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小料理屋 砂時計【女子会】

長編9
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小料理屋 砂時計【女子会】

サラリーマンのオアシス、呑み屋街の聖地(メッカ)新橋駅近くの路地裏を抜けると、寂れた二棟のビルが建っている。

夜中の2時過ぎにそのビルの隙間を入ると、小さな赤提灯が下がった古めかしいちんまりとした小料理屋があるという。

そこは人成らざるモノが夜な夜な通う一杯呑み屋なのだが……。

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年季の入った引き戸がガラガラと開くと、のそりと頭をもたげて一人の痩せぎすの女が入ってきた。

「いらっしゃい」

カウンターに立つ老齢の女将が笑顔で迎えると、女はガバッと顔を上げ、天井ギリギリまで持ち上がった頭を女将に向けると、ぶわっと泣き出しながら一言呟いた。

「フラれた……」

そう言うと、女は手前のカウンターに座り、突っ伏せない代わりに、体を仰け反らせて号泣した。

「あらあら……八千代ちゃん、そんなに泣かないで?ね?」

優しく語りかける女将に、八千代は「強いヤツちょうだい」と返して、また天井を仰ぎながら慟哭した。

「うるさいわねぇ……いつものことなんだからいちいち泣くんじゃないよ!酒が不味くなる」

L字に曲がった奥のカウンターにいた女が、苛立たしそうに言うと、八千代は長いリーチを活かし、拳をその女目掛けて振り下ろした。

ガシャーン!!

女の前に並んでいた肴の皿が、ちょっとだけ浮き上がり、その拍子に器から少しヒジキがこぼれた。

「何すんだ!!この女形の巨人!!」

「うるさい!!リア充クソメス猫!!」

小競り合いを始める二人を、女将が優しく宥めた。

「八千代ちゃんも、タマちゃんも少し落ち着きなさいよ……」

「だって!このメス猫がぁぁぁ」

女将にたしなめられ、八千代がまた大声で泣き叫ぶ。

「タマちゃんも、八千代ちゃんを刺激しないでね?あなたも女なら分かるでしょ?」

「うん……まぁ」

女将の言葉でタマもばつ悪そうに大人しくなり、グラスを傾けた。

「はい!強いヤツ」

女将がグラスに注がれたスピリタスを八千代の前に置くと、八千代はそれを一気に煽り、ダンッ!とカウンターに叩きつける。

「女将!!ジョッキでもう一杯!!」

八千代の呑みっぷりに辟易したタマが、皮肉を込めて一言言った。

「アンタ、デカいんだから瓶ごと呑めば?」

コンプレックスを突かれた八千代が、殺意しかない目でタマに凄む。

「あぁん?!クソ猫!!今、オマエ何つった?」

「デカいんだから瓶ごと呑めっつったんだよ。ポセイドン」

「上等だ!!面ン出な!!挽き肉にしてやんよ!!」

「やんのか!?細切れに引き裂いてやんよ!!」

席から立ち上がり、もはや戦闘体勢の二人に、堪りかねた女将が指先から砂を噴射し、二人の顔にかけた。

「いい加減にしな!!」

女将の怒号で我に返った二人は、シュンとして静かに席に着き直した。

「口の中がジャシジャシするから、顔洗ってくる」

空気の悪さからかタマはそう言って御手洗いに立つが、八千代は黙って顔についた砂を手で払っている。

見かねたタマが八千代に言う。

「アンタも顔洗った方がいいよ」

「いい……化粧ポーチ忘れて来たし」

モジモジする八千代に、タマが一つ溜め息を吐いた。

「アタシのでよければ貸すよ」

「マジで?ラッキー♪」

タマの言葉で一転、嬉々とした八千代がタマの後ろにくっついて、共に御手洗いへ立った。

その時にまた入口の引き戸が開き、OL風の黒髪美人が入って来るなり、女将に問う。

「あれっ?!いつもの二人は?」

「いらっしゃい。今、化粧直しに行ってるのよ」

「また女将を怒らせたんだね……」

そう言いながら、美人OLは一番手前のカウンターに腰を下ろした。

「しっかし、まぁ……あの二人も毎度毎度よくやるよねぇ……仲がいいんだか悪いんだか」

OL美人は席に着いたまま、御手洗いに向かって首を長く伸ばして覗きこむ。

「緑ちゃん、何呑む?」

「そうだなぁ……麦焼酎をロックで」

「はいはい」

緑にグラスが届いた所で、タマと八千代が御手洗いから戻って来た。

「緑さん来てたんだ」

「おぅ!タマ、仲良くやってるか?」

「緑さぁん!私、またフラれたぁ~!!」

大きな図体で緑にすがりつく八千代を、緑は優しく撫でてやる。

「そうかそうか……今日はお姉様が奢ってやるから、ガンガン呑みな!!」

「「やったー!」」

両手を挙げて喜ぶ二人だったが、緑はタマをビシッと指差して言う。

「アンタはダメ!!リア充じゃん」

「そーだそーだ!リア充は帰れ!!そして死ね!!」

チロッと赤い舌を出す緑の隣で捲し立てる八千代に、たまらずタマが叫んだ。

「リア充じゃないもん!!」

涙ぐむタマに、八千代も緑も思わず「は?」と固まる。

「ちょ、何言ってんの?あのシマシマちゃんちゃんこは?」

八千代が訝しげにタマを見ると、タマは俯きながら小さく呟いた。

「付き合って……ない」

「「はぁぁあああ?!」」

タマの言葉に緑と八千代が同時に声を荒げる。

「アイツ、30年以上も何やってんの?マジで」

「で、でもさ、キスくらいはしたんでしょ?」

緑と八千代の尋問に、タマは俯いたまま答えた。

「ないよ……手くらいはつないだけど……アレって結構奥手だからさ」

プルプルしているタマの姿を見て、緑と八千代は脱力する。

「あの子、いっつもアンテナビンビンにおっ立ててるクセに、女心も分かんないの?マジで終わってんねぇ……」

「ホント、立てんのソコじゃねーし」

「あんまり悪く言わないでよ!アレはアレでイイトコいっぱいあるし……」

そこにいない男を激しく糾弾する二人に、タマが代わりに弁護するが、八千代も緑も勢いは止まらない。

「ちょ、タマ!ヤツをここに呼べ!お姉様が直々に説教してやる!!」

「呼べ呼べ!場合によっちゃあ叩き潰すっ!!」

「無理だよ……今、アレいないもん」

「何で?」

いきり立つ女二人に、タマがボソッとこぼした。

「青山で運動会してる……」

「「ぶばっ!!!!」」

「ちょっと!!笑わないでよ!!」

タマは吹き出す二人をキッと睨むが、大爆笑の二人を前に虚しさが胸を締め付ける。

「う・ん・ど・う・か・い!!ガキかよ」

「ちょ、待って……腹痛ぃ………死ぬぅ……」

涙を流して笑う二人を見て、タマが悔しさのあまりボロボロと大粒の涙をこぼしながら拳を固く握っていると、また来客が入って来た。

「盛り上がってますねぇ!」

入口から器用にほふく前進で店に入った笑顔のセーラー服の女の子の下半身はなかった。

「久しぶりね。琴子ちゃん何にする?」

「オレンジジュースください」

琴子は、これまた器用に両手で席に着くと、タマを見て、驚きの声を上げる。

「どうしたんですか?!タマ先輩」

琴子がポケットからハンカチを差し出すと、タマはそれを受け取って目頭を抑えた。

「いやさぁ、コイツが30年以上も一緒にいる男から何にもされてないっていうのがね」

八千代が琴子に訳を話し始めると、タマは恥ずかしさから、慌てて八千代を止めに入ろうとするが、琴子がポツリと言った。

「いいなぁ……タマ先輩」

琴子の羨ましそうな呟きに、一同の時間が止まる。

「わたしなんて、姿見られた途端に逃げられちゃうんですよ?何にもしないって言いたくて追いかけても、逆に限界突破で逃げちゃうんですもん」

一つ溜め息を吐いた琴子は、タマを見ながら微笑んで言う。

「だから、タマ先輩が羨ましいです……恋ができて」

琴子の胸の内を聞いた八千代が、高々していた頭をブンッと下げた。

「何かゴメン……」

「別に……気にしてないし」

八千代からの謝罪に、タマも素っ気なく答えると、琴子がパンと一つ手を打ってニコッとした。

「さぁ!気を取り直して呑み直しましょう!!」

「よーし!ここは緑お姉様が全部出そう!!みんな好きなものジャンジャン呑め!!」

「「「あざーす!!」」」

空気が一変し、和やかムードになった店内に楽しそうな笑い声が響き始める。

「そう言えば女将、咲子は来ないの?」

緑が問うと、女将は苦笑しながら答えた。

「あぁ……確か、ヘリコプターの院長先生に診てもらえるとかで、病院に」

「まだ諦めてなかったの?!もう整形は止めろとあれほど……」

「まぁねぇ……やっぱり咲子ちゃんも女だから……」

女将のフォローを呆れ顔で聞いている緑に、タマが近づいて言った。

「そう言えば緑さん、おサダがツイッター始めたらしいですよ!知ってました?」

「は?あのカマってちゃん、そんなこと始めたの?どんだけ淋しがりなのよ」

「わたし、こないだサダさんからライン来ましたよ」

傍で聞いていた琴子がスマホを緑に渡すと、画面にツイッターのURLと共に『フォローしてねっ(はぁと)』の文字が表示されていた。

「あのヒッキー……楽しやがって」

緑が引きつり笑いで画面を見ていると、八千代も画面を覗き込みながら言う。

「あの子、基本、井戸から出ませんもんねぇ……私、こないだ合コン誘ったら、恥ずかしいって出てこないんで、井戸に手ェ突っ込んで引き摺り出そうとしたら噛まれましたよ」

「そうそう!必死だったよね!!その割りにカヤっちとバトったの映画化されてたし……ありゃマジウケた」

八千代の隣で手を叩きながらタマが笑っていると、緑は頬杖をついて琴子にスマホを返した。

「カヤも喧嘩っぱやいからねぇ……」

「でも、息子くんは可愛かったですよ?パン1でしたけど」

スマホを受け取った琴子がニコニコしながら言うと、緑は八千代とタマに言った。

「誰かカヤに息子に服くらい買ってやれって言っときなさいよ!!」

「ヤですよ~!カヤっち逆ギレがエグいんですもん……緑さんが言ってくださいよぉ」

タマは眉をハの字にして緑に返す。

「えー……ムリムリムリ!だってアイツ、名前呼んだ時、振り向き様にゲップで返すんだもん……あたしゃ先輩だよ?」

臭い顔の緑が顔の前で手をヒラヒラさせると、八千代がキョトンとする。

「アレ、ゲップじゃないですよ?旦那にノド潰されてからあんな感じらしいです」

八千代から衝撃の事実を聞かされた緑は、気の毒そうに呟いた。

「そっかー……アイツも苦労してんだねぇ」

カランと氷を鳴らしながらグラスを傾けた緑に、タマが身を乗り出す。

「緑さんはどうなんですか?最近、こっちの方は」

タマが立てた親指を突き出すと、緑は「まぁ、ねぇ……」と力なく笑った。

「こないだ会社の同僚の男とご飯に行ったのよ!代官山のイタリアンに!!」

「ほぅほぅ」

「食べ終わってソッコーで『ホテル行こ』だってお!!サカってんじゃねーよ!!」

「マジっすか?!バカにしてますねぇ」

「まぁ、店で一番高いコース食ってやったからいいけどね♪」

「いくらだったんですか?」

「飲み代込みで5、6万?」

「緑さんナイス!!」

「あえてワインをグラスでオーダーしたのが効いたねぇ~」

ゲラゲラ笑う緑とタマに、琴子が訊いてきた。

「グラスとボトルじゃ値段が違うんですか?」

その質問に女将が答えた。

「グラスだとその都度、蓋を開け閉めしたり、わざわざ一杯一杯届けたりしなきゃないでしょ?だから割高なのよ」

「へぇ~……そうなんですか」

知らない世界の情報に感心する琴子に、八千代がすかさず余計なことを付け足した。

「緑さん、酒豪だし」

「ちょ、八千代!あたしは嗜む程度の可愛いモンよ?」

口を挟んできた八千代にやんわり返す緑を、タマがジト目で見ながら言う。

「アレで嗜むとかヤバくないですか?前に六本木のバーでドンペリ8本開けたじゃないですか!しかもゴールド!!あの後、男が青ざめて帰ってく背中を笑顔で見送ってたの見て、流石に引きましたよ」

「タマ!琴子ちゃんの前で!!何でも好きなだけ呑めって言ったから、素直にお言葉に甘えただけじゃん」

「甘えすぎですよ……久々に見ましたよ?3桁万の領収書」

タマの口から出た緑の伝説を聞いて、琴子が明らかにドン引きしている。

「ね?大人は怖いのよ?」

あっけらかんと語りかける緑に、琴子は笑顔を引きつらせて、オレンジジュースを含んだ。

「緑の姐御!船盛が食べたいでゴザル!!」

大分出来上がった八千代が敬礼しながら言うと、気分の乗っている緑は豪快に笑う。

「おぅ!頼め頼め!!琴子ちゃんも食べられるよね?」

「はい!大好きです!!」

無垢な琴子の笑顔に気を良くした緑は、女将に人差指を立てた。

「よっしゃ!女将!!船盛一つ!!」

「はいはい」

その後も大盛り上がりのドンチャン騒ぎは、空が白々となるまで続いた。

そんな都会の片隅にある小さな小さな小料理屋は、今夜もひっそり開店している。(らしい)

Concrete
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