自分を見つめる旅に出かけたのは、春も終わりを告げ、蒸し暑い夜だった。
あの頃の私は、傷つき、疲れ果てていた。
恋人との別れ。住処も追われ、途方にくれていたのだ。
確かに、あの地に留まっていれば、食うには困らない。
しかし、仲間との生存競争、度重なる嫌がらせ、そして陥れるかのごとく仕掛けられた罠。
そういう世界に、私は疲れ果ててしまった。
いつしか、ここではないどこかに自分の居場所があるのではないかとそんな思いにかられるようになった。
都会の喧騒を後に、私は、一人、旅に出た。
最初は、きままな一人旅、どうにかこうにか食いつなぐだけの糧を得て、うまく行くかに思えたが、世の中はそう甘くはなかった。
夏が過ぎ、秋が来て、そして長い冬が訪れた。
私の手元には、もう何もない。
食べる物も、友人も、恋人も家族も居ない。
いつしか、私は、凍える路上にうずくまることしかできなかったのだ。
ああ、私の人生もこれで終わりか。
目の前がかすんで来た。
私は、少しでも暖を取ろうと、民家の物陰の隙間に体を滑らせた。
ここなら、北風が当たることもないだろう。
ところが、私のその姿を見つけられて、女がヒステリックに叫んでいる。
男に、何事か、文句をつけている。
なるほど。こんな姿じゃあ、気味悪がられても仕方ないか。
それほどまでに、私は薄汚れて、不法侵入者以外の何者でもない。
私は、慌ててまた別のところへと逃げ込んだ。
世知辛い世の中だ。少しくらい寒さをしのいでもいいだろう。
私は、また程よく北風の当たらない場所を見つけて移動した。
そこは、薄暗い狭い場所だった。
ああ、なんだろう。
これは、懐かしい臭いだ。
皮の臭いだ。
私が元住んでいた家の玄関もこんな臭いがしていたな。
心なしか、少し暖かい。
私は、眠りに落ちた。
そして、しばらくして、乱暴に体ごと投げ出されて目がさめた。
何が起こったんだろう。
私は、その隙間からのろのろと這い出し、最後の力を振り絞って、危険を察知してその場から離れることにした。
「はぁ~疲れたあ。」
すぐそばから、大きな声がして、私はぎょっとして、物陰に隠れた。
暗くて、その声を発した者の姿は見えない。
私が息を潜めていると、急にあたりが明るくなった。
頭上を見ると、真っ赤な太陽が二つも輝いていた。
太陽とは、こんな形だっただろうか。
楕円形の太陽が、私を照らしたかと思うと、だんだんと暖かくなってきた。
そうか、ここは桃源郷なのだ。
私は、ついに、自分を見つめる旅に出かけて、桃源郷にたどりついたのだ。
ああ、暖かい。
先ほどの声は、神様の声なのだろうか。
神様も、お疲れの様子だ。
暖かい。
確かに暖かいが、ちと暑すぎないか?
暑い、というか、熱い!
これでは、私は蒸し焼きになってしまう。
ここは桃源郷ではないのか?
私は暑さに耐え切れず、逃れようと走った。
「キャア!ゴキブリ!」
その声とともに、私の世界は真っ暗になった。
「お母さん、コタツからゴキブリ出てきた!」
「やだあ、どこから入ったんだろう。このマンションで一度も出たことなかったのに。しかも、この寒いのに。」
「わかんないよ。」
「アンタがどこからか連れて来たんじゃないの?」
「ひどーい、そんなバカな。あ、でも帰りに立ち寄ったラーメン屋さんで、ゴキブリが出たの!
その時ね、ラーメン屋のオヤジに文句言ってるあいだにそいつ逃げちゃった。
ま、まさか、私のバッグに入って?やだぁ、このバッグ、本皮で高かったのに!」
作者よもつひらさか
冬といえば、これですね。
よもつも、すっかりコタツムリです。