■幼児期
俺が産まれた時、周りに居たのは俺を産んでくれたお袋だけだった。
お袋は、幼い俺に乱暴を振るうことはなかったし、おっぱいもくれたし、面倒を見てくれた。
しかし、お袋は完全に狂っていた。
お袋は俺を産むまでに、十数回の出産を繰り返したらしい、つまり俺には十数人の兄や姉が居ることになる。
そのせいだろうか、お袋は俺のことをおそらくは姉や兄につけたであろう名前で呼んでいた。
それも決まった名前ではない、その時々でいろいろな名前で呼んだ。
お袋はもう、自分が産んだ子でさえ、誰が誰だか分からなくなっていた。
そんなお袋の異変に気づいたのは、生まれて4ヶ月ぐらい経った頃だ。
お袋の腹が小さな膨らみを見せ始めたのだ。
それが妊娠だと知ったのは、随分後になってのことだ。
お袋の腹は順調に大きくなり、もう明日には生まれようかという時
俺は突然お袋から引き離された。
その時になってようやく、どうして兄や姉がその場に居なかったのかを俺は理解した。
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■幼少期
お袋から離された俺は、透明なボックスのような所に一人閉じ込められた。
そこで俺は、さまざまな『支配者』を見ることになった。
支配者達は、幼い俺を見ては「キャッキャ」と騒ぎたて笑顔になった。
そしてある日、カップルの支配者がやってきた。
特にメスの方は、いたく俺のことが気に入ったみたいで、オスのほうに擦り寄り、おねだりしている様子だった。
それからしばらくして、俺はメスの支配者と一緒に暮らすことになった。
一緒に暮らすといっても共同生活という意味ではない。
メスの自宅にはゲージがあり、メスは俺をそこに閉じ込めた
俺は何もする事はない、食事はメスが用意してくれるし、気が向いたときに体も洗ってくれたり、ゲージの掃除もしてくれた。
メスは昼間は仕事をしているらしく、夜になると疲れた顔をして帰ってきた。
疲れていれば休めばいいのにと思うが、そういうときに限って、ゲージから俺を抱きかかえては、ソファで横になるのだ。
俺の方も始めは、少し気持ち悪かったが、おとなしく我慢してれば、さすってくれたりするので、ただ黙っていた。
食事は一日一回だが、そもそも動くことがあまりないので、大して気にならない。
とはいえ、毎日、同じ形の、同じ匂いの、同じ味の固形物なのには、少し辟易している。
もっともそれ以外のものも無いわけではない、ただそれはメスのあまった食事とかで、あまりにひどい味だった。
その時は、俺が一口食べただけで残ししたので、もう二度と出ることはなかった。
どうやら支配者と、俺達とでは、随分食事の形態が違うようだった。
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■思春期
俺の体が成長して少し大きくなると、メスは俺を首輪につなげて散歩に出るようになった。
これは俺にとっては革命的なことで、初めて見る外の景色に俺は興奮した。
俺は散歩がすぐに好きになった。
何よりも衝撃的だったのは、同族の存在だ。
彼らは俺と同じように、首輪でつながれており、それぞれに支配者が居た。
支配者同士で仲間意識でもあるのか、やつらはよく特定のメンバーで固まり、世間話をすることがあった。
当然、俺たちもその同族同士で一種のコミュニティを作ることになる。
その中で一緒になることが多いのが、圭ニィと真理ネェだ。
二人とも俺より年長で、圭ニィが最年長、その次に真理ネェ、俺という順番になる。
俺たちはとても仲がよかったが、圭ニィと真理ネェには割り込みがたい何かがあった。
俺は二人とも好きあってるんじゃないかと確信し、できればカップルになってほしいと考えていた。
「お前には好きな人居るのか?」
ある日、いつもどおり散歩中の圭ニィと一緒になったとき、突然、彼は切り出した。
実はその時、俺には気になる子が居た。
「いつもあの雑木林からこっちを見ている子か?」
圭ニィは俺の心を見透かしたように言った。
俺は静かにうなずいた。
「あの子は辞めとけ、あの子は野良だ、俺たちとは違うんだよ。」
「何が違うんだ!同族だろ!」
思わず俺は、言い返した。
圭ニィは、そんな俺を哀れむような目で眺めた後、説得するようにこう言った。
「ああ確かに同族だ。しかし考えてみろ。彼女と一緒になるということは、この支配者の庇護から抜けるということなんだぞ?確かに俺たちには、真の自由はないかもしれない。だがそのおかげで飢えや寒さに苦しむこともないんだ。」
「でもそれは、圭ニィにとっての真理ネェも同じじゃないの?」
「そうかもしれない、だがこのようにあって話をする事はできる。俺はそれで満足だ。」
それが圭ニィの返答だった。
事件が起きたのはそれから数週間後だ。
その日、久しぶりに散歩で圭ニィに会った。
「圭ニィ!久しぶり!元気にしてた?」
「ん?ああ、久しぶり、元気さ……」
圭ニィは明らかに元気ではなかった。
なんだか分からなかったが、俺は必死に圭ニィを励ました。
「すまない、励ましてくれるのはありがたいが。俺は今そんな気分になれないんだ」
「何でだよ!じゃぁ、せめて理由を教えてよ!」
俺がそういうと、圭ニィは観念したように、ボソッと言った。
「病院に連れて行かれて、男性器を切り取られたんだ……」
圭ニィは屈辱にまみれたような顔をしていた。
「え……痛かった?」
自分でも間抜けなことを聞いているのは分かっているが、あまりの事に何を言っていいのか分からなかったのだ。
「いや、眠らされて気づいたら、こうなっていたんだ……。頼む、真理にはこの事言わないでくれ!」
「うん、分かった。」
むしろ、言えと言われてもどう言えばいいか分からない。
しかし、悪い事は重なるもので、その時俺はふと後ろに気配を感じた。
そこには事もあろうに「!!」という表情をした真理ネェとその支配者が居た。
ちょうど今来たらしい、なんてタイミングだろう。
「真理ネェ、今の話し聞こえちゃった?」
「……。」
真理ネェはどう言うべきか、思案しているような表情をしていた。
「うあぁあああああああああああああ!!」
突然、圭ニィは騒ぎ出した。
今までの圭ニィからは想像もできない狂態だ。
「俺を見ないでくれ!俺を見ないでくれ!真理!」
圭ニィは何度も何度も繰り返し絶叫した。
それを見かねた、圭ニィの支配者はそっと圭ニィを抱きかかえるとゆくっりとその場をを去って行った。
俺と真理ネェは、その様子をただ黙って見ているしかなかった。
それから数ヶ月後。
世の中とは残酷なもので、さらに悲劇は続いた。
今度は真理ネェが強制的に子宮の摘出をされたらしい。
らしいというのは、うわさしか耳にできなかったからだ。
さすがに本人から直接聞く事ができない。
その後何度か、散歩のたびに圭ニィや真理ネェに会う事はあったが、前みたいな付き合いはできなくなり、よそよそしく挨拶する程度になった。
俺は、いつかの圭ニィの言葉を思い出していた。
『確かに俺たちには、真の自由はないかもしれない。だがそのおかげで飢えや寒さに苦しむこともない』
それは確かに事実だが、そこまでされて得る安息に何の意味があるのだろうか?
このままでは俺も去勢されてしまうのかもしれない。
俺はある日、散歩の途中に支配者の隙をついて繋がれているリードを噛み切って、支配者から逃亡した。
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■成人
俺はあの時、あの選択をしたことを本当に良かったと思っている。
確かに支配者の庇護を離れる事によるデメリットは、大きなものであった。
しかし、計り知れないほどのメリットもあったのだ。
俺はあの後、野良のあの子に会いに行った。
聞くとあの子は、雑木林の深いところにある野良の集落で暮らしているらしかった。
集落では、雑木林から出る事を禁止していたが、
あの子はどうしても支配者の社会に興味を持ち
境界線からこちらを伺っていたらしい。
俺は野良になった以上、その集落に入れて貰わねばならなかった。
そのため俺は今まで見聞きした、支配者社会の情報を彼らに提供し、仲間と認められようとした。
そのお陰か俺は、この野良の集落の一員になった。
そしてさらにに、集落の長からは何故、同族が支配者からこのような仕打ちを受けているかも聞く事ができた。
野良での生活はとてつもなく厳しいものであったが
俺は一つ一つ学習していった。
そうして、どうにかこうにか一人前の野良として立派に生活できるようになった頃
俺はこの集落に来るきっかけとなったあの子と所帯を持つ事になった。
そして、今、お腹が大きなった妻は、俺の横ですやすやと寝ている、来週には俺の初めての子供が生まれるだろう。
日々の生活の厳しさは比べ物にならないが、俺は支配者に居たときには感じ得なかった、達成感や、何よりも幸福感を感じている。
さて、そろそろ寝ようかなと思ったその時。
『保健所の一斉立ち入りだ!!』
集落の誰かが大きな声で叫んだ!
俺は一瞬、妻と目を合わせた。
「あなた逃げて!私はこの体じゃ逃げ切れない!私の事はいいから、あなただけでも逃げて!」
その妻の言葉は、ただのきっかけに過ぎない。
本音を言おう、俺はただ怖かったのだ。
保健所につかまって生きて帰ったものは居ない。
俺は妻と生まれてくる子を捨てて全力で逃げた。
逃げながら、こんな事を思った。
なぜ、逃げなきゃならないのだろう。
なぜ、俺たちは愛玩用動物として遺伝子を操作を受け、
なぜ、俺のお袋は支配者の商売のために、狂うほどに無理矢理に何度も子供を産ませられ、
なぜ、圭ニィと真理ネェは去勢され、
なぜ、妻と子供は殺されなければならないのだろう。
もし俺が、犬ならば、もっと早く走れて支配者から逃れる事ができるかもしれない。
もし俺が、猫ならその爪で支配者を引っかき、妻や子供を逃がす時間を作れたかもしれない。
しかし悲しいかな、俺は人間だ。
もし、集落の長が言っていたことが本当なら。あの時人類が宇宙からの侵略を防ぐ事ができたのなら、こんな事にはならなかったのかもしれない。
やがて俺は、支配者に追いつかれると彼らが持っている無数の触手のうち2本で抱きかかえられた。
その支配者はメスらしい、なぜか泣きながら、俺達には分からない言語で話しかけてくる。
『ごめんね、ごめんね。でもあなたたちを捕まえないと、私たちの社会に不利益が生まれるの、私達勝手よね、ごめんなさい。』
メスの涙が、俺に零れ落ちる。
次の日、俺たちは家族もろとも処分された。
作者園長
怖い話ではないかもしれません
広義のホラーという事でご容赦ください