中編4
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ドロドロ

「よお」

「山口さんおつかれさまです」

セメントを作る機械があって、そのプールに西野を埋める話をされたのが、3日前だ。

今日がリハーサルで、明日が決行。つまり異常なほど、山口は人の命を軽んじていた。

「廃棄スイッチの5分後にあのデブを呼び出せ」

点検業務の最中、俺の耳元に唇が付きそうなくらい近づけて、山口は言った。

「13回目です。さすがに分かってますから」

「数えてんじゃねえよ」

山口の蹴りが俺の尻を痛めつけた。「縁起のいい数字だろ」

「はい」

山口は悪魔の下っ端みたいな品の無い笑いを浮かべた。

「スイッチから10分後、ブロックを運ぶアームがちょうどデブの頭をぶん殴る。セメントは1時間かけて分解されるから確実に窒息死だ。労災ってことでおまえも俺も手を汚さずに済む」

「確かにあのアームの動きは普段から危ないって言われてますね」

スイッチひとつで西野は死ぬ。死刑執行人のような複雑な心境だった。

「心配するな。アームのスイッチを押すのは俺だからな」

そこでもう一度俺を蹴って、歩いていった。

あんなに暴力的なくせに、なぜ俺に協力を求めるのか。尻が理不尽だ。

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定時を過ぎ、廃棄スイッチを押して5分後、電話で西野を呼び出した。30秒ほどで奴は来た。

「何かあったか?」

「何か変わったことないかなって」

「なんだそりゃ。今日も1時間くらいで終われそうだよ」

「そうじゃなくて。日常的な話だよ」

「ああ、あるにはある」

「なんだ?」

そう言うと西野は笑った。

「まだ言えないよ」

「言えよ」

明日死ぬんだぞおまえ。

「気が向いたらな。もう戻っていいか?早く帰りたいんだ」

そうして西野と入れ違いで山口がやってきた。

そのときの山口には西野の姿が全く視界に入っていないみたいで、俺は感服した。

「この計画は完璧だ。シンプルイズベストだ」

「山口さんおつかれさまです」

「びびってるのか?」

「はい」

「でもやれ。おまえの借金をキレイにするには、あいつをやるしかないんだぞ?」

「はい」

俺はここで働く前に作った借金を肩代わりしてもらった。

西野もだ。馬鹿げたことに、当時の俺は山口をいい人と思ってしまったんだ。

それからは事あるごとに俺を殴り、サイフから金を持っていく。

誰も逆らえなかった。これが世間というものなんだと言い聞かせた。

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「山口が事故に遭った」

俺は耳を疑った。

「ケガの状態はどうなんですか」

西野の質問に、所長は<ケガじゃない>と怪訝になった。

粉砕機に服をはさみ、そのまま上半身全部を巻き込まれたらしい。

残業で誰もいないときに起きたため、詳細が分からなかった。

朝一で出勤した社員が、なおも奴の体を飲み込もうとしている粉砕機から、下半身を引きずり出したそうだ。

朝礼でそれを聞かされ、俺も含め社員の多くは弁当が食えなくなった。

俺には喜びも悲しみも無かったが、面倒なことが減ったとは思った。

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山口が死んだことで、俺の借金も消えた。今日が決行日だったのに。

「今日は何だ」

「別に」

それでも俺は奴の指示通り西野を呼び出した。

もちろん殺すためじゃない。とりあえず指示には従ったぞ、とどこかに言い訳がしたかった。幽霊になって出られても困る。

西野は昨日と同じ場所に立って、溶けた灰色のチョコレートのようにうごめくセメントに向かって呟いた。

「女房に子どもができたんだ。男の子」

俺の心臓が何かに噛まれたように痛んだ。

「おめでとう」

「社長から仕事の一部を分けてもらってさ、独立してやっていくつもりだ」

「そうかい」

「おまえも来るか?」

俺はふっと西野の横顔を見た。どういうわけかその瞳は寂しげに見えた。

「俺にはここが合ってるみたいだ。気持ちだけ受け取っとくよ」

変な間が生まれた。

このまま別れたら、どうにも釈然としない気がしてきた。

一つだけ聞きたかったんだ。山口のことを。

お互い腹を割って話そう。俺たちが、成りたくないものに成る前に。

「なあ、西野」

西野が顔を向けたとき、柔らかい風が後ろから吹いた。

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ズゴンという音とともに西野がセメントプールにダイブした。

何か叫ぼうとしていたようだが、あっという間に口を塞がれ、何を言っているのか分からなくなった。

深くゆっくりと沈んでいく姿を前に、俺は冷や汗を流しながら<おい大丈夫か>と棒読みした。

なんてことはない。背中がうすら寒かったんだ。黒っぽい何かが俺を見張っているような気がして。

だから西野が見えなくなるまで、俺は直立したまま声をかけ続けていた。

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それから俺は何も告げずに遠くへ引っ越し、可も不可もない生活を送っている。西野の家族がどうなったかなんて知らない。

誤作動による事故ということになっているが、それでいいと思う。

あのときの俺に、アームの動作スイッチがある制御室を調べる勇気は無かった。

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あの日を堺に俺は自分の感情の器に蓋をし、二度と届かない場所に沈めてしまった。

ただ未だ、ドロドロしたものを直視することができない。

Concrete
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