桜の花びらが舞い散る木の下でその人は佇んでいた。
まるで、そこだけが切り取られた絵のように私の目に飛び込んできた。
一目惚れ。
柔らかな薄い茶色の髪の毛に花びらがひとひら。
触れてみたいと思った。
その日から、私の世界はあの人の物になった。
寝ても覚めても、あの人のことばかりが頭から離れない。
それでも、私には、何もすることが出来ずに、ただひっそりとあの人を見ていることしかできなかった。
それで、満足するはずだったのだ。
ある日、不意にあの人から声をかけられるまでは。
「よく会いますね。えーっと、君は、何年生?」
同学年では無いことは、知っているようだ。
「い、一年生です。」
私は、たぶんこれからずっと、言葉を交わすことは無いであろうと思っていた、その人からの声掛けに舞い上がっていた。
「君の名前は?」
ああ、もう嬉しくて気絶しそうだ。
「斉藤です。」
「下の名前。」
「えっ、あぁっ、弘樹です。」
「ヒロキかぁ。僕は、木下 尚人。」
呼び捨てにされた!今、私の心は、雲の上にある。
木下 尚人、もちろん知っている。好きな人の名前は、すぐに知りたいに決まっている。
私はあらゆる手段を使った。図書館の貸し出し表で、フルネームを知り、あなたをつけて、何年何組かも全て調べたし、出身中学も人伝に聞いて調べた。バレないように、あとをつけて、家も知っている。
こういうのをストーカーというのかもしれない。もっとも知られなければそれには当たらないだろう。
私は、物心ついたころから、自分の性別に違和感を感じていた。そして、好きな人は必ず男の子。
私は確信した。性同一性障害についても、何度もネットで調べた。
一時期は悩み、苦しんだ。しかし、悩んだところで、基本的なところは変わらないのだ。
私は、私。誰にも変える事はできない。それならば、変わる必要はないのだと。
ただ、思いだけをそっと自分の胸の中にしまっておけば、片思いに終わる。誰にも迷惑はかからない。
今は恋を諦めるだけ。大人になれば、もう少し、違う選択が開けるかもしれないから。
その日から、木下先輩から声をかけられるようになり、たまに一緒に帰ったりもした。
私は毎日が夢のようだった。まさか、自分から行動しなくても、木下先輩とこんなに親しくしてもらえると思わなかった。
木下先輩は、時々抜け殻みたいになる。そういうところが、ミステリアスで、ますます好きになった。
木下先輩の隣に居ることができるだけで幸せだった。
そんなある日、木下先輩は、学校帰りに公園に行こうと言い出した。
これって、まるで、公園デートみたいだ。私は一人、フワフワと浮かれていた。
ベンチで先輩の隣に座る。もうそれだけで、先輩側の体が、火がついたみたいに熱かった。
心臓は私の体から飛び出して、一人歩きしそう。
「ねえ、ヒロキ、僕のこと、好きでしょう?」
唐突にそう言って目を見つめられて、私は爆発しそうになった。
それはそうだ。好きが止まらなくて、きっとあふれ出して木下先輩を好きオーラで包んでしまって、バレないはずがない。私は、もうこの夢のような時間は終わるのだと思った。
私が黙っていると、木下先輩はさらに続けた。
「僕と、夢を見ませんか?」
「えっ?」
唐突にそう言われ、私は、何のことか意味がわからなかった。
先輩の髪が風に誘われるように揺れた。
「僕の夢の続きを見て欲しいんだ。」
ますます、何を言っているのかわからない。
「僕の夢に、ヒロキが出てきたんだよ。もう1年も前の話だ。」
1年前なら、私はまだ小学生。先輩と出会っているはずもない。
「僕は、小学生の頃から夢日記をつけてたんだ。最初は荒唐無稽な話が多くて、断片的なものだった。」
私は先ほどまでの自分の気持ちを知られた恥ずかしさを忘れて、深刻な顔で話す先輩を見つめていた。
「夢を記録するのが楽しくて、毎日夢を見たいとすら思った。でも....。」
そう言うと先輩は口ごもり視線を落とした。
「僕は、いつの頃からか、夢に支配されるようになった。」
「どういうことですか?」
「夢の中で、誰かが僕に、いろんなことを指示するようになった。僕は、愚かだった。夢日記をつけているうちに、夢はだんだんとリアルになっていったので、面白がって、夢を操作しようとしたんだ。つまり、自分の好きなように夢を操る。」
「操ることはできたんですか?」
「最初はね。夢の中では、僕は万能。何もかもが思うとおりにいって面白かった。でも、ある日得たいの知れない何かが僕の夢に侵入してきた。」
「得体の知れない何かって?」
「それは、いつも様々。必ず、僕に何かをするように、指示してくるんだ。」
「何かを?」
「うん、例えば、現実の友人に、近所の山に登るように伝えろとか、母親に庭に枇杷の木を植えるように伝えろとか。それが、まったく知らない叔父さんだったり、おねえさんだったり、とにかく見知らぬ誰かなんだけど、顔ははっきりと覚えている。しかも、全て意味の無い荒唐無稽なことばかり。最初は変な夢を面白がって記録していたけど。でも、だんだんと夢が僕に指示をしてくることが現実で果たされないと、夢の中で僕に詰め寄ってくるようになった。何でお前は、言う通りにしないかと。」
「えっ、でも、それって自分の夢じゃ...。」
「そうは思っても、夢から覚めると、強迫観念に駆られるんだ。本当にそれを伝えなければならないような気がしてくるんだよ。」
私は、先輩はもしかして病んでいるのではないかと思った。
それをなるべく悟られまいと、話に耳を傾ける。
「君は、僕を狂ってるって思うかもしれない。でも、一つだけ、僕の夢に救いがあったんだ。」
「救い?」
「うん、それが君だよ。ヒロキは、僕の夢に出てきて、そいつらの言うことを聞くなと言ってくれたんだ。もしかして、君が僕の救世主になってくれるかもしれない。そう思った。」
「でも、僕には何もできませんよ。きっと。お力になれそうもない。」
「僕が願うよ。君に僕の夢を見て欲しい。そう願えばきっと、僕らは同じ夢を見れるはず。ねえ、明日、土曜日だし。僕の家に、泊まらないか?」
「えっ!」
私は、自分の顔が真っ赤になり、心臓がドクンと跳ね上がるのを感じた。
いきなり、好きな人の家にお泊りだなんて。先輩は、私が先輩に好意を持っていることを知りながら、そんな提案をしてくるということは、まさかと思いつつも、期待してしまう。
「いいんですか?」
私は、意味深な言い方をして、先輩を試してみた。
「うん、遠慮はいらないよ。家にも連絡して、君の分の夕飯も用意させるよ。」
ああ、やっぱり。私は、変な期待をした自分を恥じた。
友人として私は招かれるのだ。
その夜、私は、先輩の部屋に布団を敷いてもらって、先輩のベッドの隣に寝ることになった。
それでも、私は、少し甘い期待を捨て切れなかった。
布団に入って電気を消すと、先輩のベッドから白い腕が伸びてきた。先輩の腕だ。
そして、その腕は私の布団に伸びてきた。ドキドキした。
「ヒロキ、手を繋ごう。」
「えっ!」
私の心が舞い上がる。先輩ももしかして、私のこと...。
「手を繋いだほうが、きっと同じ夢をみることができるよ。」
少し落胆。でも、先輩の不安を少しでも私が和らげることができるのなら。
私は先輩の手を握り返した。緊張しているはずなのに、私は手を握ったとたんにあっという間に眠りに落ちた。
夢の中で私は先輩を探していた。
霧の深い灰色の世界にぽっかりと、大きな建物が浮かんでいた。
それは、霧に浮かんでいるのではなく、霧と同じ色をしていたために、蜃気楼のように見えただけで、近づくに連れて、その輪郭をあらわにした。
私は、誘われるように、その建物に入っていく。
広いエントランスには、カウンターが一つあるだけで、誰も居なかった。
どうやら、そこはホールのような施設であり、私は、数ある扉の中の重厚な扉を一つ開けた。
すると、突然、耳にはオーケストラの演奏が飛び込んできた。
ステージでは、オーケストラが何かの曲を演奏している。聞いたこともない音楽だ。
私はステージにすぐに違和感を感じた。オーケストラがまず、人間ではない。
ブリキの玩具が演奏しているのだ。指揮をしているのは、人間。
後姿からして、まだ若い男性。男性というより、少年だ。
近づくに連れて、それが誰かということを認識する。
「先輩?」
私が声にすると、演奏はピタリと止まって、その人は振り向いた。
「僕の世界へ、ようこそ。」
先輩は、怪しく笑う。
指揮棒を指揮台に置くと、先輩はゆっくりとステージから降りてきた。
それを追うようにスポットライトが移動して、私と先輩を照らす。
「ねえ、ヒロキ。ヒロキは自分を理解できない世界は嫌いだよね?」
私は困惑した。先輩は何を言ってる。
「ヒロキは何も悪くないよ。男の子が好きで何が悪い?人は十人十色というだろう?いろんな性格や恋愛のカタチがあって当たり前なんだ。」
先輩が私の手を握る。
「ヒロキは、もう悩まなくていいんだよ。だって、今日からずっとこの世界で暮らすのだから。」
「先輩、どういうことですか?」
「僕はね、ヒロキをずっと救いたかった。僕とヒロキは一心同体なんだよ。」
先輩は、そう言うと、私の頬に手を当てて、顔を近づけてきた。
先輩の細く尖った鼻先が、私の鼻先に触れ、もう少しで唇が重なる、その時だった。
「おっきろおおおお!ヒロキ!」
耳元でキンキンと声が響き、頬を往復ビンタされた。
私は、目が覚めた。
私に馬乗りになっているのは、幼馴染の凛だった。
「リン?」
私が目を開けると、そこは墓場であり、大きな桜の木の下だった。
はらりと桜の花びらが、私の顔にひとひら降り注ぎ頬に張り付いた。
「なにやってんだよ。こんな所で寝ちゃって!」
凛が叫んだ。
「僕、どうしたのかな?」
僕がぼんやりと、凜を見つめて言うと、凜がようやく、僕の上から体をどけてくれた。
「どうしたのかな、じゃないよ。あんた一ヶ月も行方不明だったんだよ?いったいどこに行ってた!私、心配したんだからね!」
そう言うと、堰を切ったように、凜の目から涙が溢れ出した。
「ごめん、よくわからないけど、泣かないで。」
私は凜をなだめた。
そして、今までの経緯を全て話した。
「何言ってんの?うちにはそんな先輩は居ないよ?」
凜はきっと先輩のことを知らないのだと思った。
ところが、いくら調べても、そんな先輩は存在しなかったし、先輩の家も存在せず、そこは空き地だった。
私は何かに取り憑かれていたのだろうか。
それとも、先輩は私が作った幻?
私は、無事、家族の元に戻った。
両親は、泣いて喜んで、私は今までの悩みを全て両親に打ち明けることにした。
両親は驚いたが、理解を示してくれた。
全てはうまく行くはずなのに、私にはどうしようもない喪失感が残った。
あれは全て夢か、私の作った妄想だったのだろうか。それとも....。
私は、思い至って、その日から夢を記録することにした。
そして、ついに想いが叶う。
その人は、やはり桜の木の下で待っていた。
「僕と夢を見ませんか?」
その人は微笑んだ。
やっと会えた。もう私には、あなたを失うことなど、考えられない。
作者よもつひらさか
夢日記をつけることは、かなりヤバイんだそうで。
最近、夢の続きを見たので思いついて書きました。
私の夢は、職場本部から職場のR.Tさんに電話がかかってきて、「頼まれていたアイドルのコンサートチケットは手配できなかったと伝えて」と伝言され、目が覚めました。よく考えたら、何故個人的なチケットを本部が手配するのかと、わが夢ながらあまりの荒唐無稽さに笑ってしまいました。
ところが数日後夢で、「何故R.Tさんに伝えなかったんですか?あのアイドルはもう死んだからチケットの手配はできないと伝えてください。」と本部の人に叱られました。
R.Tさんに伝えるべきでしょうか?