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コエダマ 【A子シリーズ】

長編8
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コエダマ 【A子シリーズ】

大学生活一年目の初めての文化祭。

年に一度のお祭りで、キャンパス内はたくさんの人で賑わっていました。

出店やアトラクション、イベントなどの催しものも盛りだくさんで、他校の人達はもちろん、近隣の皆さんも大勢いらしてくれています。

そんな浮かれた空気の中、私は独り、ある場所へ向かって歩いていました。

『落語研究会』━━。

通称『オチケン』と呼ばれているサークルが、落語発表会をすると言うので、それを観に来たんです。

割と落語が好きな私は、サークルに興味はあったものの、この『年に一度の発表会で落語を披露する』ということがあって、サークルに入ることは断念せざるを得ませんでした。

演目は上方から江戸までと幅広く、古典の名作を演じてくれるので、落語が初めての方でも楽しめるのが嬉しいです。

その寄席会場までもう少しというところで、私の背中がポンと叩かれました。

「よっ!奇遇だねぇ♪」

振り向くと、そこには同じゼミのちょっと変わった子のA子さんが、皿一杯の肉をつまみながらニタニタ笑っています。

今時、インド人も手づかみしないよ?

まさか、その手で触ったの?!私に……。

「ドコ行くの?」

「そこの寄席だけど……A子さんは?」

私の問いに、A子さんがつまんだ肉を口に放り込みながら答えます。

「アタシは肉を喰いに来たんだ♪トルコ人の留学生がケバブの屋台を出すって聞いたからさ」

ソレ……ケバブだったの?何にも挟んでないじゃん。

「ケバブってのはアレだね!パンとか野菜とか余計なモンがないと、なかなかイケるね」

パンとか野菜を余計なものって……やっぱりヘンな人だ。

「そうなんだ……それじゃあ、私はこれで」

あまり関わらない方がいいと思った私が、その場を離れようと背を向けた瞬間。

「ちょい待ち!」

A子さんが私の腕をムンズとつかみます。

あ゙ー!!

「アタシも行くよ!興味あるし」

メジャーリーガーのように口をクチャクチャさせるA子さんを見て、私は絶対に興味ないと確信しました。

私は互いのために、A子さんにご辞退申し上げてもらおうと、やんわりと言います。

「つまんないと思うよ?プロじゃないし……」

私の心遣いも何処吹く風で、A子さんがクワッと目を見開いて私に凄んできました。

「じゃあ、何でアンタは観に行くの!?」

痛いところを突いてきたな……。

「わ、私はほら……落語好きだし」

「そんじゃあ、アタシも好きになるっ!!毎週、笑点も見てるし」

何でこんなに食いついてくるんだ……。

「A子さんは、落語知ってるの?」

「モチのロンよ!『小遊三』に『木久蔵』でしょ?あと『歌丸』!!」

ソレ……演目じゃないよ?

「えっと……『寿限無』とか『饅頭怖い』とか知らない?」

「知ってる!!人食い饅頭の話でしょ?」

知らないんじゃん……人食い饅頭って、ドコのB級ホラーよ。

「とにかく!アタシは今、落語が好きになった!!だから、一緒に行こう!!」

そう言ってA子さんは私の腕を引きながら、寄席会場へと入って行きました。

何回か接点はあったけど、何だかどんどん強引になっていく……。

言い知れぬ不安が音を立て、私の中で膨らんでいくのを禁じ得ませんでした。

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寄席会場の席はまばらだったので、私は後ろの席が良かったのに、A子さんが何故か最前列のど真ん中の席に陣取り、パイプ椅子をパンパンします。

「前が空いてて良かったね」

「う……うん」

仕方なく隣の席に座って高座の方を向いていると、A子さんが小さな黒目をキラキラさせながら言いました。

「楽しみだねぇ♪小遊三演るかなぁ」

「小遊三は咄家さんの名前だからね。絶対に演らないよ」

隣で子供みたいにはしゃぐA子さんをちょっぴり煩わしく思いながら、少しだけ可愛いとも思ってしまう自分が不思議です。

「何か臭くねぇか?」

そんな呟きが聴こえて我に返った私。

隣に目を戻せば、皿の肉を黙々と食べているA子さんがいます。

早く食べちゃってよ……てか、持って来ちゃダメじゃない!!

いろんな意味で早く開演してほしい私の祈りが通じたのか、会場内の照明が落ち、高座にスポットライトが当たりました。

めくり(ステージ左側にある縦長の看板)が捲られて、演者の名前が出るかと思いきや、演目が書いてあります。

「そば清か……」

つかみとして親しみやすい滑稽噺を持ってくるとは、これはなかなか期待できます。

「何?蕎麦屋の話?」

トンチンカンなA子さんは無視しよう……。

軽快な出囃子と共に舞台袖から現れたのは、目に眩しい黄色の着物を羽織った丸っこい人です。

座布団に座った演者さんは、空席の目立つ席を見渡して言いました。

「おおぜ……ゴホン!お運びをありがとう存じます」

深々と頭を下げる演者さんに、思わずクスリと笑ってしまいました。

「おいしいですか?」

演者さんは、最前列のA子さんを人の良さそうな笑顔でイジると、A子さんも「うまいよ!あげないけど」と返し、客席の笑いを誘います。

早速ですが、帰りたい……。

「まぁ、なんですなぁ……こちらのお嬢さんのように、気軽にケバブを召し上がる感覚で江戸の町でも食べられていたファーストフードはたくさんございまして……」

こっちには触れないで……お願いします!

「寿司に天ぷら……当時はこういうものも外で食べられていたんですな。特に寿司なんてのは今とは違い、こんなオムスビくらいのものでして、一つ食べれば腹一杯になっちまう……そういうモンだったそうでございます……」

噺の枕に聞き入っていると、隣から小さな息遣いが聴こえてきました。

チラ見すると、A子さんが空の皿を握ったまま、寝ています。

演者の真ん前で、開始30秒も経たずに寝る?

私はいろんな意味で大物なA子さんを肘で小突いて起こそうと試みますが、A子さんは「おかわり……」と寝言まで言う始末です。

「ちょっと!A子さん」

これではあまりにも演者に対して失礼過ぎるので、小声で囁きつつも肩を大きく揺すってやると、A子さんは「ハッ!!」とマンガみたいなリアクションで身を跳ねさせました。

「帰って寝た方がいいんじゃない?」

一緒にいることの恥ずかしさから、私が不機嫌さを顕にして言うと、A子さんはニヤリと笑います。

「いやぁ……名人芸だねぇ」

まだ本編にすら入ってないよ!

悪びれる様子もないA子さんに、私は腹が立ちました。

演りにくそうな演者さんに申し訳なく思いながら、何とか『そば清』は終了。

せっかくの落語を半分も楽しめなかった苛立ちから、A子さんを完全に無視します。

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それから、『化物つかい』、『お菊の皿』と続いて、トリは『真景累ヶ淵』という怪談噺の傑作です。

私はこれを聴きに来たと言っても過言ではありません。

演者は、国文学科三回生の柳川純子(すみこ)先輩。

当大学きっての怪談師としても有名な方です。

この『真景累ヶ淵』は、全97章ある大長編作品で、寄席でも一部しか上演されないのですが、そこは国文学科の柳川先輩です。

特に傑作と云われる前半部の各章の肝をまとめて、再編集したオリジナルを演じるという、プロもできないような芸当を演られるというんですから、落語ファンならずも聞かない訳にはいきません。

漆黒の着物姿の柳川先輩が高座に着くと、既に張りつめた空気が場を支配します。

柳川先輩は、小柄で童顔の見た目は中学生な感じなんですが、ひとたび語り始めると、その語り口は夏の風物詩にまでなっている有名な怪談師の御大を彷彿させるほど情緒たっぷりで、心なしか先輩の鼻の下に髭が見えてくるようでした。

柳川先輩は枕も早々に本編に入ると、何だか場内がヒンヤリと肌寒く感じはじめます。

固唾を飲んだら聴こえてしまいそうな静けさの中、柳川先輩の語りだけが切々と響いていました。

私は柳川先輩の迫真の語りにすっかり聞き入っていましたが、噺の中盤の『豊志賀』辺りで、ふと観客が増えていることに気がつきました。

流石は柳川先輩です。

最前列にいた私達の後ろに、スゴい数の人の気配がしています。

あんなに閑散としていた席を埋め尽くしてしまうとは……。

隣のA子さんも噺に食い入っていました。

噺も佳境に入り、熱のこもった柳川先輩のお累の演技も相まって、息をするのも忘れてしまいそうです。

「以上、『真景累ヶ淵』の一席でした。お付き合いのほど、まことにありがとう存じます」

柳川先輩が深々とお辞儀をし、幕が閉まると場内の明かりが一斉に点灯しました。

「ふぅ……」

噺に入り込み、全身に力が入っていた私は、溜め息と共にすぅっと力を抜きました。

気がつけば、あんなに寒く感じていたのに、今はじっとりと汗をかいていることにも驚きました。

見れば、鳥肌まで立っています。

「いやぁ……スゴかったねぇ」

落語に毛ほども興味を示していなかったA子さんが満足そうに言うのを聞いて、私も何だか嬉しくなります。

「本当にスゴかったよね!柳川先輩!!」

「うん。まさか、本物の聲靈(コエダマ)使いにお目にかかれるとは」

「え?」

何を言ってるんだろう……この人は。

首を傾げる私に、A子さんが言いました。

「アンタも気づいてたでしょ?ここいっぱいに霊が集まってたの」

「A子さん、何を言ってるの?」

ヘンな人だとは知っていたけれど……。

A子さんが後ろを見ろとばかりに顎をクイッとするので、私は身を捩って振り返ってみると、そこは空席のみ。

観客は私達二人だけになっていました。

「あの人が話し始めてすぐに、後ろにいた客は帰っちゃったよ。まぁ、普通の人には耐えられないだろうからね」

「じゃあ、さっきまでいたのは……」

「いわゆる『オバケ』ってヤツだよ」

ライトなA子さんの言葉に、電光石火の勢いで私の背筋を悪寒が走り抜けました。

「たまにいるんだよねぇ……聲に力を持っている人が……言霊ってあるじゃない?言葉が力を持っているってのがさ。それみたいに声そのものに力があるものがある。アタシはこれを聲靈って呼んでるけど」

「は…そうなんだ……」

そこからはA子さんの言葉が頭に全く入ってこず、とにかく熱いお風呂に入りたいと、それだけが頭の中を駆け巡っていました。

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A子さんから解放され、部屋に帰って熱いお風呂に浸かりながら、もうあの人(A子さん)には関わるまいと心に決めました。

あっけらかんと怖いことを言うA子さんが苦手です。

以前に助けてはもらったから、キライまでは言わないけど。

今日のことを忘れようと思えば思うほど、何故か鮮明に思い出されてしまいます。

そう言えば、柳川先輩には観客席がどう見えていたんだろう……。

私達二人だけが見えていたのか、それとも……。

ふと過った疑問を打ち消すように、私は湯船のお湯を顔にバシャッとかけました。

考えるのも恐ろしい……。

これがきっかけなのか、私は寄席で怪談噺を聴くことを止めました。

しかし、その後もA子さんには、このこと以上の経験を何度もさせられてしまうんですが、それはまた別の話です。

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