初めまして、今回未来から死刑廃止が決まったことを現代人にお伝えする役割をいただきました、川内 綾乃と申します。かわうちではありません。せんだいと読みます。読みにくい名前ですいません。
現代は、死刑がまだ残っていらっしゃりますね。私を含む死刑廃止委員会では、そのような生ぬるい求刑を撲滅するべく過去に数々の運動をして参りました。お時間のある方は、少しでも立ち寄っていただければ幸いです。
では、死刑廃止委員会について簡単に説明を行います。
<死刑廃止委員会の理念>
・犯罪者(主に殺人罪を犯したもの)を死刑などという簡単な方法で裁かないために活動を行う。
・死刑の場合、罪の無い誰かが、別に殺人を犯してしまうこととなるのでそれを防ぐ。
・犯罪者の方を愛している家族・恋人にも文句を言わせずに裁くことが出来る。
上記のような理念の下、私たちは活動をしています。豊かな現代社会において「死」はなんの脅しにもなりません。死ぬことに関しての恐怖心は薄れています。相手のことを考えずに発言や行動をする人間が増え、命の尊さを忘れています。人権の意味をはき違え、義務を果たさず権利を主張する人間も増えています。考えを放棄し快楽を求める人間も増えています。
いえ、説教ではありません。気分を害されたかもしれませんが、往々にしてそういう人が増えているという事実を述べただけなのです。事実、私はそういう考え方の人間の所為で母を殺されました。
私が10歳の時に、母は商店街で買い物をしていて、誰でもよかったという理由でとある男性に殺されました。15年後その男は死刑をされましたが、死刑を受ける前までその男は務所でテレビを見て、3食ご飯を食べて、適度に働くという当たり前の生活をして過ごしていました。
遺族にとってその期間があるだけでも腹立たしい。でも、人権というくだらない概念に縛り付けられ、犯罪者の味方をすることで自分は良いことをしていると酔いしれている馬鹿が、このような社会を生み出しました。
死刑執行の前、母を殺した男はやり残したことはないか、と質問された時、自慰行為がしたいと言ったそうです。さすがに、本番はできないだろ、と言ったそうです。こんな話を聞かされて、彼の15年間は反省のために与えられた、と言えますか。死刑なんてそんなものなんです。今の人間にとって「死」は大した意味をなさないのです。
そこで、私たちは人権を侵害していると言われないように、かつもっと人を殺すということがどれだけ重罪であるかを説得する必要があると考えました。死刑廃止委員会は全て何らかの事件で遺族となった方のみで作られています。
加害者側のことは大して考えていません。寧ろ考えたくもありません。それでも、彼らの家族のことまで配慮する必要があり、私たちは殺された家族や恋人のことを考えながら我慢をしなければならなかったのです。
現代で死刑廃止を唱えていた馬鹿の考え方を改めるために、私たち委員会はある殺人犯罪者の協力の元説得に成功しました。現代の死刑廃止論は、加害者にも人権がある。人権を尊重した生活を行わなければならない。といった考えです。
この発言は私たちのことを一つも考慮していない発言です。なので、私たちは小児性愛で小児・児童を8人も犯して殺した前科がある犯罪者に協力をしてもらい、とある部屋でその馬鹿の子供と単なる会話をしてもらう様子を生中継でその馬鹿にモニタリングさせました。
その馬鹿は発狂しました。今すぐ、子供を犯罪者から離してくれと懇願してきました。私は言いました。
「別に何もされてないじゃないですか。」
それでもなお、馬鹿は発狂していました。土下座をして懇願されました。娘は悪くない、何もしてないじゃないかと言われ、他人の気持ちを考えない最低な人間だと罵られました。どうして、本当に何もされていないのにそこまで喚けるのか不思議でなりません。加害者の人権を尊重すると豪語していたのは他でもない貴方だったでしょう、と内心は思っていましたが、私はぐっと気持ちを押し殺し、平静を装って言いました。
「彼が子供と触れ合いたい、そう言うので人権を尊重しました。」
すると、なんとも人間らしからぬ恥ずかしい発言をその馬鹿がしたのです。
「どうしてうちの子なの⁉他にも子供は沢山いるじゃない‼」
最初の言葉は、私たち遺族全員が思っていることでした。何も悪いことをしていない、偶然その場に居合わせたというだけで命を奪われ、奪った方は人権という考え方に守られて生きていく…。同じ立場に立たされなければ分からない苦しみだと思います。けれど、後の発言は違います。遺族として思うことは、この馬鹿のように他の人だったら良いとは思えないのです。どうして母でならなければならなかったのかと思う気持ちと、だとしても他の人が同じ目に合って良いとは思えないのです。
安全地帯で高みの見物だからこそ、加害者の人権を!と唱えることが出来るわけです。半分脅しのような形ですが、活動を控えていただくことを誓約してもらい、私たちは子供を彼女の元に返しました。彼女たちの活動が少なくなり、私たちは本格的に活動を開始しました。
まず、犯罪者に命の尊さを伝えるため、私たちは倫理上問題のある実験を数々行ってきました。これからいくつかの実験内容を綴っていくため気分を害されるかもしれません。しかし、これ以上殺人という犯罪を増やさないために必要であったということを理解していただければと思います。
Case1 佐々木浩二(仮名) 21歳
前科:家族である祖父、父、母、弟の計四人を働かないと言われ続け、鬱陶しかったという理由で全員が寝静まってから放火により殺害した。
実験内容:犬が好きであるということから、生後2か月の犬を育成してもらった。
佐々木はそもそも家族の大切さを分かっていませんでした。自分が働けないのは家族の所為だと主張し、そんな家族に対して育ててくれたという考えを持ち合わせていませんでした。彼には命の尊さ以上に家族の存在の大切さを感じてもらうため、このような実験を行いました。
佐々木に与えた犬はファロー四徴症という、先天性の心疾患を持った犬を育ててもらいました。簡単に病気の説明をすると、心臓の動脈血と静脈血が混ざり合い、全身にうまく酸素を送れなくなり重篤な場合は死に至るという病気です。
佐々木には刑務所で働いたお金で犬のベッドや餌、キャッチボールをする道具などを買ってもらい、成長過程を日記につけるよう指導しました。もともと犬好きであったため、マンネリ化した務所暮らしより断然良いと彼は快く実験に協力してくれました。
最初の1か月は特に目立ったようなことは書いていませんでした。オスであったためゴンザレスと名付け、ミルクを飲んだ後に疲れやすいのが気にかかる、思った以上に育てるのは難しいといった内容ぐらいでした。モニタリングをした際は、かなり犬を可愛がっており、躾をするのが苦手な様子でした。刑務所の方からは仕事への集中力が少し高まったとの報告がありました。
2か月目に入り、犬に症状が本格的に現れました。起きた直後にひきつけのような発作を起こすこと、舌や口周りが青くなること、少し軽く運動をさせるだけで失神を起こすことなどが書かれ始め、同時に獣医に診せたいといった内容も書かれ始めました。
モニタリングの際、犬が発作を起こすとおろおろと慌て、犬を抱えたまま右往左往する様子が目に留まりました。刑務所の方からは、うわの空で、少し注意散漫な様子が見られると報告がありました。
そこで私たちは、しっかり3か月仕事をこなせば獣医に診せるという約束をしました。佐々木は人が変わったように仕事に集中し始め、犬の元に帰った際はずっと犬に付きっきりでした。
3か月目に入ると、佐々木が部屋に帰ってくると犬が尻尾を振ってよたよたと迎え入れるようになりました。もちろん、動くと発作が出現するほど重症なのですが、佐々木はそんな犬を抱きかかえ、泣きながらありがとうと連呼していました。
最初は病気の心配事や成長が遅いなどの悪い面への記載が多かった日記もこんなことができるようになった、こんなことをしてくれた、といった良い面の記載が増えました。刑務所からは、仕事を迅速にこなし、先取って仕事をするようになり、周囲の人間から頼られるようになったと報告がありました。
4か月目になると、発作が出ても迅速な対応をするようになり、慌てふためくことも少なくなりました。大きく成長した犬を膝に乗せ、おまじないのように大丈夫、大丈夫と唱えるようになりました。この頃から、日記にちらほらと家族の思い出を綴るようになり、涙が滴った跡がページの下のほうに見られました。佐々木は犬に対して気丈に振る舞うようになり、職場でも大役を任されるほどしっかりとしてきました。
この頃、私たちに外の世界を見せてあげたい、と自分が外に出てはいけないのであれば、私たちに散歩をしてあげてくれないかと頼るようになってきました。私たちは刑務所の庭でなら散歩をすることを許可し、佐々木は私たちに泣きながら頭を下げていました。犬も軽く歩くぐらいであれば、発作も出なくなり彼は犬を育てることに関して生きがいを感じていました。
5か月目、散歩をしていた最中、犬が虫を見つけ軽く走り、発作を起こして死にました。獣医に見せると約束した日まで後一週間という時のことでした。あんなにしっかりしていた佐々木は精神的に参ってしまい、うつの診断から精神病院に入院することとなりました。私たちは弱っている佐々木に追い打ちをかけるように、家族のアルバムとゴンザレスのアルバムを渡しました。佐々木は毎日病室でアルバムを見ながら泣いているそうです。
しかし、今後佐々木が退院できて刑務所から出れた暁には、家族に対して大きな見返りを求めるといったような人間ではなくなったと私たちは信じています。
Case2 木下徹(仮名) 48歳
前科:もともととある女子高生のストーカーとして通報され、警察に通報された逆恨みで帰宅途中の女子高生を後ろから金属バッドで殴り殺害。その後、女子高生の死体を家に持ち帰り何度か死姦している。
実験内容:遺族の方の協力の元、彼女の思い出の品を展示した部屋に1ヵ月住んでもらった。
木下は元々会社をリストラされ、大事にしていた親友を不慮の事故で亡くし、生きる気力を失ったときに彼女が高齢者に優しくしている姿を見て一目惚れをしたそうです。しかし、最初は純粋に好きだった感情は欲に支配され始めると純粋さを失くすものです。彼女をああしたい、こうしたい、という妄想が度を過ぎた木下はストーカーという誤った行動を取り、あんなに好きだった彼女を殺すという選択肢を選んでしまいました。そこで、本当に彼が彼女を好きだったのか確認するためこのような実験を行いました。
遺族の方には、木下に心から反省させることを約束し、彼女の遺品に木下が触れられないようにガラスケースに入れておくことを約束しました。彼女の母親に各遺品の思い出話を話してもらい、そのブースに行くと自動でレコーダーから声が流れるような仕掛けにしておきました。トイレ以外の全ての部屋(年齢に分けて4部屋用意)が彼女の思い出が流れるようにしました。
最初、木下は自分がしたことに後悔をしていなかったので、高校生の彼女の写真を見ながら自慰行為を行っていました。遺品を見てはニヤニヤして、見ているこちらとして反吐が出るほど最低な男でした。
しかし、トイレを探すために、いろいろな部屋を回っていると、一番小さい乳幼児~幼児期の部屋に辿り着きました。そこには、彼女が初めて立った時の動画を流したり、小さい頃来ていた服や靴、愛用していたぬいぐるみなどを飾っており、彼女の母親の思い出話の中に、彼女が幼少期に車に轢かれたことで死にかけたことがあったことが流れていました。この話はストーカーをしていた木下も知らなかったようで、彼女について知らないことがあったことに驚いたのか素直に聞き入っていました。話の内容は以下の通りです。
「マキは、幼稚園の時は今と違ってかなりやんちゃな子でした。お兄ちゃんに付き添ってサッカーボールを追いかけて、よく転んで膝や手のひらに傷があるのは当たり前でした。酷い時はほっぺたやおでこにまで傷を作って、本当に女の子かと疑うほどでした。
私が、お兄ちゃんにマキを連れて遊びに行ったことを叱ると、私がマキに怒られました。お兄ちゃんは悪くない、マキがお兄ちゃんに頼んでいるんだと。夫もよく外で遊ぶことは良いことだと言って、その頃のうちでは私が一番の悪者でした。
けれど、マキが6歳になる前の8月に、公園から出たサッカーボールを追いかけてマキが車に撥ねられたことがありました。私も夫も共働きで、その頃お兄ちゃんもマキも夏休みだったので家には誰も居ませんでした。たまたま近所の人がうちに電話をくれて、マキを誤って撥ねてしまった人がマキとお兄ちゃんを乗せて病院まで走ってくれました。マキも無事に一命をとりとめましたが、その時、私は咄嗟にお兄ちゃんを責めていました。
夫もお兄ちゃんも何も言えなくなり、うちの空気がぎすぎすしていた時、マキを撥ねた人が娘さんに大けがを負わせたのは私です、恨むなら、私を恨んでください、息子さんは一つも悪くありません。と言ってくださったんです。不慮の事故で誰も悪くないと分かっているのに、その時の私は本当に大人気ありませんでした。
1週間ほどその男の人は病院に通ってくださり、マキも無事に意識を取り戻しました。今はその男の人の名前こそ思い出せませんが、彼には本当に感謝しています。マキも12年間、その男の人から貰ったぬいぐるみを大事に持っていました。そこにある、くまのぬいぐるみです。」
彼はその話を聞いて呆然としていました。そして、ガラス張りの遺品の中のくまのぬいぐるみや入院していた病室で撮影していた男の人とのツーショット写真を見て泣き出しました。そして、自分の頭を壁に打ち付けたり頭を掻きむしって発狂し出しました。
何を隠そうその写真を撮影したのが木下で、木下が殺害した女の子と移っているのは木下の親友の男性でした。彼が死んだ理由も溺れていた子供を助けるために川に飛び込み、子供とともに亡くなってしまったという名誉高い死に方でした。そんな親友が助けた一人を自分が手をかけて殺したと気づいたら、人間はどんな感情を抱くのでしょう。ましてや、その女の子がとてもいい子で、殺す非など全くないような女の子だったとしたら…。
この後木下は、トイレで自分の目を指で刺し失明させるいう異常行動をとったので、実験はやむなく中止しました。木下の視力が戻ることはありません。しかし、彼は病院の中で、別の大切なものを取り戻していることでしょう。
Case3 牧田奈菜(仮名)24歳
前科:10代から売春をしていたが、20代になってから常連客に金を渋られるようになり、常連客であった5人を殺害。財布の中にあった現金、キャッシュカードなどでしばらく生計を立てていたが、カードの口座を被害者の家族から止められ、銀行へ苦情を申し立て、カードの持ち主ではないことが分かり、近隣からの異臭による苦情にて事件が発覚する。死体は全てバラバラにされ風呂桶に詰め込まれていた。
疾患:パーソナリティ障害(境界性・非社会性)の疑い
実験:精神疾患の疑いがあるため、まともな実験はできないと考え、人間の永遠のテーマ不老不死について話したところ、本人も乗り気であったため実験を行った。
牧田は、私の母を殺した男と同じぐらい根性が捻じ曲がっていました。普通の人が感じる罪悪感に欠け、自分に愛想をつかした人間に対してことごとく非道な仕打ちをもたらしていました。5人とも局部を切り取られ、被害者の口の中に入れられており、手足をえび反りになるように一つに縛り上げた状態で首とお腹を切り裂かれるという何とも惨たらしい殺され方をされていました。
被害者の家族には小さなお子さんがいらっしゃる方もいて、私も胸が張り裂けそうな思いでした。そんな彼女に、精神疾患の疑いがあるため、死刑にするかどうかという状態であったため、ぜひとも研究に協力していただきたいと名乗り上げ、無事実験へ持ち込むことが出来たのです。
牧田への実験は、神経に特別な麻酔薬を投薬し、一日を一週間に感じるように脳へ麻痺を起こしたのです。つまり彼女は、人よりも長い時間を生きた気持ちになるようにしたのです。永遠の命を体験するためには、それがよっぽど手っ取り早いでしょう。
彼女は考えなしのためにすぐに賛成をしてきました。私たちは、きちんと合意の下で実験を行ったのです。彼女には刑務所と同じように暖房器具・冷房器具も与え、テレビも与えました。一日もきちんと三食与え、入浴の許可も与えました。充実した生活となり、彼女も非常に満足していました。
しかし、実験3日目から彼女に変化がみられました。時計を無償に気にするようになり、疲労を訴えるようになったのです。彼女は何もしていません。“普段通りの”生活をしているだけなのです。一週間を過ぎたころから、食事をもっとせがむようになり、一日に何度も入浴するようになりました。テレビを見てもすぐに消し、また点けるといった異常行動も現れました。あんなに好きだった雑誌もさっと目を通すだけで終わらせるようになり、見当識にも異常が現れました。実験を開始したのが8月だったのですが、秋の服に衣替えをはじめ、そのくせ暑い暑いと駄々をこね、冷房器具を付けて安心しているのでした。
あまりにも見当識に異常があるので、カレンダーと時計を置くようにしました。彼女はその頃からかなりイライラするようになりました。15日ほど過ぎると、布団にくるまって眠るようになりました。そして、目が覚めたかと思えば発狂し、また眠りにつくのでした。
1ヵ月も過ぎたころ、牧田は自分の舌を噛み切って布団の中で自殺していました。牧田が付けていた日記には、みんな狂ってる、どうして分かってくれないの、などの文字が乱雑に書きなぐられていました。永遠の世界を生きると、こんな風に感じるのか、と生きたことのない私は感じたのを覚えています。
以上が今回皆様にお伝えする実験です。この後、私達死刑廃止委員会は、全員倫理観念の問題から逮捕され、日本最後の死刑囚として選ばれました。なんとも皮肉な最後です。けれど、これで母に会うことが出来ます。後悔なんてありません。今から貴方たちが、本気でこの活動をして下されば、私たちが死ぬことのない素敵な未来が作られます。
新しいことを始めるとき、人は誰しも不安から臆病になります。そこから逃げ出すと残るものなんてありません。ここから共感し、現在から死刑廃止委員が出来ることを心より祈っています。
作者適当人間―駄文作家
若かりし頃の作品です。
何が一番怖いかって、当時こんな極論を思い付いた私の頭が怖い笑