中編6
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釣り場

 俺は夜の暗い森の中を一人歩いている。さすがに街灯ひとつない、真っ暗な森を懐中電灯の頼りない光だけを頼りに歩くのは、たとえいい年をした大人でも怖いものだ。この森を抜ければ、昼間見つけた岩場に出るはずだ。   

 偶然営業で車を走らせて見つけた、絶好の釣り場。森を抜けると、象の鼻のように半島がぐるりと海を囲み、湾内は非常に凪いでおり、その半島の先には、小さな灯台がある。その灯台の下あたりで、大物を目にしたのだ。

 つい最近、俺はこの小さな海辺の町に転勤になった。いわゆる左遷ってやつだ。自分の実績を考えると、会社に文句は言えない。所詮俺は、会社の歯車のひとつに過ぎない。動きの悪い部品は取り替えられるってわけだ。そんなことを一人考えながらも自嘲的な笑いが出た。

 ようやく森を抜け、灯台の光が見えてきた。暗い海を二つの光がくるくると代わる代わる照らす瞬間のみ、そこが海であることを示し、まだ暗さに慣れてない目には空も海も境が無く、輝く星が途切れる場所が、ようやく水平線だと認識することができた。それほど、夜の海には濃い闇が流れている。

 しばらく歩いて、ようやく半島の先の灯台に着いた。クーラーボックスを灯台の下に降ろし、懐中電灯の光を頼りに釣りの仕掛けを作る。先に餌をつけ終わると、一気に竿を後ろに振りかぶり、真っ暗な海へ仕掛けをつけた針を投げ込んだ。かろうじて、ケミカルの入ったうきが上下し、波に揺られている。

 正直、こんな田舎に左遷させられた時には、それなりにショックだったが、よく考えてみれば、こちらに来てからのほうが、随分と人間的な生活をしているような気がする。田舎は時間の進み方が違う。満員電車に揺られることもなく、エスカレーターの乗り方に気を使うこともないし、だいいち空気はうまいし、人も良い。出世からは遠ざかったが、いっそのこと、ずっとこの町で暮らすのも悪くない。こうして、のんびりと釣りなどする時間もできたのだから。最近の俺は、人生に随分と前向きになったような気がする。

 釣りを始めて、一時間くらい経ったが、一向に釣れる気配が無い。やれやれ、今日は坊主かもな。そう思いながら、きっとボロボロになっているであろう、生餌を取り替えるために、竿を上げ、リールを巻いて糸を巻き取る。新しい生餌をつけると、できるだけ今度は遠くに投げる。

 何気なく、海から森のほうに視線を移すと、誰かがこちらに歩いてくるのが見えた。すでにかなり暗闇に目が慣れて来たせいか、真っ黒な人影がだんだんとこちらに近づいてくるのが見えた。こんな夜中に、俺のほかにもあの暗い森を抜けてきたやつがいるのか。釣り人だろうか。だが、釣り道具は持っていないようだ。こんなところに、釣具も持たずに、何の用だろうと考えると俺は、緊張で体が強張った。

 近づいてくるにつれて、それが男だということがわかり、余計に警戒した。思わず、俺は撒き餌をするためのスコップを強く握り締めて、いざという時のために備えた。

「釣れますか?」

 その男は近づいてくると、そう声をかけてきた。俺は拍子抜けした。

「ああ、ぜんぜん。さっぱりですわ。」

 緊張を解いた俺は、握り締めたスコップで撒き餌をするフリをした。それっきり男は黙って俺の隣に座りこんでしまった。気まずくなった俺は、自分からその男に話しかけた。

「この近所の方ですか?」

 俺が問いかけると、その男は小さく、ええと答えてまた黙り込んだ。いったい何なんだよ、この男。用が無いのならどこかへ行ってくれればいいのに。

「俺、今日ここに初めて釣りに来るんです。このあたりは、何が釣れますかね。」

 間が持たないので、俺はまた自分から話しかけた。

「さあ?でも、噂では、このへんは大物が釣れるらしいですよ。」

 初めてまともに会話が続いた。

「そうでしょうね。俺、昼間ここに来た時に、大物の影を見たので、今日こうしてここに釣りに来たんですよ。」

 足元に置いた懐中電灯で、ぼんやりとしか確認できないが、細面でたぶん20代くらいの男だろう。

また男は黙り込んでしまった。この男、ヤバイやつなのかもしれない。そう思うと、この状況が危険なような気がしてきた。このへんで納竿したほうが良いのかもしれない。

「僕も釣っていいですか?」

 唐突に男が俺にそう尋ねた。なんだ、釣り場の下見かよ。はじめからそう言ってくれ。

「いいですよ。俺、竿をちょうど二本持ってきてるんです。餌も十分ありますから、どうぞ。」

 同じ釣り仲間とわかると、俺は一気に男に心を開いた。どうもと男は竿を受け取ると、慣れた手つきで餌をつけると、これまた慣れた様子で、竿を振りかぶって仕掛けを投げた。

「俺、最近この町に越して来たんですよ。この町はいいですね。山も森も海もあって。自然に囲まれてて、最高ですよ。空気もうまいし、魚も美味い。」

 俺の話に、男は答えるでもないが、うんうんと頭だけで頷いた。きっとこの男は無口なのだろう。俺は、必要以上に話すのもこの男の負担になってはならないので、しばらく黙って二人で海へと糸を垂らして、獲物がかかるのを待った。しかし、いつまで経ってもピクリとも竿の先が動かない。これは、もう今日は釣れないだろうな。そろそろ引き上げたい。男に告げて、竿を返してもらおうとしたその時だった。男の持った竿の先が大きく揺れて、うきがぐっと海の底に沈んだ。

「おっ!大物がかかりましたよ!」

 男が一気に竿を引き、リールで糸を巻き上げる。竿が海面に突き刺さるほどしなっている。俺は慌てて、タモを用意した。

「あともうちょっと!」

 俺は自分の獲物でもないのに、興奮して叫んだ。だんだんと白い魚らしき影が近づいてきたので、タモを差し出して、二人で協力して一気に引き上げた。これはかなりの大物だ。俺はタモを陸にあげると、懐中電灯でその獲物の正体を見極めようと照らした。

「えっ!?」

 思わず、俺は言葉を失った。これは一体なんだろう。じっくり全体を照らした。

「ひいぃぃぃぃぃっ!」

 俺は情けない悲鳴をあげなから、尻餅をついた。男は無表情にその獲物を片手でぶら下げるとこう言った。

「やっとあった。探してたんですよね。左足。」

下から照らされた男には左足が無かった。俺は、その場で意識を失った。

「あんた、大丈夫かね。」

 体を揺さぶられて目が覚めた。目をあけると、年配の男性が心配そうに顔を覗きこんでいた。

「だ、大丈夫・・・。」

 俺は、コンクリートの上で寝ていた所為で、体のあちらこちらが痛んだ。

「こんな所で、なして寝てたかね。」

 老人は、俺に肩を貸しながら聞いてきた。こんな荒唐無稽な話を信じてくれるだろうか。

「実は・・・。」

 俺は、夕べの出来事を全て、その老人に話した。笑って一蹴されるだろうと思っていたが、老人は青ざめて、しばらくすると涙ぐんだ。

「不憫な子だよ。」

 老人は、そう言うと、ぽつりぽつりと話し始めた。

 老人の話によれば、つい最近、この灯台の下に水死体が流れ着いたと言う。その水死体は、時化に見舞われた漁師が沖で難破し、親子で漁をしていたのだが、親はなんとか無事泳いで陸にたどり着いたものの、息子は行方不明。三日後に変わり果てた姿で、灯台の下に打ち上げられたそうだ。その死体は、損傷が激しく、左足が無くなっていたそうだ。

「それじゃあ、俺の見た青年は・・・。」

「たぶん、そのせがれじゃな。」

 俺は、全身に鳥肌が立った。彼は自分の体の一部を探して欲しくて、俺に釣竿を貸すように求めたのか。しかし、釣り上げたはずの左足は、どこにも無かった。

 俺は、とりあえず、そこいらに放置している仕掛けと竿を仕舞い、家に帰ることにした。老人は、一人で帰れるのか、送ろうかと心配したが、俺も自分の車を駐車場に駐車しているので、乗って帰らなければならず、大丈夫だと丁重にお断りした。道具を全て、バッグに仕舞い、クーラーボックスを持ち上げようとした時だった。

 何も釣れてないはずなのに、やけに重い。俺は、不思議に思い、クーラーボックスの蓋を開けた。

「うわああああ!」

 

クーラーボックスの中には、折れ曲がって、成人男性のものと思われる左足が入っていた。

Concrete
コメント怖い
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さすがです(≧◇≦)b
怖面白かった!

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@月舟 様
コメント怖いありがとうございます。
私は釣りはあまりしたことがありませんが、主人に着いて行った事はありますよ。
その時は、太刀魚が爆釣で楽しかったです。
ゴカイをつけるのがどうも苦手で、ほぼ主人にやってもらいました(><)

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