皆さんは、一番最初の記憶というのを思い返したことはあるだろうか。
私が、私だと気づいたのはいつの頃だったかというと、田舎の保育所の隣で、母親に手を引かれているという記憶だった。
その前の記憶はない。あるのだろうが、覚えていないというのが正しい。
赤ん坊の頃に、しょっちゅう夜泣きをしたり、雨の後の泥に顔をうずめて、「ぺんぎん~」と宣っていたとかいう記憶には覚えはない。
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ただ、ふとした拍子に昔のことを思い出すと、鮮明とは言い難いが、色々と思い返すことができてしまう。その事を母親や父親に伝えると、驚かれることがあった。
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幼いころ、父親が交通事故にあい、病院へと搬送された。母が病院へと飛んでいき、兄と姉とお祖母ちゃんと一緒に留守番をしていた。
どうやら、1歳くらいの事らしい。何で覚えているのだといわれたが、覚えているのだから仕方がない。
不安そうに泣いている兄を姉が宥めている光景を見ていた。
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私自身が泣いたかどうかまでは、覚えがなかった。そのような昔のことをうろ覚えながらも覚えている。
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無論、子供の頃の記憶というのは至極、曖昧なもの。正しいか、異なるかなどの判断は、年を重ねていくとぼやけてしまう。
ただ、鮮明に思い出せる記憶はあった。
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それは、嫌な事。
友人Aに突き飛ばされて泣かされた。
ピーマンを生で食って、泣いた。
運動会の競争でカーブでこけて、どべで泣いた。
予防注射が嫌で、仕方がなくて、廊下を走って逃げた。掴まって泣いた。
全て、保育所での出来事である。
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嫌な出来事は再現なく、鮮明に思い出せた。
人と相対して、嫌なことを言われた時のセリフや表情、喧嘩したときの罪悪感や嘘をついたときの事。
人間はそういう風にできているのだろうと思う。
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そうやって、嫌な出来事を記憶の底からさらってみると、恐怖を感じた出来事というのも、意外に鮮明な記憶として残っている。
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小学校2年の頃、季節は冬。夜中の2時頃。
寝室である和室は、六畳一間程度。
布団は三組。
左端に私。真ん中に母。右端に父。
兄が、洋室の一室にて、姉とお祖母ちゃんは二階で寝ていた。
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兄の叫び声と扉を開ける音の所為で、父、母、私は目が覚めた。
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兄が慌てた様子で、和室へと入って来るや、
「窓の外で女の人が睨んでた!」
と話す。窓というよりは、ガラス戸だ。
その上部は透明になっていて、その隙間から顔が見えたと説明した。
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兄の言葉は無理があった。
ガラス戸の上部から女の人が睨んでいたら、180センチくらいはある。
ただ、兄がどうしようもなく焦っていた。
母親は兄を宥め、父親が不機嫌な様子であったが、様子を見に外に出た。
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「二階で寝る!」
と、兄は、母と私に言い残し、姉の部屋に逃げていく。
母は、私に向かって、寝るように伝えると、布団に入った。薄気味悪く感じつつも、母の言葉を受けて、私も布団に入る。
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しかし、私は、兄の言葉の所為で、寝られなくなった。
母親はすでに寝息を立てており、父親も外から戻ってきて、自分の布団に入ってしまい、寝てしまった。
父と母の寝ている姿を見て、気を紛らわせながら、早く朝にならないか、
眠たくならないかと考えていると、ふいに、父が寝ている足側の障子戸に視線を移す。
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その時、ほんの一瞬、人の顔が見えたような気がした。
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気がするだけの話だったが、気味が悪いと感じてしまった。
だから、身体の向きを左側に変える。その時、兄の言葉を忘れていのだろうと思う。
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兄は、窓の外で女の顔が見えたといった。
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私の布団からすぐ隣は、ガラス窓となっていた。
上部部分だけは、透明になっていて外の様子が見える作りとなっているのは、兄の部屋と同様だった。
白のレースのカーテンは閉まっていて、外は暗くて人の顔なんて見えるはずがない。
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私は、ふと、左の天井付近にある黒い時計を見た。
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時計の右横に、首だけの、髪が長い女の顔がはっきり浮かぶ。
ものすごい形相で、私を睨んでいた。
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兄のように悲鳴をあげることはなかった。
ただ、布団をかぶって祈るように朝を待ち、結局、その時は一睡も寝れなかった。
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次の日、兄と話をして、私も見たということを話す。
兄と私は、当面、寝る場所を変えた。
本当に嫌な記憶である。
作者m/s
私よりも兄の方が、不思議な体験をすることが多いです。
不幸で刺激的な人生を送っており、はたから見ると楽しそうですが、実害が多すぎて結構笑えないようです。