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カラスの声が止まない住宅地で、俺はじっとりと汗をかいていた。
自分の住むマンションへ向かう階段を睨みつけて。
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何かいる。
俺はゆっくりと瞼を、目玉を押し込むように強く閉じ、開いた。
何だろう。形容し難いものが立っていた。
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黒くて巨大な芋虫を連想させた。それが立っている。顔はどこにあるのか分からない。
ただ、黒い皮膚が膨らんだり縮んだり、どうやら呼吸しているのだ。
その先端はおそらく俺の位置を捉えていた。味方ではなさそうだ。
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距離は20メートルほどだが、動いた瞬間に向かってきそうな気がしたので、やはり俺は遠くのカラスの声だけで、時の流れを確かめていた。
なぜかこの時間帯は人通りが少ない。
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やがて立っているだけで目眩がしてきたので、一旦コンビニでも行こうと、後退りした。
芋虫の呼吸が止まった。
俺は体の前面から突風のような悪寒に襲われ、走り出した。
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1時間ほど過ごし、たっぷりと人の空気を吸った。気を取り直してマンションに戻った。
夕闇の階段前には、その雰囲気に溶け込むように、まだそいつが立っていた。
子どもの頃にカツアゲされたときのような、恐怖と怒りを同時に感じた。
「ふざけるな」
俺は肩を強張らせ、そいつを通り抜けようとした。
「オマエか?」
ぞっとして立ち止まった。
「こんなカラダにしたのはオマエか?」
芋虫の中から声がしたのだ。
「あんた何だよ。変なきぐるみ着て…ふざけるなよ」
「テもアシも、カオもない。ダイジなものなんだ。オレにはダイジな」
芋虫の先端がこちらを覗き込んだ。窪みがあり、中に人間の歯並びが見え、それがパクパクと動いていた。
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「ダイジな。ヒヒ。オレには。オレはダイジな。ヒヒ」
俺はぐうっと喉を鳴らし、<俺じゃない>とだけ叫んで走り抜けた。
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何日か過ぎた。
あれから奴を見ない。何の災いも無く、さっぱりと忘れかけていた。
今日、マンションに帰る手前。じっと立ち尽くして一点を見ている中年女性がいた。
目をやると、あいつがいた。その先端は俺ではなく、その女性を捉えているようだった。
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少し前にネットを調べて知ったことがある。
このあたりの住人が事故か自殺だかで、全身に油を撒かれて燃やされた事件があった。
ただ誰もその人物を知らず、葬式も行われていないために、どこの人間なのか、本当に死んだかどうかも分からないらしい。
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そもそも人間などと。
俺はそれ以上何も考えず、またコンビニで時間をつぶすことにした。そして自分に恐怖し、小さく震えていた。
作者ホロクナ
初めての投稿です。
見た目の怖さではなく、人間の気持ち悪い感情をじんわりと表現できたらいいなと思って書いてみました。