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「ゆうた」
私は首が2倍ほど伸びた子どもを抱えて、ある種の可笑しさを感じながら泣いていた。
こんなふうになるわけないよねと、既に死んだ息子に問いかけていたそうだ。
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ベッドから起きて、警察から説明を受け、ようやく息子が轢き殺されたことを理解した。
懲役は6年。聞かされた時はどうでも良かった。あの子を生み育てるために授かった命だったので、頃合いを見て自殺しようと思った。
ただ、学校に置いてある上履きや道具箱なんかを引き取りに行ったとき、考えは変わった。
触れた直後に感じたゆうたの温かさが、私の血を沸き立たせた。それは怒りと喜びと諦めの、到底、相容れないものだった。
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私は服役期間を数えることを生きがいにした。それ以外の行動を取らなかったので栄養失調になり、気が付くと病院に運び込まれ、引き続き世話をしてもらうこととなった。そのときいた夫には<車は持っていかないで>と頼み、離婚した。
「D・R・D・R・D・R・D」
本を読みながらお経のように呟く私に、誰も話しかけてはこなかった。
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そうして6年が経つと、錆びついた声を出し、犯人に謝罪してもらいたいと願い出た。話が通り、病室へ招くことにした。
1週間後、光を失った目で、よろよろと男が入ってきた。
「僕にも息子がいるんです」
入った矢先にそう言った。何かシナリオでも考えてきたのだろうか。私は無表情で<そう>と言った。
「あれから毎日夢を見ます。あの事故の瞬間を毎日」
男は涙をすすり、がくんと膝を付くと、さながら悲劇の主人公のような雰囲気を見せた。
「あなたの気持ちが私なんかに分かるはずもありません。私は二度と人を傷つけないことを誓います。もう車には乗りません。自転車にも乗りません。ただ静かに生きていこうと思うんです」
「うらやましい」
「は?」
「毎日ゆうたと会えるなんて、うらやましい」
男は理解を超えた恐怖を顔に浮かべ始めた。
「どんな顔をしてるの。死ぬ直前のゆうたは」
「すみません」
「驚いてたの?笑ってたの?」
「すみません」
「私にも会わせろ」
「すみません」
暴れだした私を看護士が止めた。すみませんしか言わない男は足早に部屋を出ていった。廊下から何かブツブツ言っているのが聞こえた。私は息を切らし、窓際で飛んでいる蝿を眼力で殺すように睨んだ。
蝿だ。私の人生に何の価値も生まずに邪魔だけする蝿ども。
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生活能力を復帰させ、カウンセリングも終えた頃には、私の気は晴れていた。
私は犯人と会うため、家を尋ねた。
男は何やら以前より衰弱していた。生活感の無い部屋で、しけたお茶を出され、すすった。
「私はあなたを許すわ」
ぼんやりと項垂れていた男の視線が上がる。
「もう私は大丈夫。これからしたいこともできた。あなたのおかげでね」
「そうなんですか」
「子どものことは忘れましょう」
「ああ」
男は泣いて、ありったけの感謝の言葉をぶつけてきた。私は男の頭を撫でた。
帰り際、玄関で小さな男の子が見送ってくれた。無邪気に笑っている様子がゆうたとよく似ていた。私がその子を見て「D・R・D・R・D・R・D」と唱えると、不思議そうに瞬きしていた。
そして夜を待った。
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運転免許教則本を読みながら、ギアをDにしてみた。
あっという間にぶつかってしまい、どん、と車全体が揺れた。
達成感が無かった。ギアをRにした。
ちょっと大きい石を踏んづけたタイヤの感触を確かめ、ギアをDに変えた。
石が潰れて、液体の音が増したのを確かめ、ギアをRに変えた。
また石を削り、ギアをDに変えた。
小さな石を潰し、ギアをRに変えた。
液体の上を滑らせ、ギアをDに変えた。
細切れの糸くずか何かを擦り潰したところでブレーキを踏んだ。
窓を開け、鼻で深く息を吸った。ガソリンと血とおしっこの匂いが入ってきたので良しとした。
「ああすっきりした」
あえて大きな声で言った。
私が車を降りて、下を覗き込んだとき、自分のふくらはぎが破裂した。
片足の感覚を失いその場に崩れた。見るとそれはやわらかく潰れていた。
「おまえが俺の息子を連れ去ったのか」
人の足と揺れるバットが視界に入った。私は笑みを漏らした。
「子どものことは忘れましょう」
それが癪に触ったらしく、バットは大きく振りかぶられ、殺意を持って脇腹に落とされた。
呼吸する機能が一瞬で失われ、逃げようともがいてみた。
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そこで見た男の顔は、すでに人間の顔ではなかった。
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あたなは現世に残るといい。みんなで空から手招きしていてあげるわ。
あなたを呪いながら。
作者ホロクナ
人間の狂いを書きたかったので。
救いの無い話が好きです。実際にそうなりたくはありませんが。