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中編3
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欠伸

少々仕事がおして、いつもより遅い電車に乗った。

普段なら混雑していて滅多に座席にありつくことも出来ないが、時間も時間なのでいくつかの空席があり、俺は扉側の席に座る事ができた。

降りる駅まで20分はある。読みかけの文庫本でも読もうかとカバンに手を突っ込んだとき不意に軽い眠気が誘い、俺は大きく欠伸をした。

ふにゃふにゃと口を閉じた時、ふいに視線を感じそちらに目をやる。すると車両の連結部辺りに一人の女の子が立っていた。明らかに今の視線の主は彼女で、それを証拠に彼女は俺の方を指差して笑っている。

失礼な。ランドセルこそ背負っていないが見たところ小学校高学年といったところか。まあ、あのぐらいならまさに箸が転んでも可笑しい年頃、欠伸を笑われたぐらいで腹を立てても仕方がない。しかし大人が欠伸をしたぐらいでなぜそんなに可笑しいのか?

周りに親らしい姿は見えない。車内でこれだけ大声を出してケラケラ笑っているというのに、周りの乗客は我気にせずとばかりにスマホを見たり、新聞を読んだりして興味を示している風もない。

そんな違和感を感じながらも、俺は気分が悪くなり、女の子の存在を無視して目を閉じた。

それからいくばくか経ったある日、また仕事が遅くなって先日と同じぐらいの時間に電車に乗った。

あの日の事など頭から消えていた俺はいつもの様に空いている席に座り、なんとなく胸ポケットからスマホを取り出そうとして手を止めた。

目の前にあの子がいる。

後ろ姿だが間違いない、あの子だ。向かいの席に座る女性の前に立ち、ジッとその顔を見つめている。というか覗きこんでいる。女性はこれだけ至近距離で顔を覗かれているのに全く気づいている様子もない。

その光景を目にした途端、なぜか俺の心臓は跳ね上がり寒気を感じた。遠い昔、河原で見た人魂を思いだす。あの時の感覚に近いモノを感じる。もし俺の予感が当たっているならば、この女の子は決して善いモノではない。

女の子はゆっくりと女性に向けて人差し指を伸ばした。するとそれが合図だったかのように女性は手をかざす事もなく大きな口を開けて欠伸をした。

それを見た女の子は思った通りゲラゲラと腹を抱えて笑い出した。その声にハッとした女性は一瞬女の子をにらみ付けたが、すぐにその表情は恐怖の色へと変わった。

女性は慌てて女の子を押しのけ、悲鳴を押し殺すように別の車両へ走っていく。すると今まで大笑いしていた女の子はスイッチが切り変わったかのように静かになり、逃げる女性の背中を無表情で見つめた。

周りの乗客は突然の事に驚いたように女性を見ていたが、誰一人として女の子の方を見ている者はいない。その時、俺の中で浮かんでいたある仮説が確信めいたものに変わった。

間違いない。この女の子は生きた人間ではない。しかもなぜか彼女に指をさされて欠伸をしてしまった者には彼女が見えるようになるらしい。なぜそうなるのかは分からないが、少なくとも女の子はそれで驚く人の表情を見て楽しんでいる。そう思った。

俺はすぐに視線を落としてスマホを見ているフリをした。気配で女の子がこちらを見ているのが分かる。視界の隅で赤い靴を履いた足が向きを変え、ゆっくりと近づいてくる。

「……………… ねえ」

明らかに俺にかけられた言葉だろうが、さっきの女性の表情からして至近距離でこの女の子の顔を見てはいけない事ぐらい俺にも分かる。俺は絶対に顔を上げないし返事もしない。お前なんか見えていないぞと無視をし続ける。

「……………… ねえねえ…おじさん」

覗きこんでくる顔を絶対に見まいと俺は下を向いたまま目を閉じた。

電車の走るゴウンゴウンという音だけが車内に響く。

いや待てよ、もし彼女に俺の考えまでも読める力があったとしたら… もし彼女がこのまま俺のアパートまで付いてきてしまったら… 俺は、俺はいったいどうなってしまうのか?

「ふあーあああ」

こんな時に隣りのオヤジが大欠伸をした。まさか、こいつも指をさされたのだろうか?

「………… ぷっ!きゃはははは!!!」

やばい、俺もつられて欠伸が出そうだ。俺は両手で口を塞ぎ、必死でこらえた。

もし次に欠伸をしてしまったら、いったい俺には何が見えてしまうのだろう?

Concrete
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