裸足で電車に揺られている私を、酒に酔ったサラリーマンと思しき男がじっと見つめている。視線は定まらず、ふらふらとこちらに近づいてくると、酒臭い息を吹きかけながら、裸足で電車に乗っている理由を問われた。構わず、無視し続けていると、執拗に絡んでくるので、仕方なく私は次の駅で降りた。最終電車から降りることを余儀なくされた私は、とりあえず朝まで時間を潰せる場所を探す。
まさか、あの男にヤクザの知り合いが居るとは思わなかった。結婚相談所で紹介された、私よりはゆうに十は年上の薄ら禿げの太った男。温和そうな男で、この年まで独身であるのがわかるほど、女性に対しては奥手で不器用な男だった。
猫なで声でねだれば何でも買ってくれる男だった。どうやら、裕福な家庭のお坊ちゃまらしく、世間知らずで、騙すにはちょろい男だった。結婚資金という名目で預かったお金は、全て私の口座の中にある。あなたは、お仕事で忙しいでしょうから、式場の段取りやなにやらは全て私に任せてと言うと喜んで男は金を差し出したのだ。その金を受け取ってすぐに頓挫するつもりだった。
私から何も連絡がなくなった時点で、ようやく騙されたことに気付いた男は、何度も私の携帯電話に電話をかけてきたが、着信拒否にした。すべては上手く行く予定だった。私は、用心深く自分の住む場所は決して男には教えなかったし、携帯電話も男を騙す道具でしかないので、その都度終わればその番号は捨てている。
しかし、私は、この男の経済力をなめていた。親はどうやら、その筋の人間を雇い、私の住むアパートを割り出したのだ。
「おい!あけろ!いるのはわかってるんだぞ!」
外には、おそらく数人の男が居るのだろう。いろんな威圧的な言葉で脅し、近所の目などお構いなしにドアは蹴られ激しく叩かれた。震える足を奮い立たせて、私はトイレの小窓から這い出して、裸足で夜のアスファルトをひた走った。手には、しっかりと預金通帳と、キャッシュカードだけは握られている。
うまく巻いてやった。裸足で改札を抜ける私を、駅員が怪訝な目で見ていたが構わない。電車に乗り込むと、自然と含み笑いがもれた。このお金でしばらくは食いつなげるだろう。ゆうにしばらく遊んで暮らせるだけの金額はこの中に入っている。コンビニに行って、すぐにこのお金を全額下ろそう。
元はといえば、私を捨てた男が悪いのだ。
私だって、最初から、こんな女ではなかった。両親と早くに死に別れ、死にもの狂いで働いて働いて、普通に暮していたのだ。独学で看護士の資格を取り、そこそこ貯金もあった。あの男と出会うまでは。
男は、骨折で私の勤める病院に入院してきた。一目惚れだった。浅黒い肌に白い歯が映える、いかにもスポーツマンらしい爽やかな色男だった。怪我も、フットサルでの怪我だったらしく、私はこの男の世話をできるだけでも幸せだった。私のような器量の悪い女など、相手にしてもらえるはずは無いと思っていたのだ。ところが、男は退院前に私に告白をしてきた。
「私なんかでいいの?」
私は、とても信じられずそう彼に問うた。
「なんかってなんだよ。俺には君しか居ない。俺は本気なんだ。付き合って欲しい。」
私は天にも上る気持ちだった。もちろん今まで男性とお付き合いしたこともなかったし、初めての彼氏がこんないい男で、しかも相手から望まれているのだ。私は幸せだった。最初だけは。
男は、働いておらず、それも付き合い始めて初めて知った。当然のように、私のアパートに転がり込んできて、昼夜身を粉にして働いても、男はギャンブルでそのお金を湯水のごとく使った。それを咎めると、暴力も振るわれた、
「俺みたいな、いい男と付き合ってるだけでもありがたいと思えよ?お前みたいなブスが俺と一つ屋根の下に暮せるだけでも幸せってもんだろ!俺には報酬が必要なんだよ!な?だから金出せよ!」
私はバカだった。彼は一緒に暮しているというだけで、一度も私を抱かなかった。その時点で騙されていることを知るべきだった。私が夜勤の時などは、いろんな女を引き込んでいるらしく、私の部屋には、いろんな痕跡があり、それを咎める勇気も、彼を追い出す勇気も、圧倒的な暴力には勝てず、言いなりの毎日だった。
男は、いわゆる、クズだった。彼が私の元を去ったのは、私が体を壊してしばらく働けなくなって、貯金も底をついた時だった。男は、ある日黙って出て行った。あれほどのクズ男でも、私は、彼が去ったことが悲しかった。
体調も元に戻ったが、私は働く意欲をなくしてしまった。世の中真面目なものがバカを見る。私は、心が荒んでしまった。そして、初めて私は体を売った。お金ってこんなに簡単に手に入るものなんだ。私は、しばらくブス専の風俗で働いた。男はみんなクズだよ。乱暴に扱われながら、私は世の中の男に復讐することを誓ったのだ。
ある程度のお金がたまると、私はその店を辞め、すぐに美容整形をして別人に生まれ変わった。それからの人生は、自分の思うがままだった。男も、容姿に騙され、言いなりになるのだ。私は気分が良かった。真面目に働いてお金を稼いでいたのがバカバカしくなるほど、男は簡単に私に貢いでくれる。騙した男は、数え切れない。
私はようやく遠くに、コンビニの灯りを見つけた。裸足で店内に入る私を、コンビニの店員も訝しげに見ながらも、いらっしゃいませと挨拶をする。すぐさま、私はコンビニのATMに向かう。一度に下ろせる金額って50万円くらいだったかしら。私は、ATMにカードを差し込むと、暗証番号を押した。
ところが、このカードはお取り扱いできません、と何度もメッセージが出て、いっこうにお金は引き出せなかった。私は焦って、何度も暗証番号を入れるが、結果は同じ。やられた。たぶん、この口座は凍結されている。
私は、あの恐ろしいヤクザたちの怒号を思いだして、慌ててそのコンビニを後にした。肩にバッグを提げて途方にくれて、夜の街をフラフラと歩いた。今の私の全財産は、財布に入っている一万円のみだ。しばらくこれで食いつないで、何とか次のターゲットを探さなければ。そんなことを考えながら歩いていると、肩に衝撃が走った。
その直後、二人乗りのバイクが猛スピードで走り去った。バッグを盗られた!私は、裸足で追いかけたが、追いつけるはずもない。これで一文無しになった。私は、へたり込むと涙が次から次へと頬を伝った。何で、私がこんな目に。こんな時に限って、誰も助けにきてくれない。それはそうだ。いくら、整形して美人になったとしても、裸足で泣いてる女なんて、誰も関わりたくないだろう。そう思っていると、遠くから男達が数人こちらに近寄ってきた。
私は舌打ちしそうになる。どうみても、普通ではない男達だ。助けてくれるどころか、やられるだけやられてどこかに打ち捨てそうな輩達だ。泣いてる場合じゃない。私は、危険を感じて、裸足で走り出した。
「待ってよ、おねえさーん。逃げなくてもいいでしょお?どうしたの?何で泣いてるの?僕たちが慰めてあげよっかあ~?」
執拗に男たちは追いかけてくる。ヤバイ、絶対にヤバイ。
私は、細い路地に逃げ込むと、一軒の中華店の看板が目に入り、その裏口から駆け込んで隠れた。
「いらっしゃい。ここは入り口じゃあないんだけどな、お客さん・・・ひ・・・。」
真っ白い顔の店主が不気味に笑って、中華包丁を構えていた。
「きゃっ」
私は思わず恐ろしくて、叫んだ。
「あ、あの入り口間違えました。」
助けを求めようと思ったが、警察を呼ばれてはかなわない。私は、自分にやましいことがあるので、極力平静を装い、おなかが空いていることもあり、ラーメンを注文した。
「あいよ。」
そう一言いうと、中華店の店主は私が裸足であることにも言及せず、黙ってラーメンを作り始めた。
作者よもつひらさか