長編11
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魔法使いの泣く頃に

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寒い日で、今にも雪が降りそうだった。

今日は家族を連れてきた。

「あったあった」

「あなた、どこ行くの」

「すぐ終わるから」

俺は目を閉じた。

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「何でも恥ずかしがってるよな、おまえ」

「ん」

俺の顔をしっかり見てから、みーちゃんは顔を反らす。俺が視線を戻すと、またじっと見てくる。

「ん」

本当に人を好きになると、一つの行為を延々とできるようになる。無意味とかそういう次元の話じゃなくなることを、俺はみーちゃんと出会って理解した。

一緒にゲームをしたり、キスしたり、見つめ合ったりするだけで馬鹿みたいに時間を消費できた。

「神経に作用する何かが生まれるんだな」

「また難しいこと言ってる」

「おまえはまたアホな顔してる」

「なんやと!」

くだらないことの方が楽しい。

元々俺は無駄なことや非効率なことが大嫌いで、人生の中で最もそう感じるものは恋愛だ。

第一印象が良いのか、近づいてくる女は何人もいた。けどみんな実際に付き合うと飽きたように逃げていく。それも気を遣って、変な理由をでっち上げて。

ともかく、どんな人間の前でも俺は恋愛観を語れなかった。

「余計なこと考えやんでいいやん」

「え?」

はっと我に返ると、みーちゃんの寝顔が目の前にあった。

「なんか言ったか?」

問いかけに、みーちゃんはすうっと息をするだけだった。俺と違って布団をむちゃくちゃにせず、大人しく寝ていた。頭を撫でてやった。

みーちゃんを撫でる感触は昔飼っていたハムスターを思わせた。俺に女の髪を撫でる習慣が無いからだろうか、とても脆い存在に感じた。

ペットを一方的に可愛がることは好きだった。だけど、育てきれずに死なせることが多かった。そんなんだから恋愛も実らなかったんだろう。

どうやら俺の手のひらは、みーちゃんの小さな頭を気に入っていた。

「けーくん」

「起きたか」

「けーくんがおる」

みーちゃんは俺といる間はとにかく幸せそうだった。

「時が止まってしまえばいいけど、俺もおまえも動けなくなるんだよな」

「どっちがいい?」

「考えとく」

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みーちゃんが仕事の都合で遠距離恋愛になってから、あっけなく俺たちの関係は悪化した。

単純なことだ。まず会う回数が減る。そうすると連絡が滞るだけでソワソワする。

つまり連絡を待つだけでストレスになる。

どこかに遊びに行くとなれば、誰と行くのかを気にし始める。

何時に帰るのか、何しに行くのか。

そうして自分が卑しくなり<もうだめだ>と落ち込んでいると、いつもみーちゃんが察して声をかけてくれた。

「わたし、けーくんのこと好きよ」

このときの彼女は、いつになく真剣になる。

「プロポーズしてくれたら、すぐけーくんのとこ行くから」

「ありがとう」

そのうち俺にも耐性が付いたのか、みーちゃんを信じる強さのような、形容し難い感情を持てるようになった。

感情より行動を先にするっていう、どっかの偉そうな人の教えも参考にした。

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そろそろ結婚を考えようとしていたとき、みーちゃんは音信不通になった。

「しばらく会えなくなるかも」事の発端がこれだ。

「どういうこと?」

「これからのこと、考え直そうと思って」

嫌な言葉だった。俺は物事を1か0かで決める癖があったので、<振られるのか>と考えてしまった。それでも言葉にせず、やりとりを続ける。

「距離を置くってことか?」

「うん。ごめんね」

「理由は?」

「今は何も言えない」

なんだかんだかっこつけてきたけど、俺の理性はあっけなく崩れた。

ただ、みーちゃんに怒りをぶつけることだけはしなかった。できれば死ぬまで一度もしたくなかった。

「わかった。待ってる」

かろうじてそれだけ伝えて、俺は携帯を投げた。

それから半年経っても音沙汰は無く、いい加減に振られたと悟った。

それにしても、遠距離で自然消滅とはひどいもんだ。こっちがどうしていいか分からない。ストーカーのように電話をかけまくるわけにもいかず、亀みたいに何十年も待つわけにもいかない。

また失恋だ。

そしてすぐに切り替えようとした。俺には仕事がある。仕事が。今度こそ恋愛はしない。

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連絡が途絶えて1年が経った。

気持ちのいい朝だ。俺は空をぼんやり見てから、あっちがいいか、こっちがいいかと迷っていた。後ろで<ギギ>と音がした。風でドアか壁かが軋むのはいつものことなので、放っておいた。

それが、ドスンという響きに変わったものだから、慌てて部屋に戻った。

「けーくん!」

こもった声が届いた。

「みーちゃん?」

玄関のドアを開けるとみーちゃんがいた。

「お墓参り行こう。そんなに遠くないから」

「はあ?」

久々に会って第一声がなぜ<お墓参り>なのか。

12月。朝の6時で外は暗い。みーちゃんの服は完全防寒着で、初めて会ったときから使っているストールを巻いていた。

「何しに来たんだよ。というか誰の墓?」

「私の家族」

「え?」

変な空気を感じ取った俺は、みーちゃんを部屋に入れた。

「家族が亡くなったの?」

「うん。事故の後、昏睡状態になって。弟も乗ってた」

「それは、その」

俺はどう声をかけていいか分からず、項垂れた。

自分の浅はかさを痛感した。

「ごめん。俺ただ振られたとしか」

「そんなわけないやん。ずっと会いたかったんやで」

「そっか」

全く変わっていない、丸っこい顔を見ると、それまでのことがどうでも良くなった。みーちゃんを抱きしめ、その温もりを奪った。

「けーくん寂しかったんやなあ」

「あたりまえだろ」

「わたしの実家こっちやから、けーくんと一緒に行けるって思ってん。サプライズやな!」

正直、墓参りなんかせずにみーちゃんとくっついていたかった。それでも俺はこの子に手を引かれたら、絶対に断れなかったんだ。

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家を出て、閑散とした商店街を歩いた。不思議と風は冷たくないが、息は白くなり、声は小さくなる。

耳を澄ませば、まるで二人以外誰もいない世界のようだった。

ボロボロの屋根はいつになっても修繕されなくて、台風のときには屋根の一部が落ちてきたことがある。今でこそ笑えるけど、やっぱり通るたびにおっかない。

「こんなに静かだったかな」

みーちゃんが繋いだ手を何度も握りしめてくる。

「けーくん、彼女できた?」

「できてないな」

「なんで?けーくん優しいからすぐできそう」

「優しいだけじゃできないんだ。ああいうものは」

みーちゃんが言ってほしいのはそこじゃないと気づく。

「いや、みーちゃんを待ってたからな」

「ほんまに?ほんまに?」

急に嬉しそうに腕を揺らした。

「おまえなら別れるにしても連絡の一つはすると思ってた」

「周りがずっとバタバタしてたわあ。ドタドタかなあ」

「どっちでもいいけど、ドタバタだろ」

本来ならここからバスに乗りたいところだけど、みーちゃんが歩きたいと言うので歩き続けた。

「思ったほど遠くないけど、おまえは時間あるのか?」

「余裕」

「墓参り終わったらどうするんだ」

「けーくんが決めて」

「はあ?」

そもそも、家族が死んだのに、なんで悲しい素振りを見せないのか。そんなに早く立ち直れるものか?

「一緒に暮らすか?」

「いいなあ。それめっちゃいいと思う」

「一人は寂しいだろ」

「うん」

ようやく真顔になってくれた。ここまでずっと笑顔だったのが、ほんの少しだけ怖かった。

「あれ」

俺は駅の方に違和感を感じた。

何かは分からないけど、肝心なことが。

「けーくん何か飲む?」

薄暗い自販機の前でみーちゃんが立ち止まった。

「ああ」

「おーいおちゃか、いえもんか、ゆずれもんか」

「おーいおちゃ」

ペットボトルが大げさな音を出して落ちてきた。

「ありがとう」

「こういうのって手を温めるのに使うのか、飲んで温まるのに使うのか、迷うやんなあ」

「そうかな、いつもすぐ飲んでる」

「じゃあ今日は温める方に使って」

「いいけど。あのさ。みーちゃん」

「なに?」

「電車もバスも、さっきからぜんぜん走ってないんだよ。それだけじゃない、人がいないんだ」

みーちゃんは目を丸くした。

「やっぱりこれ、夢なのか」

「ううん、けーくんが見ようとしてないだけ。そういうのは存在でけへんねん」

「何を言い出すんだ」

「わたしの腕にぎってみて」

「うわ」

俺はその不気味な感触に、すぐに手を離した。

みーちゃんの腕が低反発マットのように凹み、時間をかけて元に戻った。

「けーくんがわたしを疑い始めてる」

「なんだよ今の」

「あんなー、わたし実は死んでんねん」

「は?」

息が止まった。

「うそうそ!ごめん!まだ生きてる!」

みーちゃんが軽快に笑う。

「そんな嫌な嘘つくなよ」

俺は不機嫌になったが、彼女の笑顔には太刀打ちできない。

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「もうすぐやでけーくん」

「案外きついな」

歩きっぱなしでさすがに足が重い。

山に近づくと、そこかしこにホタルが現れた。ゆらゆらと飛んで、俺たちの後をついてくるようだ。俺は寝ぼけているのか、その光が橙や黄や緑といった色とりどりに見えていた。それは街灯よりも自然的で弱々しく、俺の心を鎮めてくれた。

この坂を登れば墓地に着く。俺はふと、無性にみーちゃんに触れたくなって、頭を撫でた。

「なあに?」

「こうしてると落ち着く」

「わたしも」

「やっぱり別の日にしないか?」

「だめだよ。ここまで来たのに」

「そっか」

何か、今までの会話でいろいろと見過ごした気がしていた。怖いわけじゃない。懐かしさに似たものが込み上げるのだ。でも俺はこの墓地に来たことは一度も無い。

不可解な気持ちを残したまま、俺たちは坂を登ってゆく。入り口が見えてきたところで、みーちゃんは駆け足になった。

「なんでそんな元気なんだよ」

俺は離れないように後を追った。

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開けた場所に出ると、ようやく墓石たちが出迎えてくれた。

やっぱり俺はこの景色を知らない。

少ししてみーちゃんは立ち止まり、指差した。

「あった!わたしのお墓」

ドンと胸の真ん中を突かれたように俺の体が固まった。

「わたしのって」

4人の名前があった。見てはいけないものを見る気持ちが吐き気と共に込み上げた。冷たい感触が指先に伝わる。

掘られている名前を辿ると、確かに彼女の名前があった。

「やっぱり夢か」

「ちがう。ほんまのほんま。分かったやろ?」

みーちゃんの表情は穏やかだった。俺はその腕をつかみ、帰ろうとした。

でも、何も掴めていなかった。

「もう触られへんね」

「ふざけるな」

俺は現状を理解できずに叫んだ。何度掴んでも、立体映像のようにすり抜ける。

みーちゃんの体はスカスカになっていた。そしてさっき見たホタルのように、色とりどりにグラデーションしていた。

「いやだ。来るんじゃなかった」

「けーくんが証拠見せろって言うから見せたんやで」

「もういい。証拠は。いいから帰ろう」

「あかんねん。けーくん、信じてもうたやろ?というか最初っから認めてなかっただけ」

俺は<うう>とうずくまり、何とかみーちゃんを現実に留める方法を探した。それは渦巻きのように頭の中を掻き回すだけだった。

じんわりと涙がこぼれた。

「わたし、けーくんのこと好きよ」

おぼろげな手が俺の頭に触れる。

「けーくんが優しいこと、一番分かってる。誰よりも分かる自信がある。だから、前に進んでほしいねん。そのためにここに呼んでん。だってけーくん」

みーちゃんは微笑んだような、哀しんだような顔でうつむいた。

「今日死のうとしてたやん」

そうだ、俺が彼女を呼んでしまったんだ。

どうでも良かった。あれから俺は光を失っていき、何を見ても、何に触れても、砂を体に刷り込まれるような苦痛だけを感じていた。やがてその感覚すら失くし、なんだかみーちゃんが空にいるような気がしてたまらなくなった。

「おまえが呼んでくれたと思ったのに、なんだよ」

涙がいよいよ止まらず、顔を二度三度こすった。みーちゃんを見れなかった。

「俺はおまえがいないと」

「わたしはいつでもおるよ。勝手におらんことにせんといて」

その手が俺の握りこぶしをほどいた。

「けーくん赤ちゃんみたい」

「おまえだろそれは」

みーちゃんは昔のように笑った。

「あーあ、わたしけーくんと結婚したかったなあ」

「音信不通は結局何だったんだ」

「けーくんとの結婚、反対されててん。あんたは体が弱いから金持ちじゃないとあかんって。1ヶ月くらいケンカしてた。そんなことしてたからバチが当たったんやな」

「結婚か」

いつかは当たり前のように結婚するものだと思っていた。

こいつはどんな想いで死んでいったのだろう。痛かったに違いない。悔しかったに違いない。

もうそんな想いをさせちゃいけない。

「よし」

俺は目一杯の息を吐いて、けじめを付けることにした。空を見て、墓石を見て、みーちゃんを見て、自分を見つめた。

「なんか俺ばっかり泣いて恥ずかしいな」

「知ってた?幽霊は泣かんねん。でもな、けーくんにも泣いてほしくないから」

みーちゃんは空を見上げ、口元を結んで、何か呟いた。

「わたしの魔法で、けーくんの涙を止めたろ」

あたりがひんやりした。

「おまえが降らせたの?」

か細い雪だった。子どもが見ても嬉しくならないほどの。

「どや!」

「すごいのかすごくないのか分からない」

「すごいって!魔法やん!」

「なんていう呪文?」

「えっと、ユキフルデイ!」

「適当すぎるだろ」

二人で笑ってしまった。

あとはいつもようにくだらない話をした。皮肉にもこのとき、どんなに中身のある話を考えても無駄に感じた。何十回も話したことを、仕草を、繰り返すだけで心が澄んでいった。

墓石に背中を預けて、決して積もりはしない雪を眺めると、この先には何も生まれないんだと分かった。

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「あ、今から振り向かんといて」

俺がたまたま背を向けたとき、みーちゃんは言った。

「なんで?」

「わたしが帰れなくなる」

語尾が震えていた。緊張したときや別れ際にそうなるのを俺は知っている。

「おまえも寂しいんだな」

「けーくんの背中見たらいろいろ思い出した。あと、そのお茶は置いてって」

未だ不自然に温かいペットボトルを手に俺は何か言おうとしたが、黙ってその場に置いた。

「けーくん」

「何?」

「一人で抱え込まんといてね。苦しくなったらここ来て、全部話すんやで。わたしけーくんの性格知ってんねんから」

「俺も知ってるよ」

「私よりも。弱い部分があること、知ってんねん」

「わかったよ、わかったから泣かないでくれ」

「幽霊は泣かんもん」

「そうか。じゃあ行くからな」

灰色の空から落ちてくる真っ白な粒に、頭を撫でられながら歩を進めた。

「けーくん!今日は来てくれてありがと」

これがみーちゃんを見た最後の時だった。

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「あら、降ってきたわね」

目を開けると、妻が隣に立っていた。

「誰のお墓?」

「ん、昔の知り合い」

「若いうちに亡くなったの?」

「まあな」

「そう」

妻はすっと前に出て、手を合わせた。その慎ましさに、どこか似たものを感じた。

「ねえパパ、なんで冬に墓参りするの?ともだちはみんな夏に行くって言ってたよ?」

俺は答えを考えるフリをする。

「パパは雪が好きなんだよ」

「雪って、ほとんど降ってないし」

「これくらいがいいんだ。寒すぎずに見れる。これくらいが」

あいつが運んできた幸せを俺が生かす。

思い切りのない雪を見ると、そんなふうに感じるんだ。

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@はな-2
読んでいただきありがとうございます。気持ち悪い話ばかり書いたので、今回は優しい雰囲気が出せたらいいなと思いました。

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すんばらしいお話でした……
ホロクナさんが描く怖話は美しいですね、、、

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