大学三回生の夏休み真っ只中、A子との旅行から帰ってきた私は、ただ何となく外へ出かけました。
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真夏の強い日射しと人混みで、体が沸騰しそうになりながらも、なんとか大学の図書館へ到着した私に、スラリとした女性の影が被さります。
「何や、せっかくの夏休みにガッコに来るなんて感心やな」
ニヤッと私を見下ろす雪さんに、私も笑みを返して言いました。
「雪さんこそ」
私の言葉に、雪さんは困ったように頭を掻きながら返します。
「医学生は大変なんよ……実習だけやないし、ほら、ウチは法医学専攻やん?見学やら手伝いやらに駆り出されてもうて、今さっき終わったトコやねん……夏休みくらい誰も死なんで欲しいわ」
そう願いたいけれど……それは無理なんじゃ……。
私は苦笑を返しつつ、雪さんに連れられて大学のカフェ的なところへ行きました。
雪さんはアイスコーヒーを飲みながら、私に医学生ならではの愚痴をこぼします。
私がいい感じで相槌を打っていると、雪さんは眉間を寄せて、「んっ?!」と辺りを見回しました。
「何やろ……死人の臭いがする」
雪さんは、そう呟いてクンクンと鼻を鳴らしながら席を立ち、近くを嗅いで回ります。
よしっ!ここは他人のフリだ!!
私が雪さんの動向を気にしながら、素知らぬ雰囲気を醸し出していると、雪さんがクルリと私の方を振り返り、手招きしました。
「おった!この子や!!」
雪さん、わざわざ私を呼ばないで!!
呼ばれたからには無視する訳にもいかず、衆人環視の中、私は泣きそうな気分で雪さんの下へ行きます。
そこには生気あふれる女性が、急転直下のこの状況を把握しきれず、瞳が「誰?」と言っていました。
気持ちは分かります……本当に申し訳ありません。
心の中で謝罪する私に、雪さんが女性を指差して言います。
「この子、死臭すんねん」
「いえ、刺繍はしたことありません……裁縫は苦手なので」
当然のように話が噛み合わない二人をどうしようか考えていると、女性の携帯が鳴りました。
女性は私と雪さんを変な人だと思いながら、おもむろに携帯を取ります。
「あぁ……どうしたの?」
女性はそのまま席を立ち、電話をしながら私達の間をすり抜け、出口に向かって歩き出しました。
「えぇっ?!スーが死んだ?!……そう……ワンもすぐにそっちにケーユンから、うん……オバァにも……」
謎の単語を織り交ぜながら去っていく後ろ姿を、雪さんが無言で追いかけて行くので、私も後を追います。
カフェ的なところの出口を出たところで、雪さんが女性に話しかけました。
「アンタからめちゃめちゃ死臭がすんねんけど、気ぃつけや……ウチの鼻は間違わへんから」
「何なんですか?!いきなり死臭とか言われても訳が分かりませんよ!!」
女性は不快感を露にして雪さんを睨み付けると、スタスタと背を向けて去って行きました。
「何やオコやったな……あの子」
そりゃそうですよ……普通。
私は笑顔を引き攣らせながら雪さんを見ると、雪さんが女性の行った方に駆け出します。
雪さんの長い足のストライド走法に、チビの私が追い付けるはずもなく、差はぐんぐん広がりました。
雪さんが大学の正門を出たところで、姿を見失いましたが、直後に断末魔の悲鳴のようなけたたましいブレーキ音が耳をつん裂きます。
「あぶねえじゃねえか!!ばっきゃろぅ!!」
おっさんの怒号の後に、やっとこ現場にたどり着いた私の目の前では、道路に飛び出しかけた女性の腕を、雪さんが掴んで止めたといったシチュエーションが繰り広げられていました。
「だから、気ぃつけぇ!って言うたやろ!?」
雪さんが怒鳴り付けると、女性は呆然としたまま、小さな声で「ありがとう…ございました……」と呟きました。
「実は今さっき、父親が死んだと連絡がありまして……気が動転していたもので……」
雪さんは、そう言う女性の肩やら首筋辺りをクンクンして、眉をひそめて言います。
「まだ臭うわ……このままじゃアカンな」
そう言うなり、雪さんは何処かに電話をかけました。
嫌な予感がする……いや、嫌な予感しかしない……。
「……あ!A子?ウチやけど、ちょ、大学の正門まで来てくれへん?……何?……分かったて、そん代わり、10分で来てな?遅れたら焼肉はなしやで?ほなな」
そうか……肉は早く来させるためにも使えるのか……でも、コスト高いな……。
私は雪さんの機転に感心しましたが、経済的リスクの高さに私自身の使用は断念することにします。
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待つこと10分で、A子が息を切らせてやって来ました。
恐るべし!!肉パワー……。
「で?肉は何処?」
軽く息を弾ませるA子がキョロキョロしながら、雪さんに話かけると、雪さんは呆れたように一つ溜め息を吐いて言います。
「こんな道端に肉ある訳ないやろ?仕事が済んだら好きなだけ食わせたるから、まずはこの子の話聞きぃ」
雪さんが例の女性を指差すと、A子はジト目を向けて言いました。
「アンタ、お父さん死んだでしょ?んで、実家に帰ろうとしてる……」
「はい、そうです……何で知ってるんですか?」
A子は女性から聞くべき話を自ら話し、逆に女性からそのことを訊かれるという奇妙な状況を作り出しました。
「止めときな……アンタ、死ぬよ?」
会って2分の初対面の人に、いきなり物騒なことをぶちかますA子に、女性は軽く引いています。
私なら、もっとドン引くと思う。
「アンタ、沖縄の子でしょ?今のまんまじゃあ地元に帰る時、飛行機でも船でも着く前に死ぬね」
絶望的なことをライトなノリで言うA子に、私はまず、女性の代わりに理由を訊きました。
「何で死んじゃうの?」
私の質問にA子が気味の悪い含み笑いを浮かべて言います。
「呼ばれてるんだよ……数が多すぎて、アタシにも分かんないくらい」
A子でも分からないほど、大量の思念だか怨念だかに呼ばれるって……この女性は一体何をやらかしたのだろう……。
そんなことを考えていると、A子が女性の肩に手を置いて言いました。
「とりま、アタシらが沖縄へ連れていってあげるよ!本場のアグー豚と泡盛をおごってくれるなら」
その複数系に、私は入れてないよね?
A子の言葉に、女性が強く頷いて答えます。
「分かりました!よろしくお願いします!!」
女性がA子に頭を下げるのを見て、雪さんが私の肩をガッチリ抱いて言いました。
「決まりやな!ウチも行くで?二人より三人の方が心強いやろ?」
あの『ら』は私だけだったか……。
A子と私を1セットにするのは本当に止めて欲しい……。
そう思いつつ、雪さんが「沖縄へついていく」的なことを言ったことにビックリして、私は確認がてら雪さんに訊ねます。
「雪さん、実習とか大丈夫ですか?」
私の心配を他所に、雪さんはサムズアップして快活に答えました。
「ナンクルナイサー♪」
この人、もう気持ちが沖縄に行っちゃってるよ……。
雪さんは、やっぱりA子に似てるな……そんなことを朧気に思っていた私は、もっと大事なことを思い出しました。
このままでは、私もろとも沖縄へ連れて行かれる!!
「A子、私は行けないよ……この後、予定が入ってるから……アルバイトもあるし」
やんわりお断り申し上げる私に、A子が雪さんの反対側から私の肩をガッシリ抱いて言います。
「ナンクルナイサー♪」
もう、ソレ言いたいだけでしょ?!
圧の強い二人に挟まれ、必死にそこからもがいて出ると、A子は「やれやれ」みたいな顔をして言いました。
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「じゃあ、こうしよう!そこの角から最初に出て来る人が男か女か当てられた方の言うことを聞く……アンタが先に決めていいよ」
「それ、エェやん!!恨みっこなしやで?」
そんなギャンブルみたいなことで決めるのイヤだ……しかも、A子がズルしそうだし……。
私が返答を躊躇っていると、雪さんが諭すように私を真っ直ぐな瞳で見据えて言いました。
「アンタ、いつまでもワガママ言うてたらアカンで?ええか?これは人助けなんや。アンタは頭も良くて優しい子やから、ウチの言うてること分かるやろ?」
雪さんの圧倒的な眼力の強さに観念して、私は不本意ながら受けて立つことにしました。
「インチキは、なしだからね……」
「心外だねぇ……インチキなんてアタシにゃできないよ……したこともないし」
「どうだか……」
A子がイカサマできることを知っている私は、既に負けそうな気配を感じ取っていました。
「どっちにする?男?女?」
A子の問いに、角から出てくる人をカウントしながら少し考えて、確率的計算をして決めました。
「じゃあ、男性にする……」
男、男、男、女、男、男、女の順で出てきたので、今のところは7分の5で男性が多い……ならば、ここは男性とするのが定石だろうと、大した根拠もない確率でしたが、それに賭けることにした私に、A子がネットリした笑みを近づけて言います。
「……ファイナルアンサァ?」
ウルサイよ!そういうのいいから!!
私は祈るように手を合わせながら、角から出てくる人を待ちました。
さっきまでは人がヒョイヒョイ出てきていたのに、いざ待つとなると、なかなか現れてくれません。
待つこと5分、ようやく角から出て来た人は、見た感じガッシリとした体躯ではあるものの、服装は女性……これは審議せざるを得ませんでした。
「……アレ、どっちなん?」
「服装が女子だから、女でしょ?」
「ちょっと待ってよ!女装してる人なら男性と判断すべきだよ!!」
結局、三人で議論していても答えが平行線なので、直接訊くしかないということになりました。
私達三人は、事の真偽を確かめるために、急いで性別不明の人の後を追います。
「すいませ~ん!」
雪さんが声をかけると、その人は振り返ってくれました。
その頬から顎にかけての青い感じは……。
振り向き様のそれを見て、私は勝利を確信し、心の中でガッツポーズしました。
「大変、不躾なことを訊きますが……あなたは男ですか?女ですか?」
雪さんが畏まって質問すると、その人はちょっと不機嫌そうに答えました。
「何処から見ても女でしょ?」
野太い声で答えるその人を見て、笑顔を引き攣らせる私達。
「……本人が言ってんだから、アタシの勝ちだよね?」
「それじゃあ私、納得いかない」
「せやかて『疑わしきは罰せず』っていうやん?アンタ達、法学部やろ?」
雪さん、ここに『罪刑法定主義』を持ち込まないでよ……見てよ!この人、めちゃめちゃ喉仏出まくってるじゃない!!物的証拠だよ!!
「でも、本人が言ってんだから、信じてあげよ?」
「本人の主張だけを鵜呑みにしてたら、裁判も刑務所もいらなくなるよ?」
「確かに疑わしいのはウチも認めるけどさぁ」
埒の明かない不毛な議論をしていても仕方がないので、私は思い切って訊きました。
「本っっ当に申し訳ありませんが、身分証など見せて頂けませんか?」
私的には推定男性の疑いのその人は、明らかに憤怒している顔で、運転免許証を見せてくれました。
『城之内 桜子』
どうやら、この人は法的に女性だったようです。
「ししし…失礼しましたっ!!」
私は、プリプリ怒りながら歩き去る桜子さんが見えなくなるまで深々と頭を下げて見送りました。
「うぇ~い♪じょーのうちー♪」
「うぇ~い♪さーくらーこちゃーん♪」
二人がハイタッチしながら歓喜しているのを見ながら、私はもう誰も、何も信じたくなくなりました。
「今のはノーカウントにしない?」
どうにも腑に落ちない私が再試合を申し出ると、二人は、あからさまに「はぁ?」と言いたげな顔して言います。
「今ので勝負あったでしょ?」
「せやで?そんなん桜子ちゃんが可哀想やんか……ププッ」
「アンタねぇ……桜子ちゃんの気持ち、考えたことあんの!?……ブフッ!!」
たった今、初めて会ったばかりの人にそこまでの思い入れはないよ……でも、笑ってるじゃん!!二人とも!!
私は自分の運命を呪いながら、何とか時間を工面して、沖縄へ同行したのでした。
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A子のお陰か、無事に那覇空港に到着した私達一行は、女性の実家へと向かいます。
その道中、雪さんが大切なことを忘れていることに気づきました。
「今さらやけど……アンタ、名前は?」
私も含めてウッカリにもほどがありましたが、その女性の名前は、『迎里 千尋(むかえざと ちひろ)』さんだそうです。
地元の友達には、『ムー』とか『チーちゃん』とか呼ばれているそうで、雪さんがそれを面白がって、私達もあだ名で呼び合おうと提案してきましたが、A子はどうにもあだ名がつけづらいし、私はそういうのが嫌いなので、雪さんだけ迎里さんを『チー』と呼ぶことにし、迎里さんが雪さんを呼ぶ時は『ユッキー』と呼ぶよう強制しました。
呼ばなかったら罰金、百億万円だそうです……。
私は妙なことに巻き込まれなかったことに安心し、流れる車窓を眺めていると、コバルトブルーの海が見えました。
「綺麗な海やなぁ……ちょ、泳がへん?」
「泳ぎません!!」
本来の目的を忘れて雪さんがはしゃぎますが、私は即却下します。
迎里さんを実家に送り届けたら、すぐに帰らなくちゃ……。
この時の私の頭の中は、そのことで一杯になっていましたが、それは、この後に起こる恐ろしい出来事のプロローグに過ぎなかったことは、また別の話です。
作者ろっこめ
新作が思いの外、長くなりそうなので、とりあえず前編として投稿させていただきます。
今回、新作へのアイディアやリクエストをくださったお二方のお名前を合体してお借りしました。
むぅ様、ちーちゃん、事後報告で本当に申し訳ありません!!
嫌だったら、すぐに差し替えますので、お申し付けください。
この続きは完成次第、投稿させていただきますので、絶対に期待せず、気長にお待ちください。