」
紫水「ふ、服をですか…。」
葵「これ位、放っておけば自然と治りますよ。」
トメ「ほぉ…。
お主ら、アタシの言うことが聞けんのかえ?」
パァ―ン!
不意にサクラさんが手を打つ。
ゆっくりと上がって行く二人の腕。
紫水「さ、サクラさん?!」
葵「くっ…。
解けない…。」
トメ「解けんじゃろ?(笑)
ちょいと強めに掛けたからの(笑)
手当てが終わるまで大人しくしとくんだよ!」
しかしこのサクラと言う老婆は…。
あの二人をいとも簡単に…。
サクラさんは二人の手当てをしながら、僕達が探す術者の話をしてくれた。
孫であり弟子でもある匠さんの事。
そして蛍と言う少女の末路まで…。
僕達三人はただ黙ってサクラさんの話を聞いていた。
トメ「さぁ。
手当ても話しもこれで終わりじゃ。
お主らの探しておる匠は、ここに来る様、アタシが手配してやる。
今はゆっくりと体を休める事じゃ。」
そういうとサクラさんは奥へと下がって行った。
僕「サクラさんの話を聞くと、匠さん?でしたっけ?
その人は悪い人じゃ無さそうですね?」
紫水「えぇ…。
確かにその方はまともな理性の持ち主の様です。」
葵「ですが、問題はその術者では無く、その体に宿すモノ…。」
紫水「そうですね…。
神が二体…ですか…。」
それきり二人は黙りこんでしまった。
僕には想像も出来ないが、神と呼ばれる存在と戦う事が決して容易でない事は分かる。
それも二体も…。
僕「と、とりあえずサクラさんの言うように、今はその体の傷を治す事に専念しましょう!」
紫水「そうですね(笑)」
葵「…。」
こうして僕達は、匠と言う術者が訪れるまでサクラさんのお世話になる事になった。
だが…この時、僕達はおろかサクラさんでさえ、二体の神。というモノを理性出来てはいなかった。
作者かい
神!笑