「嫌です、私は、あの方とは結婚したくはありません。」
乙姫は、ハラハラとその透き通るような美しく白く輝く肌に大粒の涙を伝わせて、両親に訴えた。
「何を言うの?霊亀様と夫婦になれば、あなたも千年の美貌を保つことができるのですよ?」
両親は、乙姫を説き伏せた。
「たとえ千年、この姿を保つことができるとしても、嫌なものは嫌なのです。」
乙姫は、羽衣で涙をぬぐった。
「霊亀様は、今はあのようなお姿だが、龍族のお方じゃ。いずれは、雄々しい龍の姿におなりになるのだぞ?国津神の出雲にお前が嫁げば、我らも龍族との血縁が結ばれる。お家のためだぞ。」
父親は、お家のことしか考えてはいない。政略結婚とはいえ、乙姫は霊亀のおぞましい姿を思い浮かべると、一生あの化け物の側に居て、ましてや、子を儲けるなど、ぞっとした。亀の化け物が、龍の化け物になろうが、同じような物だ。しかしながら、何が何でも乙姫を霊亀に差し出そうと両親は躍起になっており、すでに乙姫の居場所はここには無い。
乙姫は、何日も泣き続けた。しかしながら、泣き続けたところで、問題は解決しないし、祝言の日は刻々と迫ってくる。そこで、乙姫は、ある考えに至り、霊亀に文をしたためた。
「私のことが、好きならば、お願いがあります。その願いを、聞いてくれるのであれば、私は、あなたの元へ嫁ぎます。」
これを読んだ霊亀は、喜んで乙姫に、何をすれば良いのかと返事を書いた。霊亀は、すでに齢、百は超える老人である。年甲斐もなく、うら若き乙姫に一目惚れし、権威に物を言わせて、乙姫を娶らんとしているのだ。
「霊亀様が、亀の姿になって、私を下界に連れて行って欲しいのです。」
そんな簡単なことで良いのかと、霊亀は狂喜し、喜んで亀の姿になり、乙姫を背中に乗せて旅立った。乙姫は、下界に着くと、ちょっと用を足してまいりますと、霊亀を浜に置き、姿を消した。そして、浜に居た小僧共に、金銀財宝を渡すことを約束して、亀の姿の霊亀を殺すことを命じたのだ。小僧共は、喜んで亀をいたぶった。亀の姿のまま瀕死の状態になってしまった霊亀を陰から見て、乙姫はほくそ笑んでいた。これで、私は、あの化け物の元へ嫁がなくて良くなる。
しかし、そこへ、下界の男が現れて、小僧共を追い払ってしまった。なんと余計なことをしてくれたのだろう。乙姫は、その男を憎んだ。
「かわいそうになあ。そら、もう大丈夫だぞ。海に帰って元気になるのだぞ。」
そう言いながら、その男は霊亀を海に帰した。これは偉い事になった。もしも、乙姫が霊亀を謀ったことが知られてしまえば、お家は断絶。乙姫はその男が立ち去るのを待って、霊亀を浜に戻し、岩場まで引きずると、思いっきり岩を叩き付け、とどめを刺した。
あの男、ただでは済まさぬ。乙姫は、自分の家臣を使い、亀の姿を装い、あの時助けていただいた亀です、お礼がしたいと竜宮城に案内させた。男は、乙姫を見て、一目で気に入り、乙姫はその男を竜宮城でたいそうもてなした。しかし、数日もすると、男は家のことが気になりだして、家へ帰ると言い始めた。乙姫は、名残惜しそうにしながらも、手土産に玉手箱を手渡すことに成功した。
本来なら、自分の手を汚すことなく、霊亀を殺させることができたのに。自分の手を汚させた罪を思い知らせてやる。天界の数日は、下界の数百年にもなることは、その男は知らなかった。
「決してあけてはなりませんよ。」
乙姫は魔法の言葉を囁いた。人間という者は、禁忌を犯すものなのだ。決してあけてはならないと、禁じられれば禁じられるほど、あけてみたくなるものだと聞いている。
その男は、やはり玉手箱をあけてしまった。あっと言う間に、白髪の老人となってしまった。
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「おい、爺さん、ここは、勝手に住んじゃダメなところなんだぞ、ごるぁ!」
暖をとるために周りを囲った厚い紙を蹴られて、その男は飛び起きた。
若いあばた面の小僧共に取り囲まれていた。
「おぬしらは誰じゃ。何故このようなことをする。」
「はあ?誰だっていいじゃねえか!人に名前を聞くときは、自分から名乗るもんだろーが、ごるぁ!」
浜辺は寒いので、つい最近、男は川辺の橋の下に、粗末な紙の家をこさえたばかりで、ようやく安住の地を得たところであった。
「わしは、浦島太郎と言う。」
そう言うと、あばた面の小僧共は、腹を抱えて笑った。何がおかしいのだろうと男は思った。
その直後、強烈な痛みが尻を襲い、男は前のめりに倒れこんだ。蹴られたようだ。
「おい、爺さん、冗談もたいがいにしとけよ!昔話かよ!」
それを合図に、小僧共は一斉に男に襲い掛かって、よってたかって暴力を振るった。
何故じゃ。何故、わしがこんな目に。
「ウフフ、いい気味。」
空をふわりと羽衣が渡った。
作者よもつひらさか