ある夜彼は、自宅マンションの自分の部屋で眠っていた。
出窓が一つあり、そこからマンションの敷地内が一望できるため、17階から見るその景色は彼にとってのお気に入りだった。
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いつもなら寝る前に、出窓を明けタバコを燻らせるのが日課であったが、その日は終電で自宅に帰った事もあり直ぐに床についた。
疲れから、ベットに吸い込まれ熟睡する。
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「ぃぃぃいいぃぃぃ……ダァァァァーン!!! 」
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人の声と物凄い衝撃音が聴こえ、その音は、彼の睡眠を中断するのに充分過ぎる程のものだった。
音はマンションの敷地内、中庭辺りから聴こえたため、彼は出窓から下の様子を伺う。
誰かが倒れていて暗がりで良く見えないが、飛び降り自殺である事は、直ぐにわかった。
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マンション内の人々が倒れている人の周りに集まっており、彼はその様子を見て今起こった状況を近くで見たいと思った。
まるで焼き芋の、移動販売アナウンスが聴こえた時の様に、部屋から飛び出し現場へ向かう。
現場には数人の人だかりが出来、懐中電灯で照らされた“音の主”は、物言わぬ物体と化していた。
凄惨な姿を晒して。
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暫くして警察が到着し、簡単な質問に答えた後、彼も含めたそれぞれの野次馬は各自の部屋に戻っていった。
マンション内で起こったこの事件は、隣近所同士暫くはその話題で持ちきりとなった。
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自殺をしたのは、25階に住んでいた年配の女性。
独り身で、元々精神疾患を抱え独り言や会話が噛み合わないということが多々あったそうだ。
警察の方でも、事件性はなく自殺として処理がなされていた。
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1週間も経つと平穏な日々が戻り、マンションの住人と親交の薄い人の死に対し、日常生活を取り戻すのに時間は掛からなかった。
近隣住人の死は彼に取ってもいつの間にかタブーとなり、いつの間にか忘れ去られていた。
そんな時、彼が何時もの様に部屋で眠っていると、ふと目を覚ます
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「ぃぃぃいいぃぃぃ……ダァァァァーン!!! 」
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聴き覚えのある音。
それもつい最近聴いたばかりの音に、彼は動揺を露わに窓の下を覗こうと出窓のカーテンを開けたが、その瞬間視界には途轍も無い光景が飛び込んできた。
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年配の女が17階の出窓の外に佇んでおり、窓からは上半身だけが見える。
例の自殺の女性だった。
あの時見た凄惨な姿のまま、眼は見開きこちらを物凄い形相で睨みつけていた。
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彼は金縛りにあった様に身動きが取れず、固まったままその女性と暫く見つめあっていた。
女性は、怨みに満ちた表情を浮かべていたが、その瞳の奥には、感情というものが宿っておらず、喜怒哀楽のいずれにも属さない無機質で冷たい感覚が、彼女の瞳の奥から流れ出ていると彼は感じ取った。
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気がつくと朝の日差しが顔に当たっており、彼は普段通り横たわっていたベットから身体を起こす。
恐怖に気を失ったのか、恐怖の現象の前後の記憶が欠如しているだけで、女性は消え、再び床についたのか……彼が幾ら記憶を辿ろうとも、記憶が抜け落ちた事実以外は分からなかった。
部屋から出て、マンションのエントランスを通り抜ける際、同じマンションの住人に呼び止められる。
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実は……と昨日の夜彼が体験した事と同じ話をされる。
「あの人、本当は死ぬ事を何とも思っていなかったんじゃないですかね」
年配のおじさんがそう話す。
彼等に見られる事で、自分の死の正当性が自殺というかたちで損なわれた。
そして人の目、野次馬という不純物が混ざってしまった事への怒りを、露わにしていたのかもしれない。
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その日の夜彼の自宅には付き合っている女性が遊びに来た。食事の後、酒を飲みながら彼女と二人借りてきた映画を楽しむ。
………
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「ねえ、ねえ!やめてよ!起きて!」
気がつくと彼はうたた寝をしていた。彼女が青い顔をして彼の身体を必死に揺すっていた。
漸くして彼は目を覚まし、異様な様子の彼女に困惑をしていると、彼が眠っている時に寝言を言っていて、それが物凄く怖かったのだと彼女が話して来た。
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「みたやつぜんいんとりころす。」
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普段の彼の声ではなく、女の声の様だが低くまるで地の底から這い上がる様なその声に、彼女はいつまでも震えていた。
作者ttttti